2011年12月8日木曜日

音楽打ち合わせin奄美

先日、函館映画祭に出席した監督が
今週は、一路、奄美へ。
北へ南へと、文字通り奔走している。
今回の奄美訪問の目的は、編集を終えたばかりの
「千年の愉楽」の音楽の打ち合わせだ。
今回、クランクイン前から、監督が連日聴いていたのは
中村瑞希さんが唄う奄美の民謡だった。
空気を静かに震わすサンシンの音と歌声。
キャメラがパンするときも
「辻さん、この歌のリズムでパンして」
中本の血が流れていく時のお芝居も
「この歌が流れていく感じで」…。
撮影中の監督は、
いつもポケットに、この音楽を入れていた。
サンシンの音色と唄声が路地の空へと流れていく。
それは、オリュウの静かに燃えたぎる情熱であり
出口を求めて彷徨っていた三好の咆哮であり
己から逃れようともがく半蔵の血の滾りであった。
先月末、ジェイフィルムにて編集しながら、
この映画の全編を、言葉にならぬ静かな思い
サンシンが震わすような空気の波が包み込んでいると感じた。
今回、この中村瑞希さんと「千年の愉楽」の音楽の
打ち合わせをするために、奄美に行った監督。
同行したのは、音楽プロデューサーの高護氏。
現地に着いた監督を待ち受けていたのは…。
なんと、中村瑞希さんとミュージシャンのハシケンさんによって
オリュウオバのテーマソングとも言うべき1曲がすでに出来上がっていた。
路地から飛び立って行く1つ1つの魂への
オリュウの叫びが、1つの曲となっていた。

2011年12月5日月曜日

「鉛の時代 映画のテロリズム」 『天使の恍惚』上映 若松監督舞台挨拶

東京日仏会館にて開催されている特集上映「鉛の時代 映画のテロリズム」におきまして、若松孝二監督の「天使の恍惚」が上映されました。
若松監督と「リベラシオン」の映画記者フィリップ・アズーリさんのトークショーが行われました。
「天使の恍惚」が公開された1972年の時代背景や、公開後一日で上映中止になった事件など監督しか知ることのできない裏話が次々と語られました。
特集上映「鉛の時代 映画のテロリズム」は12月18日まで東京日仏会館にて上映しております。
また若松監督作品は
『天使の恍惚』 12月09日 (金) 14時30分
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 12月17日 (土) 18時00分
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 12月18日 (日) 11時00分
以上の日程で上映予定です。どの回も一般1000円でご覧いただけます。

2011年11月26日土曜日

「11・25自決の日」完成披露上映会、大盛況!

昨夜、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が
世の中に向かっての第一歩を歩み出した。
立ち見席も完売、それでも当日チケットを求めて
足を運んで下さる方が後を絶たない状況で幕を開けた特別上映会。
会場全体を包む不思議な熱気は、
2008年の「実録・連合赤軍」公開当時を思い出させた。
同時代の、しかし全く真逆の思想を抱いた若者たち。
この非常にシビアで重たい2つのテーマに
敢えて挑んだ若松孝二。

 

 
上映に先立って、若松監督と三島由紀夫役の井浦新(ARATA)、
森田必勝役の満島真之介、古賀浩靖役の岩間天嗣が舞台挨拶を行った。
「11月25日、今日は三島さんたちの命日です」と語り始めた監督、
「ステージの上からの挨拶はおこがましいので、舞台下からご挨拶します」と
集まった観客に謝意を述べた。
続いて、井浦が「この三島さんの命日に、この作品が飛び立っていけることを
本当に嬉しく思っています」と語り、観客に向かって頭を下げた。
満島は緊張のあまり、言葉に何度も詰まりつつ、
自分の思いを言葉にしようと懸命になっていた。
岩間も率直に挨拶の言葉を述べ、出演者が三者三様の挨拶を終えて
本編上映が始まった。

上映終了後、間もなく、ドキュメンタリー監督の森達也氏と
一水会顧問の鈴木邦男氏によるトークショーが始まった。
三島氏らの決起当時、まだ16歳だったという森氏と
森田必勝氏の大学での民族派運動の先輩であったという鈴木氏。
スタンスも思い入れも異なる二人によるトークとなった。
三島氏が、当時の時代状況に影響を受けながら、
楯の会での行動を先鋭化させていく様を
1つ1つ検証しながら語る鈴木氏。
記録映像の使い方について語る森氏。

トーク後半には若松監督も飛び入りで壇上に上がり、
映画ラストシーンに込めた思い、さらには
つい先日クランクアップした「千年の愉楽」について語った。
最後には、客席にいた出演者の篠原勝之(陸上自衛隊富士学校長役)や
「千年の愉楽」に出演した佐野史郎を監督が壇上に呼び上げ、
トークを賑やかにしめくくった。
「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が
本当の意味で完成した、記念すべき第一日となった。
この先も、続いて制作した「海燕ホテル・ブルー」の公開前イベントや
「千年の愉楽」の編集、音楽作りなど、3つの作品に関する動きが加速する。
年の瀬を前に、エンジン全開の若松監督である。

この先のイベントや作品制作進捗状況など
出来る限り細かくブログにて告知、レポートしていきます。
どうぞよろしくお願い致します。
なお、昨日、足をお運びくださりながらご入場頂けなかった方たち、
申し訳ありませんでした。
来年の公開をどうぞお待ちください。

2011年11月17日木曜日

夢か幻か…怒涛のロケ終了!

終わった。
気付いたら、全てが終わっていた。
普段は静かな須賀利の集落が
熱気に包まれざわめいていた日々。
東京でのクランクインから始まった怒涛の撮影の日々は終わりを告げた。
中本の血の滾りを見せていた男たちの
狂おしいほどの眼差しは、もうどこにもない。
男たちの生き死にを見つめるオリュウの
時空を越えた眼差しも、もはや、どこかへ消えてしまった。
クランクアップ後、静まりかえった集落を見渡して思った。
あれは、夢か幻だったのか…と。

いや、それらは全て、キャメラにしっかりと焼き付けられた。
これから編集され、音付けされるのを待ちながら、
いきいきと息づいているのだ。
高岡蒼佑演じる三好。
高良健吾演じる半蔵。
染谷将太演じる達男。
寺島しのぶ演じる産婆のオリュウは、
彼らを親より先にその手に抱き、
路地の者らが背負わされたものを見つめ、
生きよ、生きよと祈り続けてきた。
生きるとは、何と理不尽で美しくて暴力的で
刹那的で永遠に続く営みであることか。
須賀利の集落の、美しくも寂しげな佇まいが
役者たちの創り出す世界観に深みを与える。
紀州の深い緑の山と、広がる入り江に縁取られた小さな集落。
この美しく静かな路地の風景の中で、
新たなる「千年の愉楽」が誕生した。
怒涛の11日間を終え、静けさを取り戻した集落の中で
目の前から、オリュウや半蔵が去ってしまった寂しさと
1つの世界が誕生したのだという実感に包まれていた。

ロケ中、全くブログが更新できず、申し訳ありませんでした。
これまでの若松組と同じく、バタバタの現場でしたが、
多くの方たちのご協力があったからこそ無事に終えることができました。
何より、東紀州フィルムコミッションの皆さま、
尾鷲市の皆さま、紀北町の皆さま、須賀利のおんばんの会の皆さま、
須賀利の皆さまの日々のご協力と暖かいご支援があったからこそ
わずか11日間というスピードで集中して撮影を進めることができました。
毎日の暖かい励ましの声やご支援の数々、
心から感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
映画が完成するまで、これから長い道のりが待っています。
編集、音入れ、音楽作り、ダビング……
映画の心臓とも言うべき大切な作業を経て
1つの作品が生まれます。
どうぞ、楽しみにお待ちください。

2011年11月5日土曜日

クランクイン初日、無事終了

昨日、朝8時に無事ファーストカットの撮影が始まった。
ARATA演じる路地の男が、わが子の出産を目前にして
この世を去る決意を固める。
その目撃者となるのが佐野史郎演じる毛坊主だ。
この作品の重要なエッセンスが濃縮されたシーン。
若松組の常連2人が、渾身の演技を見せて
わずか1時間たらずで終了。
あっという間に次のロケ地へ向かう若松監督。
赤子を産み落とそうといきむ女、
生まれ出ようとする命に、出でよと叫ぶ産婆のオリュウ。
「千年の愉楽」で、路地の男たちの生と死を
常に見守り続けてきたオリュウを演じるのが寺島しのぶ。
寺島演じるオリュウの目がキラキラと輝いて
生まれ来る命を見つめている。
キャメラが回り、もの凄い勢いで撮影が進んでいく。
今回も、若松の早撮りは健在だった。
夕方予定していたシーンの撮影を1時間くりあげて
場所を開けて頂く。
高岡蒼甫演じる青年・三好が、苛立ちを募らせるシーン。
若いエネルギーが出口を求めて彷徨い呻く。
高岡の表情を見つめる監督の口から
満足そうな「オーライ!!」の声が飛び出した。
初日、終了。
これから始まるノンストップの日々に
役者もスタッフも、決意を新たにした瞬間だった。

2011年11月3日木曜日

「千年の愉楽」明日、クランクイン!

本日の若松プロは、昨日までの空気が一変。
一気に緊張が漲った。
(昨日までも、もちろんほどよい緊張感はあったのですが
 その比ではない、漲り方、という意味で・・・)
演出部の車、照明・録音用機材車、撮影車と
それぞれの車に各機材の積み込み。
今回の若松組も、低予算ゆえの少数精鋭。
各自が智恵を絞りつつ、一番効率よい方法は何かを考える。
目的は、1つ。
若松監督がこの作品に込めた思いを形にする、ということだ。
明日の早朝、各自それぞれの動き方で撮影現場に入る。
ファーストカットは、佐野史郎とARATAによる作品冒頭の重要なシーン。
中上健次が描いた、生きることの不条理さとエネルギーと神話的な匂いとが
どのような映像で私たちの目の前に立ち現れてくるのか…。
身震いがするような緊張感と期待感でいっぱいになる。
明日、いよいよクランクイン…。
可能な限り、ロケ現場からのレポートを
このブログにてアップしていきます。

2011年10月27日木曜日

「11・25自決の日」まもなく完成披露上映!

「千年の愉楽」クランクインに向けて日々慌ただしい若松プロ。
昨日もワードローブにてメインキャストの衣裳合わせ。
その後、キャストと監督が、焼き鳥をつつきながら
この作品に込めた思いを語り合った。
生まれ、死んで、また生まれていく人間。
命の不条理と命の讃歌を、若松監督と俳優たちが
どう描き出していくか。
さて、ロケと同時並行で準備を進めているのが
今年春に撮影した「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の
完成披露上映会。
三島由紀夫氏が防衛庁で自決を遂げた11月25日という
その同じ日に、テアトル新宿にて1回限りの上映会を行う。
昭和を象徴するあの出来事に至るまでの、三島氏と若者たちの魂の軌跡を
若松監督がどう映像化したのか、乞うご期待!
そして、三島クランクアップ後すぐにインした
「海燕ホテル・ブルー」も来春以降公開を予定。
荒野の密室劇を得意とした60年代若松プロの作風が
再び蘇ったと関係者の間では不思議な盛り上がりをみせている。
公式サイトで予告編、公開中。

2011年10月21日金曜日

衣裳合わせ

「千年の愉楽」クランクイン直前になり
キャストもほぼ全て確定した。
若松組の常連キャストが脇を固めつつ
若手も素晴らしい俳優陣が揃った。
若松監督のボルテージも日々上がり続けている。

昨日は、ワードローブにて衣裳合わせ。
衣裳の宮本まさ江さんの手によって
次々と「千年の愉楽」の人物が生まれ出てくる。
せっかちな若松監督も「さすがプロだな・・・」とうなる
手さばきの良さだ。

来週は、スタッフが2名、ロケ地の尾鷲に先乗りし
準備をスタートさせる。
今回のロケ準備にあたっては、東紀州フィルムコミッションの方に
全面的に協力して頂いている。
これほど間際になってのロケ地決定であったが
効率的に準備を進めていけるのは、東紀州FCのおかげ。
心から感謝を申し上げたい。

2011年10月11日火曜日

「千年の愉楽」、来月クランクイン決定!

しばらく更新していない間に、
若松プロでは着々と撮影の準備を進めていた。
今年、「三島由紀夫」と「海燕ホテル・ブルー」と
立て続けに2本撮影した若松監督だが、
その勢いは、止まらない。
来月には、中上健次氏原作「千年の愉楽」がクランクインする。
先週、キャメラマンと監督と脚本家と共に、
ロケ地を探すべく、中上氏を育んだ紀州の地へ足を運んだ。
眼前に海を臨み、背後に迫る緑の山々に囲まれた、路地の風景。
中上作品に色濃く漂う、路地の空気。
その空気を求めて、尾鷲市入りした監督を待ち受けていたのは……


東紀州フィルムコミッションの方のご尽力で
まさにイメージにぴったりの集落が見つかった。
昭和の趣ある家々の間を縦横にめぐる石段。
到着した日は小雨に濡れた風景だったが
翌日は一転、輝くばかりの青空。
眼下の尾鷲湾が、キラキラと輝いている。
風景を見つめる監督の目がキラリと光った。
イメージがぐんぐんと膨らんでいく。
「オリュウがこの石段を、駆け上っていくんだな。
 そしてパンだ。この集落の全景が…」
横でうなずく、キャメラマンの辻智彦。
台風被害などもあり、ロケ地探しに頭を悩ませていたここ数週間だったが
素晴らしい集落と出会い、一気に見通しが開けた。
脚本家の井出真理も、監督が語る路地のイメージを現地で共有しながら
第二稿を練り直した。
おんばんの会という婦人会の方たち、須賀利の地元の方たち
撮影中はいろいろな形で地元の方のご協力を頂きながら
来月、ロケがスタートする。
クランクインまで、もうあと3週間。
一気に慌ただしくなってきた若松プロである。

2011年8月29日月曜日

三島&海燕、予告編完成!

先日、ジェイフィルムにて三島と海燕の予告編を編集。
2分弱という短い間に、いかに作品のエッセンスを盛り込むか。
本編をいかに濃縮させていくか。
濃縮させつつ、観た人の頭にやきつかせつつ、
そして、これ自体のリズムで、どうまとめ上げるか。
予告編という短い作品だ。
一日で2本の予告編が完成した。
海燕の方は、ジェイフィルムの坂本さんの力作に
若松監督が若干のアレンジ。
若い感性と監督の風合いが解け合った。


この日は午後、船戸与一氏に会う。
「海燕ホテル・ブルー」の題字を書いて頂くためだ。
躍動するような骨太な字を書く船戸氏は、行きつけの高円寺の焼き鳥屋
(三島のラストカットを撮影した場所でもある)の
一徳のお店の文字を書いてもいる。
そしてこの日も、素晴らしい題字を書いて頂いた。
そして明日はいよいよ、海燕のダビング。

2011年7月25日月曜日

三島ダビング終了

昨日、今日と、2日間にわたり、
シネマサウンドワークスにて「三島」のダビングを行った。



三島の息づかい、衣擦れの音、風の音、
遠くに響く怒号、ため息、過ぎゆく電車の音。
そして、雅楽の音と板橋さんのピアノの音。
改めて思うのは、映画とは実に何層にも重なった表現だということ。
多くは語らず閉ざした口元のかすかな震え、
額を流れていく汗、どこかできこえる小さな暮らしの音、
淡い光に照らし出された柔らかな表情の、
すぐ背後に迫る深い闇。
言葉で説明のつかない、それらの表現の渦を
見つめ続けた2日間だった。
今も、心の中で、ピアノが鳴り響いて、三島の絶叫が耳を離れない。
音と映像が出会うというのは、こういう事なのだ。

2011年7月21日木曜日

フリージャズと三島の心の涙

昨日、7月20日は、六本木のスタジオにて、
三島の劇中音楽のレコーディング。
ミュージシャンは板橋文夫氏。
若松監督が、何年も前に、足利市で行われたライブに行き
その音にすっかり惚れ込んだという人だ。
三島と若者たちの心の奥底に潜む何かを
音として紡ぎ出してもらうならば、板橋さんしかいない!という
監督のラブコールで実現したコラボレーション。


 

レコーディングが始まった。
板橋さんの指が、身体が、鍵盤の上で踊る。跳ねる。
焦り、孤独、希望、不安、失望、決意、哀しみ。
吹く風、雲の浮かぶ空、揺れる草木、散っていく花びら。
苛立ちのうめき声。かき消されていく叫び声。
心の中を吹き抜けていく風。心の中で流れていく涙と血。
いろいろな風景が、音の中に立ち現れては消えていく。
流れたり、ぶつかったり、叫んだり、つぶやいたり、
板橋さんの指から、怒涛のように音楽が紡ぎ出されて、
気付いたら、4時間が経過していた。

2011年7月19日火曜日

響き渡る龍笛の音

7月16日(土)、ウルトラヴァイブさんのスタジオにて
三島の作中で流れる雅楽のレコーディングを行った。
雅楽について、詳しくはわからないけれど
限りなく研ぎ澄まされた、繊細な音の中に
静けさと激しさが裏になり表になり
絡まり合っているような、不思議な音色。
三島の精神世界が音になって立ち現れてくるようだ。
シンプルにきこえるように感じるが、
実はかなりの人数による、交響楽なのだ。
いろいろな音色が幾層も重なり合い
響き合って生まれる。
ダビングは来週。
音楽が、映像と出会う瞬間が、楽しみだ。

2011年7月1日金曜日

アフレコ無事終了

「三島」も「海燕」も、着々と編集が進行中。
キャタピラーに続き、編集はジェイフィルムの坂本さん。
「三島」の編集が佳境にさしかかっていた時、
すばらしいタイミングで、ある曲と出会った。
散っていく三島と森田の、心のつぶやきが、
どこか、今も世の中の空気に漂い流れているような
でも、そこには何も見えないような、
そんな透明感のあるサウンドだ。
ああ、映画って、すごく立体的な表現だなあ、と改めて思う。
「三島」に続いて、「海燕」の編集にとりかかる。
同じ監督の頭の中から続けざまに出てきたものとは思えない、
しかも、三島アップからわずか二週間後にインしたとは思えない、
まったく異質で不思議な手触りだ。
でも、どこかかつての若松作品を彷彿とさせる世界観や風景。
そして、くすっと笑ってしまう、監督のオチャメな演出の数々。
海燕の音楽は、ジム・オルーク。
連合赤軍以来のコラボだ。
先日の編集にはジムも同席。
久しぶりの再会を懐かしみつつ、映像の手触りを共有。
この映像に、ジムの独特な音が混じり合ったら…と想像するだけで
ゾクゾクとしてくる。
さて、昨日は、シネマサウンドワークスにてアフレコ。
いつもお世話になっている吉田さんと。

2011年5月27日金曜日

波しぶきと噴煙と…そしてクランクアップ!






 

 

 

 




あのシーンは、どこにつながるの?
一体、どうして、こんな撮り方するの?
さっきはこう言ったのに、今は真逆の事を言ってない…?
空間を見て、役者の演技を見て、その場でキャメラのアングル
カット割りを即断する若松監督。
現場で、次々と変わっていく演出に、
「実録・連合赤軍」「三島由紀夫」に続き若松組3作目となる
岡部尚は、「すごくエキサイティングな現場だった」と語った。


体調が決して万全ではない中で始まった大島ロケ。
数日ナイター撮影もあり、若松組にしてはハードなスケジュール。
後半、明らかに疲労が蓄積した様子の若松監督だったが
最後まで全力疾走し、昨日、無事クランクアップした。
少ないスタッフをサポートすべく、俳優部も全力投球。
自らの衣裳や小道具の管理はもちろんのこと、演出部の手伝い、
他の役者へのケアなど、役割を超えて大活躍、まさに全員で創り上げた現場だった。
「実録・連合赤軍」以来の若松組常連メンバーである、
ARATA、地曵豪、大西信満の3名には、役者としてのみならず、
スタッフの支えとして、本当に様々な場面で助けてもらった。
初の若松組となった主演女優の片山瞳も、
単身で現場に入り、体当たりの演技を見せた。

そして何よりも、若松監督の旧友で大島在住の佐々木美智子さんの
全面的バックアップがあったからこそ可能となったロケでした。
ご協力くださったたくさんの方たちに、心からお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。


来週から、「三島」と「海燕」の編集作業が始まります。
制作状況も、折に触れてブログ上でご報告していきます。

またまたクランクイン!疾走続く若松監督

昨日、若松組「海燕ホテル・ブルー」(船戸与一原作)ロケがスタートした。

台本が刷り上がったのは、今月半ば。
その後も、日々、監督の中で新たなイメージが生まれ、本は次々と書き直されていく。
真っ黒な砂漠、暗くうねる波しぶき、その茫洋と広がる風景の中に、
閉じ込められてゆく男たち、摩訶不思議な女……。
監督の口から語られるのは、まさに、1970年前後の若松作品に描かれる、
荒野の密室劇のイメージそのものだ。
人間の業、胎内を思わせるような空間、どこまでも不毛なこの社会…。
話しを聞いているだけで、ゾクゾクしてくる。
完成を、楽しみにお待ち下さい!


さて、昨日のファーストシーンの撮影は、埼玉にある中古車整備工場にて。
「実録・連合赤軍」で吉野雅邦を演じたウダタカキが登場した。
「台本なんて信じるな!」という監督の現場の空気をすでに知っているウダ、
自分自身の内側からリアルな言葉として思いが漏れ出す。
相対する主演の地曵豪の口から出る言葉も、もはや台本に書かれた台詞はどこにもない。
お互いのギリギリのせめぎ合いは、まるでジャズのセッションを聴いているようだ。
その後、三郷のトンネルで緊迫感溢れる強盗未遂シーンの撮影後、
都内のバーにてワンシーン撮影。
若松監督行きつけの新宿二丁目のバー「ナジャ」にて。
「三島由紀夫」クランクアップからわずか4週間足らずでのクランクインという、
ハードなスケジュールだったが、若松監督は、周囲の心配をよそに、
初日から若松節を炸裂、熱気溢れる現場となった。

2011年5月2日月曜日

クランクアップ!

御殿場以降、怒涛の撮影が続き、ブログ更新のタイミングを作り出せませんでした。
おかげさまで、昨日、監督行きつけの高円寺の串焼き屋「一徳」さんにて
ラストカットの撮影が行われ、無事クランクアップ致しました。
後半、どんどん加速していく監督のエンジンにより
日々、俳優もスタッフも緊張感全開、集中力全開、
いっぱいいっぱいの状況が続いていました…。
監督も、自分の体力の限界ギリギリの状況の中、
それでも、全力でラストまで無事走り抜くことができました。
それは、スタッフと文字通り二人三脚で現場に関わり、
この作品への情熱をしっかりと注いでくれた出演者の皆さん、
さまざまなロケ地にて、ご協力くださった皆さまのお力があったからこそです。
本当にありがとうございました。

 

 

 

 



 

ややタイミングを逸してしまいましたが、以下、撮影現場ルポです。

3日間続いた御殿場ロケでは、全日とも天候に恵まれて
自衛隊訓練や、三島と自衛隊幹部とのせめぎ合い
楯の会の結成式などの撮影が順調に進められた。


御殿場2日目は、朝イチで三島の演説シーン。
ARATAの渾身の叫びが、バルコニーに響き渡る。
あの瞬間に三島が吸っていた空気を、追体験している感覚に陥る。

そしてこの日は、今回のロケ中唯一の夕食後撮影となった。
(さすが早撮りの監督、モリモリと撮影スケジュールを盛り込んでも、
 大抵、午後3時頃には撮影を終えていた…)
自衛隊訓練の夜営シーンと、三島と森田ら若者たちの
最終行動に向けたせめぎ合いのシーン。


ーー
夜更けまで、監督の集中力は途切れることがなかった。

3日目には、三島の妻役の寺島しのぶが富士の荒野を歩くシーンの撮影。
「キャラピラ−」に続き2本目の若松組となる寺島の演技に
監督の満足そうな「オーライ!」の声が響く。

 茫洋と広がる荒野、彼方に空を切り裂きそびえ立つ富士。
三島が自衛隊の訓練に汗を流した時にも、
三島が己の命をかけて行動を起こした後にも、
それらは全く同じ姿で、私たちの眼前に存在し続けている。
その状況の目撃者として、寺島の存在は作品の中で重要な意味を持っているのだ。
御殿場ロケの翌日からは、三島邸。
派手なシーンはないが、交わされる言葉、目線、絶妙な間合いが
三島を巡る人間模様を絶妙に描き出していく。
三島が背負おうとしたものの大きさ、彼の孤独、苦悩、
そして、彼と共に生きようとした若者たちの切実さ。
それは、イデオロギーや主義主張を超えた、
人間の「生」そのものの切実さで、見ているこちらの胸に迫ってきた。
役者がアドリブで漏らした言葉に心を打たれたり
気付くと涙がこぼれたり…そんな三島邸ロケ2日間だった。
三島邸のロケ写真は、後日アップします。
そして、いよいよ4月29日は、総監室に立て籠もり自決へと至るシーンの撮影。
役者も監督も真剣勝負。狭い室内に、気合いと殺気じみた空気が充満した。
どのようなシーンに仕上がったか、映画の完成を楽しみにお待ち頂きたい。

そして、昨日のラストシーンの撮影で、怒涛の2週間が幕を閉じた。
ラストカットの舞台は、冒頭の通り、監督行きつけの串焼き屋「一徳」さん。
アップ後は、全員で乾杯し、一徳さんの絶品レバー焼きをいただいた。
全力疾走後の脱力感と達成感の混じった役者さんの笑顔を見ながら食べるレバーは
ほろ苦く、少しもの哀しく、胃の中にしみこんでいった。

2011年4月24日日曜日

御殿場ロケ始まる

本日、朝6時半に都内集合後、一路御殿場へ。
三島と自衛官との出会い、盾の會結成式、学生長交代など
すごいスピードで撮影がすすんでいく
今まで、台本上の文字でしか共有できなかったイメージに
役者たちが次々と息吹を吹き込んでいく。
そして、本日も終日響く監督の怒号。
「幼稚園の芝居するな!」
「本なんてろくなもんじゃないんだ!」
「てめえの頭で考えろ!」
怒りながら、芝居をじっと見つめながら、キャメラのアングルを決めながら、
監督は次々と撮り続けていく。
そして本日も3時過ぎに撮影終了。
あまりのスピードに、目眩を覚えるほどだ。
御殿場ロケ写真は、明後日、東京に戻ってからアップいたします。

2011年4月22日金曜日

三島の心

本日のロケは、剣道場と都内神社境内にて。
相変わらず早撮りの若松監督、その瞬間瞬間の人間を
迷いなく演出し、切り取っていく。
これまで連日、ほぼ予定を数時間巻いて撮影は進行。
午前中の道場では、三島と盾の会学生部代表の森田の思いが
交錯する。
派手な演出や芝居ではなく、
わずかな息遣い、眼差しに、垣間見えるものを
キャメラは丁寧に追いかける。
そうした繊細な表現の現場ではあったが
相変わらず、朝イチから道場に響き渡るのは
監督の怒号…。
ご協力くださった小塚道場のみなさま、ありがとうございました。
続いて午後は、都内の神社境内にて、三島の舞。
ARATAの舞の一挙一動、手の動き、目線、
その細かな一つ一つに、魂が宿っている。
見つめる監督も、思わず手を握りしめている。
「カット!!」
満足げな監督の声が境内に響いた。
三島の精神世界を若松監督が、不思議な手触りで描き出す。
春爛漫の境内で、時空を超えたような、奇妙な錯覚を覚えた。

2011年4月21日木曜日

国際反戦デーのその日…

1968年10月21日、ベトナム戦争に反対する学生たちが新宿に集結、
米軍横田基地へのジェット燃料の補給を阻止すべく
新宿駅を実力で占拠した。
いわゆる、新宿騒乱である。
時を同じくして、三島たち楯の会の隊員も
都内某所に集結していた。
自衛隊が治安出動に動き出すその時に備えて…。
楯の会の若者たちも新左翼の若者たちも
今の社会構造に疑問を抱き、よりよい社会を夢見ていた点では
同じ情熱を抱いていたといえよう。
だからこそ三島は、東大全共闘の討論で
「諸君らがひとこと、天皇とさえ言ってくれれば
 喜んで安田講堂にともに立て籠もったのに…」と語るのである。
監督が撮りたいのは、三島の人生の再現ではなく
そうした情熱を抱いた人間たちの息づかいである。




そして、昨日も今日も、私たちの目の前に、そんな人間・ミシマが出現した。
人が人を表現する事の奥深さに、思わずため息。



本日の東大全共闘との討論シーンでは、懐かしい「実録・連合赤軍」の
懐かしい元同志たちも数名集結。
100名近いエキストラの方も集まって下さり、熱気でムンムン。
緊張感と熱気と怒号が場内を満たし、1960年代の空気に包まれた。








ご協力くださった皆さま、ありがとうございました。
そして、ネイキッドロフト、ロフトプラスワン、阿佐ヶ谷ロフトと
ロケ場所を提供してくださったロフトの皆さま、ありがとうございました!
ロフト独特の空気であったからこそ、あの熱気が醸し出せたのだと思います。

2011年4月19日火曜日

磯の香りと監督の怒号

本日は、風と波が吹き付ける岩場にて撮影。
「そうじゃないだろう!台本なんて、こんなものを信じるな!芝居をするな!」
久しぶりに若松節が炸裂。
現場に緊張が走りました。
怒号を響かせつつ、演技指導しつつ、監督自らも少し出演・・・。
どんなシーンかは、作品を観てのお楽しみです!

2011年4月18日月曜日

早稲田に吹き荒れた嵐


 

 

 

 
4月17日(日)、三島ロケが本格スタートした。
「よーい、シュート!」
キャメラが回り出す。
クランクアップまで、ついにノンストップの日々が始まった。
この日のファーストカットは日本の未来への熱い思いを語る森田必勝青年。

彼の脳裡には、どのような理想の未来図が描かれていたのだろうか。
森田役の満島真之介は、初の若松組。
これから、若松監督の演出と満島の演技がどのような和音を奏でるのか、楽しみだ。
17日の午後は、早稲田大学の協力のもと、
大隈講堂前で新左翼の学生たちと森田ら保守派の学生の乱闘シーンの撮影。

やり直しのきかない一発勝負、満若のBキャメラのみならず、
照明の大久保キャメラなども総動員。
そして、気合い満タンの大勢のエキストラの皆さんのご協力のおかげで、
迫力ある乱闘シーンが撮影できた。

21日(木)12時からの、阿佐ヶ谷ロフトにおけるエキストラも
ぜひ、皆さま、ご協力をお願い致します!
1966年当時、早稲田は150日間に及ぶバリケード闘争のまっただ中にあった。
学生運動の嵐が吹き荒れる中、これら新左翼の学生のやり方に不満を持った森田らが、
「新民族主義」を掲げ、左翼革命勢力と対決すべく結成したのが、
「日本学生同盟」だったのだ…。
というわけで、夕方からは、河合塾コスモ校の協力で、
日本学生同盟(日学同)の発会式の撮影。
日学同の初代委員長、斎藤英俊の演説が響き渡る。

初日の撮影は、大きなトラブルもなく、
監督の激しい怒号が響き渡ることもほとんどなく、
この日の気候と同じく穏やかに終了した。
そして今日、西荻の小さなアパートにて、
森田ら楯の会の若者たちの心の葛藤を描くシーンの撮影。
撮影現場のアパートが余りに狭く、スタッフは殆ど現場の外で待機。
扉の向こう側から、森田らの歌声が漏れ聞こえてくる。
生き急いだ若者の歌声が、哀しく胸に響いてきた。