1月22 日
今朝は、気温-6℃。冷え込んだ。
午前9時半ぎ、撮影用のヘリコプターが仙台から飛来。連合赤軍の残存メンバー5人が、警察の包囲網から脱出しようと雪原を走るシーンを上空から撮影した。ヘリコプターのカメラだけではなく、地上のスノーモービルのカメラも彼らを追う。やり直しがきかないぶっつけ本番だけに、モニターをチェックする辻カメラマンの眼差しも厳しかった。
この大規模な撮影を、地元の河北新報、読売新聞、東北放送が取材。若松監督は、作品の意図を語った。監督の軸足は、この映画の製作を決意したときから、まったくブレていない。つまり、連合赤軍という「事実」を残すためにこの映画を撮っている、と。
そのあと午後、10年あまり前に建てた若松監督の山荘を、「あさま山荘」として撮影するための準備が始まった。家財道具や家電製品が次々に運び出され、まるで引っ越しのようだ。だが、再び使える。しかし、ここは再び使えるかどうか、わからない。「あさま山荘」として撮影するということは、銃撃戦の末、機動隊が建物を破壊して突入することを意味する。若松監督は、「映画で建てたのだから、映画で壊したって惜しくはない」と言う。監督が私財をなげうつこの映画のクライマックスは、いよいよ明日から撮影される。
2007年1月22日月曜日
2007年1月21日日曜日
ゆくえ
1月21日
登場人物は、とうとう最後の5人になった。坂口弘(ARATA)板東国男(大西信満)吉野雅邦(菟田高城)加藤倫教(小木戸利光)元久(タモト清嵐)の兄弟だ。この5人が、「あさま山荘」で銃撃戦を展開する。実在の彼らだけではなく、撮影現場にいる出演者たちも、その5人が最後になる。
この作品の出演者たち、とくにこの山奥のロケ地へやって来た人たちには、ある種の連帯感が生まれたそうだ。もし、そうなら、実在の5人は、その連帯感を「粛清」で断ちきったのだろうか? いまここに残っている出演者たちを観ていると、きっと彼らも、自らが粛清した仲間たちに最後まで連帯感を持っていたのではないか、と思う。 今日は、撮影スッタッフがエキストラで何人か出演した。彼らは、機動隊員に扮して走ったあと、ほとんど死にそうになって雪の上に倒れた。そのヘナチョコ機動隊員に追われた5人の出演者にも、肉体的にかなりきついシーンだったに違いない
撮影現場の行く先には、完成した作品がある。同志を粛清した連合赤軍の行方は銃撃戦だった。果たして、この映画の出演者たちの行く先は、どこにあるのだろう? 東京に戻ってからも、演じた役からなかなか抜けきれない、という、言葉も耳に残る。
もし、この作品が、関わった人たちの生き方に何らかの影響を与えるのであれば、それもこの作品が持つ意味の一つである。
明日、カメラは空を飛ぶ。
登場人物は、とうとう最後の5人になった。坂口弘(ARATA)板東国男(大西信満)吉野雅邦(菟田高城)加藤倫教(小木戸利光)元久(タモト清嵐)の兄弟だ。この5人が、「あさま山荘」で銃撃戦を展開する。実在の彼らだけではなく、撮影現場にいる出演者たちも、その5人が最後になる。
この作品の出演者たち、とくにこの山奥のロケ地へやって来た人たちには、ある種の連帯感が生まれたそうだ。もし、そうなら、実在の5人は、その連帯感を「粛清」で断ちきったのだろうか? いまここに残っている出演者たちを観ていると、きっと彼らも、自らが粛清した仲間たちに最後まで連帯感を持っていたのではないか、と思う。 今日は、撮影スッタッフがエキストラで何人か出演した。彼らは、機動隊員に扮して走ったあと、ほとんど死にそうになって雪の上に倒れた。そのヘナチョコ機動隊員に追われた5人の出演者にも、肉体的にかなりきついシーンだったに違いない
撮影現場の行く先には、完成した作品がある。同志を粛清した連合赤軍の行方は銃撃戦だった。果たして、この映画の出演者たちの行く先は、どこにあるのだろう? 東京に戻ってからも、演じた役からなかなか抜けきれない、という、言葉も耳に残る。
もし、この作品が、関わった人たちの生き方に何らかの影響を与えるのであれば、それもこの作品が持つ意味の一つである。
明日、カメラは空を飛ぶ。
2007年1月20日土曜日
土曜日
1月20日
今日は土曜日だった。週休二日制が広まって以来、土曜日は休日というイメージが強くなってしまったが、土曜日は本来、午前中は働き午後は休む日だ。その本来の土曜日が、現場に戻ってきた。
撮影は、若松監督名物「朝飯前」で始まった。朝飯前とは、文字通り朝食の前に撮影をすること。今朝は午前6時、まだ闇に包まれて、山のなかへ出発した。出演者や監督が6時に出発するということは、撮影や照明などのスタッフは、それよりずっと前に現場で準備を始める。そんなハードな撮影でも、「朝飯前」」なのだ。
慌ただしい朝食後は、雪中行軍の場面の撮影。そして、スキー場の近くで、警察に追われる彼らが逃亡するシーン。スキーヤーやボーダーが溢れるスキー場に、キスリング(昔の横長型リュック)を背負った場違いな一団が現れた。映画は、カメラが切り取ったフレームのなかに周囲とは異次元の世界を生み出す
そして、今日は「土曜日」。撮影は午前中で終わり、午後3時過ぎから、「あさま山荘」として使われる予定の若松監督の山荘の庭で、バーベキューパーティが開かれた。メニュー・メインは、雪に「植えられた」松島産の牡蠣の素焼き。牡蠣は、近くに住む若松監督の実弟が差し入れた。
新鮮な牡蠣は、生もイケるが、焼いたほうが美味い。……かつて味わったことがない美味に、一同笑顔がこぼれた。メイキング担当の竹藤佳世が、この日30ン歳の誕生日を迎えたことが伝えられると、みんなから拍手がわき起こった。バース・ディケーキこそないものの、きっと彼女には一生忘れ得ぬ誕生日になったに違いない。
厳しい撮影現場とは異なる親密な空気がそこにはあった。集まった全員が、同じ一つの作品作りにそれぞれの力を出し切っているからこそ生まれる、貴重な時間だった。
日が落ちてからも赤々と燃える焚き火を囲んで、パーティは続いた。
今日は土曜日だった。週休二日制が広まって以来、土曜日は休日というイメージが強くなってしまったが、土曜日は本来、午前中は働き午後は休む日だ。その本来の土曜日が、現場に戻ってきた。
撮影は、若松監督名物「朝飯前」で始まった。朝飯前とは、文字通り朝食の前に撮影をすること。今朝は午前6時、まだ闇に包まれて、山のなかへ出発した。出演者や監督が6時に出発するということは、撮影や照明などのスタッフは、それよりずっと前に現場で準備を始める。そんなハードな撮影でも、「朝飯前」」なのだ。
慌ただしい朝食後は、雪中行軍の場面の撮影。そして、スキー場の近くで、警察に追われる彼らが逃亡するシーン。スキーヤーやボーダーが溢れるスキー場に、キスリング(昔の横長型リュック)を背負った場違いな一団が現れた。映画は、カメラが切り取ったフレームのなかに周囲とは異次元の世界を生み出す
そして、今日は「土曜日」。撮影は午前中で終わり、午後3時過ぎから、「あさま山荘」として使われる予定の若松監督の山荘の庭で、バーベキューパーティが開かれた。メニュー・メインは、雪に「植えられた」松島産の牡蠣の素焼き。牡蠣は、近くに住む若松監督の実弟が差し入れた。
新鮮な牡蠣は、生もイケるが、焼いたほうが美味い。……かつて味わったことがない美味に、一同笑顔がこぼれた。メイキング担当の竹藤佳世が、この日30ン歳の誕生日を迎えたことが伝えられると、みんなから拍手がわき起こった。バース・ディケーキこそないものの、きっと彼女には一生忘れ得ぬ誕生日になったに違いない。
厳しい撮影現場とは異なる親密な空気がそこにはあった。集まった全員が、同じ一つの作品作りにそれぞれの力を出し切っているからこそ生まれる、貴重な時間だった。
日が落ちてからも赤々と燃える焚き火を囲んで、パーティは続いた。
2007年1月19日金曜日
ファースト・カット……、地吹雪 !!
1月19日
今日から、本格的な第二次ロケが始まった。昨日の夕方到着した出演者は、今朝いきなり風速20メートル近くの地吹雪のなかに放り出された。追い詰められた連合赤軍の9人が、警察の包囲網を脱出する場面だ。
群馬県妙義山の籠沢の近くで刑事から職務質問を受けた坂口らは、厳冬の妙義山を越えて、長野県へ脱出を試みる。それは地元の登山家でさえ尻込みするようなルートだった。この作品では場所の設定を変えているが、描かれる自然の厳しさに変わりはない。
目も開けていられないような地吹雪のなかを、出演者たちは「毛沢東語録」の一説を斉唱しながら進んだ。連合赤軍のメンバーが実際に「毛沢東語録」を斉唱したかどうかが問題なのではない。この映画は事実を再現することを目的としているのではなく、その事実を通してメッセージを伝えることにある。つまり、かつて、中国の革命家毛沢東に心酔した日本の若者たちがいて、その一部が連合赤軍を作った事実を、まさに映画的に表現するのが、この映画の目的だ。
撮影終了後、出演者たちはロケバスのなかで、放心状態に陥った。その光景を残そうとしたスチール・カメラが、たちまち結露したことでも、ロケバスの外の厳しさがわかろうというもの。だが、彼らは満足気でもあった。1972年日本で起きた《長征》の幻が、2007年1月、ここ鬼首に出現した。
いくら雪が少ないとはいえ、本格的な冬が始まった宮城県と山形・秋田県境の山の中で、「実録・連合赤軍」の最後の撮影は進む。
今日から、本格的な第二次ロケが始まった。昨日の夕方到着した出演者は、今朝いきなり風速20メートル近くの地吹雪のなかに放り出された。追い詰められた連合赤軍の9人が、警察の包囲網を脱出する場面だ。
群馬県妙義山の籠沢の近くで刑事から職務質問を受けた坂口らは、厳冬の妙義山を越えて、長野県へ脱出を試みる。それは地元の登山家でさえ尻込みするようなルートだった。この作品では場所の設定を変えているが、描かれる自然の厳しさに変わりはない。
目も開けていられないような地吹雪のなかを、出演者たちは「毛沢東語録」の一説を斉唱しながら進んだ。連合赤軍のメンバーが実際に「毛沢東語録」を斉唱したかどうかが問題なのではない。この映画は事実を再現することを目的としているのではなく、その事実を通してメッセージを伝えることにある。つまり、かつて、中国の革命家毛沢東に心酔した日本の若者たちがいて、その一部が連合赤軍を作った事実を、まさに映画的に表現するのが、この映画の目的だ。
撮影終了後、出演者たちはロケバスのなかで、放心状態に陥った。その光景を残そうとしたスチール・カメラが、たちまち結露したことでも、ロケバスの外の厳しさがわかろうというもの。だが、彼らは満足気でもあった。1972年日本で起きた《長征》の幻が、2007年1月、ここ鬼首に出現した。

いくら雪が少ないとはいえ、本格的な冬が始まった宮城県と山形・秋田県境の山の中で、「実録・連合赤軍」の最後の撮影は進む。
2007年1月18日木曜日
ロケ本隊、到着
1月18日
今日のロケ地は、午前中から雪が舞っていた。
午後2時過ぎ、助監督・照明・録音などの後発スタッフが到着。午後5時頃、出演者が到着。午後6時半から宿舎の国民宿舎で、若松監督や先乗りスタッフを含め、全員で夕食。それぞれに明日からの撮影を思い、緊張に満ちた空気が漂っていた。
昨年11月の鬼首ロケでは最大29人いた出演者も、今回は9人。その人数が、追い詰められた連合赤軍を表している。「あさま山荘」で銃撃戦を展開するのは、さらにそのなかの5人だ。連合赤軍は、12人の同志粛清、永田や森など指導者やメンバーの相次ぐ逮捕の果てに、ようやく彼らが掲げていた「銃による殲滅戦」に行き着いた。
夕食後、「毛沢東語録」の斉唱を録音。録音は、ロッジの玄関先、建物の外で行われた。しんしんと冷える闇の中で、雪が降る。明朝は一面の雪景色の中で、撮影開始。
今日のロケ地は、午前中から雪が舞っていた。
午後2時過ぎ、助監督・照明・録音などの後発スタッフが到着。午後5時頃、出演者が到着。午後6時半から宿舎の国民宿舎で、若松監督や先乗りスタッフを含め、全員で夕食。それぞれに明日からの撮影を思い、緊張に満ちた空気が漂っていた。
昨年11月の鬼首ロケでは最大29人いた出演者も、今回は9人。その人数が、追い詰められた連合赤軍を表している。「あさま山荘」で銃撃戦を展開するのは、さらにそのなかの5人だ。連合赤軍は、12人の同志粛清、永田や森など指導者やメンバーの相次ぐ逮捕の果てに、ようやく彼らが掲げていた「銃による殲滅戦」に行き着いた。
夕食後、「毛沢東語録」の斉唱を録音。録音は、ロッジの玄関先、建物の外で行われた。しんしんと冷える闇の中で、雪が降る。明朝は一面の雪景色の中で、撮影開始。
2007年1月17日水曜日
到着報告
1月17日
若松監督と辻カメラマンたちは昨日、この日記担当者は今夕、ロケ現場へ入った。出演者、スタッフなどの撮影本隊は明日、到着する。撮影は、いよいよ最終コーナーに入る。
今年の鬼首(おにこうべ)は雪が少ない。去年の同時期にロケハン時に比べ、積雪量は半分以下だ。昨年11月の前回ロケに続き、地球温暖化がこの作品の撮影にも影響を与えている。
しかし、どんな状況でも、その現実のなかで撮影を実現してゆくのが、若松流。明日も、撮影の準備にかけずり回る。
若松監督と辻カメラマンたちは昨日、この日記担当者は今夕、ロケ現場へ入った。出演者、スタッフなどの撮影本隊は明日、到着する。撮影は、いよいよ最終コーナーに入る。
今年の鬼首(おにこうべ)は雪が少ない。去年の同時期にロケハン時に比べ、積雪量は半分以下だ。昨年11月の前回ロケに続き、地球温暖化がこの作品の撮影にも影響を与えている。
しかし、どんな状況でも、その現実のなかで撮影を実現してゆくのが、若松流。明日も、撮影の準備にかけずり回る。
2007年1月14日日曜日
川崎のセット発山奥のロケ現場行き「撮影快速」
今日の撮影は、ハードだった。
午前8時に撮影を開始、午後8時過ぎに終了。予定していたシーンをすべて撮り終えた若松監督も、さすがに「今日は疲れた」とつぶやいて椅子に腰を下ろす。川崎5スタジオでの撮影が終わった。
スタジオの中には、かつて大学で起きた『バリケード封鎖』の光景が出現した。1968年~'70年にかけて、全国各地の大学では不正経理や学生の誤認処分など様々な問題が噴出し、その問題を追及する学生たちが全共闘(全学共闘委員会)を結成。彼らは、授業をボイコットするために机や椅子などでバリケードを造り、校舎を使用不能にした。のちに連合赤軍を結成する赤軍派は、そんな騒然とした時代のなかで誕生したのだ。
発端は、当時高揚する学生運動の一角を占めた政治組織ブント(共産主義者同盟)の内部対立だった。武装部隊による蜂起を目指す関西派と、大衆的な闘争を主張する関東派は、それぞれの指導者に対する内ゲバによって分裂。武装闘争を掲げ、塩見孝也(坂口拓)を中心とする関西派が共産同赤軍派を名乗った。この映画の主人公のひとり、遠山美枝子は親友の重信房子とともにその赤軍派に所属していた。
今日のおもな撮影は、関東派のリーダーさらぎ徳二と関西派のリーダー塩見孝也が、交互に襲われるシーン。襲撃は、当時バリケード封鎖中だった大学の構内で起きた。そのバリケード封鎖を再現したのが、川崎5スタジオの3階と4階に組まれたセットだった。

若松監督の友人、佐野史郎がさらぎ徳二役として出演。60人以上のエキストラを動員する大がかりな撮影になった。エキストラで出演する若者たちは、もちろん当時の大学の状況など知るよしもない。だが、ヘルメットを被り、タオルで覆面をし、ゲバ棒と呼ばれる角材を手にした青年たちが机や椅子で作られたバリケードの中に現れると、そこに40年近く前の時代が現実となって浮上してきた。
若松監督の作品は、その時代の若者に圧倒的に支持された。当時の若松作品を高く評価するミュージシャンのジム・オルークも、今日、撮影現場を訪れた。すると、ジムのファンだという佐野史郎が大感激。この意外な遭遇の一方、出番を終えた出演者たちは今日も次々に現場を去ってゆく。映画の撮影現場は、人が出会い別れる場でもある。
川崎5スタジオでの撮影は、関東派に囚われた塩見孝也たちが、監禁されていたバリケード封鎖中の中央大学の学部長室から、消火ホースを使って脱出するシーンで終了。
スタッフと出演者は、来週再び宮城県大崎市の鬼首のロケ地へ戻り、この映画のクライマックスでもある「あさま山荘」の銃撃戦を撮影する。
午前8時に撮影を開始、午後8時過ぎに終了。予定していたシーンをすべて撮り終えた若松監督も、さすがに「今日は疲れた」とつぶやいて椅子に腰を下ろす。川崎5スタジオでの撮影が終わった。
スタジオの中には、かつて大学で起きた『バリケード封鎖』の光景が出現した。1968年~'70年にかけて、全国各地の大学では不正経理や学生の誤認処分など様々な問題が噴出し、その問題を追及する学生たちが全共闘(全学共闘委員会)を結成。彼らは、授業をボイコットするために机や椅子などでバリケードを造り、校舎を使用不能にした。のちに連合赤軍を結成する赤軍派は、そんな騒然とした時代のなかで誕生したのだ。
発端は、当時高揚する学生運動の一角を占めた政治組織ブント(共産主義者同盟)の内部対立だった。武装部隊による蜂起を目指す関西派と、大衆的な闘争を主張する関東派は、それぞれの指導者に対する内ゲバによって分裂。武装闘争を掲げ、塩見孝也(坂口拓)を中心とする関西派が共産同赤軍派を名乗った。この映画の主人公のひとり、遠山美枝子は親友の重信房子とともにその赤軍派に所属していた。
今日のおもな撮影は、関東派のリーダーさらぎ徳二と関西派のリーダー塩見孝也が、交互に襲われるシーン。襲撃は、当時バリケード封鎖中だった大学の構内で起きた。そのバリケード封鎖を再現したのが、川崎5スタジオの3階と4階に組まれたセットだった。


若松監督の友人、佐野史郎がさらぎ徳二役として出演。60人以上のエキストラを動員する大がかりな撮影になった。エキストラで出演する若者たちは、もちろん当時の大学の状況など知るよしもない。だが、ヘルメットを被り、タオルで覆面をし、ゲバ棒と呼ばれる角材を手にした青年たちが机や椅子で作られたバリケードの中に現れると、そこに40年近く前の時代が現実となって浮上してきた。若松監督の作品は、その時代の若者に圧倒的に支持された。当時の若松作品を高く評価するミュージシャンのジム・オルークも、今日、撮影現場を訪れた。すると、ジムのファンだという佐野史郎が大感激。この意外な遭遇の一方、出番を終えた出演者たちは今日も次々に現場を去ってゆく。映画の撮影現場は、人が出会い別れる場でもある。
川崎5スタジオでの撮影は、関東派に囚われた塩見孝也たちが、監禁されていたバリケード封鎖中の中央大学の学部長室から、消火ホースを使って脱出するシーンで終了。
スタッフと出演者は、来週再び宮城県大崎市の鬼首のロケ地へ戻り、この映画のクライマックスでもある「あさま山荘」の銃撃戦を撮影する。
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