2006年5月26日金曜日

闘争心

5月23日、ソウルの映画祭から、監督が帰国しました。
「天使の恍惚」から「赤軍ーPFLP世界戦争宣言」「17歳の風景」まで
12本の作品がソウルで上映されました。
「作品には、個的な闘いが出てくるけれど
世の中の革命は、大勢でやらなければできないんじゃないですか」
こんな質問が、会場から出たそうです。
「あ、来たな、と思ったんだ」と監督。
「個的な闘いのできないヤツが100人集まったって革命はムリ。
個的な闘いのできるヤツが10人集まれば、1000人にも勝てるんじゃないですか」
そう、監督は答えたそうです。
「どんな事に対してもそうだと思うよ。
徒党を組まなければ動けない人よりも、
一人でも動くヤツが10人いれば闘える」
監督は、国会でギリギリの攻防の続く「共謀罪」についても
闘う姿勢を変えません。
「作れるものなら作ってみろ、このやろうって。
向こうが強行採決してきたら、それを利用してやればいいんだよ。
それにひっかからないように、こっちも頭を使いながら闘えばいいんだよ。
成立したからって、それで闘いが終わりじゃない、それからなんだから。
そんなもの作った政治家なんて、落としてやればいい。
表現への弾圧が、来るかも知れないけれど、
俺は、弾圧されようがどうしようが、表現は続ける。
表現という手段で闘ってきたんだから。
言いたいことを言っても、俺がおまんま食えてきてるんだから、大丈夫だよ。
言ってダメになるヤツは、言っても言わなくてもダメになるんだから
言いたいことを言えばいいんだよ」
ソウルの映画祭で、監督は、自分の勝負の仕方について、
こう話しました。
「俺はね、お客をだまして、映画を見せる。
そして、お客がそこで何かを感じれば、俺の勝ちじゃないですか」
作品を通して、監督と観客が対峙する瞬間です。
「侵略のためのテロと、解放・自衛のためのテロがある。
解放のためのテロ、正しいテロは、ある。
みんな、そういうことを言わなくなってきたけれど。
そして、ぼくの映画はそっちに向いているんじゃないですか」
かつて、パレスチナの難民キャンプ、シャテーラキャンプの大虐殺の直後に
監督は現地に入っています。
虐殺の現実を、目の当たりにしたのです。
「母親がレイプされたり、父親が虐殺されたりしたら、
その子はそれからの人生を、復讐に賭けるんじゃないですか。
殴られた方は、その痛みを忘れられないでしょう。
だから、あなたたちの両親、祖父母は、忘れないでしょう。
その痛みは、パレスチナにつながっているのかもしれない」
ソウルの映画祭で、監督はそう話しました。
この映画祭のスタッフたちが、みんなでお金を出し合って
「実録・連合赤軍」の制作費を集めてくれました。
この義理を返すのは、いい作品を作ること。
クランク・インに向けて、監督の熱は高まっています。(A)