2012年7月26日木曜日

「千年の愉楽」第69回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門正式招待 若松孝二監督正式コメント

「千年の愉楽」がベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門に正式招待されました。
若松孝二監督にコメントをいただきました。

「僕が、初めて海外の映画祭に呼ばれて行ったのは
 1965年のベルリン国際映画祭『壁の中の秘事』でした。
 あのときは、生まれて初めてタキシードを借りて緊張して
 世界の舞台へと乗り込んでいった。
 そうしたら、日本のマスコミやインテリからは
 「国辱映画だ」と散々叩かれました。
 国辱で結構、泥の中に咲く一輪の花だってあるんだ。
 私は私の映画にその確信を持って、50年以上映画を撮り続けてきました。
 4年前にベルリンで「実録・連合赤軍」が、
 そして2年前に再びベルリンで「キャタピラー」が
 そして今年はカンヌで「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が
 正式上映してもらえた。
 その同じ年に、「千年の愉楽」にベネチアからの招待状が届いた。
 わずか4年間で世界三大映画祭に呼んでもらえたことは
 僕の中で、小さな誇りになっています。
 映画祭に呼んで欲しさに映画を創っているわけじゃありません。
 国内や海外に、たくさんのお客さんたちがいて、
 僕の作品を楽しみにしてくれている。
 その人たちのためにも、面白い作品を作り続けていきたい。
 そして、僕のような、独立プロで自分で作品を作り続けてきた人間にとって
 海外の映画祭で正式上映してもらうことが、
 より多くの人に僕の作品を観てもらえる、最大のチャンスなんです。
 作品は、観てくれる人がいて、初めて完成する。
 観てくれる人がいて、初めて成立するんです。
 昨年、溢れる気持ちのままに作り上げた「千年の愉楽」が
 今、僕の手から離れて、ベネチアという素晴らしい舞台で
 よちよち歩きを始めようとしている。
 その事を、本当に嬉しく、ありがたい事だと思ってます」

 若松孝二

2012年7月9日月曜日

あっという間の1時間。テアトル新宿ファイナルイベント

7月8日。
テアトル新宿のファイナルイベント。
今回はスペシャルゲストに本作に企画参加した鈴木邦男も来るとあって
登壇する井浦新ら本人たちも気合いが漲る。
拍手で迎えられた若松監督、鈴木邦男、井浦新、満島真之介。
まずは、鈴木が、本編と当時についてを比較しつつ
映画とあの時代と三島や森田について論じた。


 

監督は、新撰組の土方歳三と三島由紀夫のイメージをダブらせて語り、
井浦と満島は、切腹の瞬間の思いを追体験したリアルさを語った。

鈴木邦男が「楯の会の若者たちは、あの若さで
あそこまで素晴らしい人間に出会ってしまった事が、
その後の人生において逆に不幸だったのでは」と語ると、
一方で満島が、「自分自身は、森田さんのお兄さんに出会い
若松監督に出会い、三島演じる新さんと出会えた、この濃密な時間は
それまでの22年をも凌ぐものを自分の人生にもたらした」と言葉をつないだ。
場内からは、「絶望からの出発だ、といって、最後に自決していく絶望的な終わり方。
どのように感じて演じていたのか。1年経った今の気持は。
さらに、この絶望感は、後の我々に何を残しているのか」といった問いが飛び出し、
怒涛のロケの瞬間の自分の感情を手探りしながら、
井浦と満島が、答えた。
映像を通して再び三島と森田が邂逅した、と鈴木邦男がトークを締めくくると
トークの終わりには、完成したての次回作「千年の愉楽」の
特別予告というサプライズが。
寺島しのぶ、高良健吾、高岡蒼佑、染谷将太、佐野史郎、井浦新らが織りなす
若松ワールドの新たな映像の断片が流れ、場内が静かにざわついた。

6月2日に初日を迎えた「11.25自決の日」も
いよいよ、テアトル新宿での最終日は今週金曜日。
まだ、各地で上映は続いているが、一つの大きな山場を通り過ぎた。
数々の「出来事」をくぐり抜けて、作品が一人歩きした一ヶ月。
たくさんの方が、劇場に足を運んでくださったこと、
そして、二度、三度と作品を観て下さった方が少なくなかったこと、心から感謝したい。
昨日の客席には、佐野史郎、片山瞳ら、若松組の俳優陣の姿もあった。
佐野も片山も、次回作「千年の愉楽」に出演している。
予告編を、思いがけず彼らと共にスクリーンで観ることができた瞬間、
次の作品に向けてのトビラが開かれたのだ、と実感する。

2012年7月2日月曜日

公開初日から5週目、再びテアトル新宿へ

7月1日(日)小雨が降る中
テアトル新宿は立ち見の方も出る大入り満員で
三島5週目を迎えた。
若松監督と井浦新、そして満島真之介が上映後に壇上に上がり
6月2日から始まった長い三島の公開の日々を振り返りつつ
お客様との濃密な20分を共有した。

会場からは、「劇中に「生きることはどう死ぬかだ」というニュアンスの
台詞があったが、ご自身は、死に方を意識していますか」という問いが。
井浦は「それぞれに方法論だと思うが、自分自身は常に今をいかにドライブして
生きていくかに重きを置いて考えている。その上で、明日、死ぬかもしれないし
いつ何があるかわからないが、その時に、いい人生だったと思えればよい」と語り
若松監督は「あのね、50も過ぎれば、死ぬなんていちいち、どうでも良くなる。
いつ何があるかもわからない。みんな、自分のやりたいことをやればいいんです」
と話した。
さらに「崇徳院を演じることと三島を演じたことに因縁を感じるか」
「三島由紀夫や森田必勝という人物を演じながら、何を感じたのか」
といった質問が相次いだ。
日米同盟、日本の自衛隊をアメリカがいかに重視しているかといった話題になるや
監督はスイッチがオン。
「あのね、絶対に、戦争なんかダメなんですよ。
 どれだけ女性や子どもも犠牲になるか。
 戦争は絶対にだめだ。
 原発だって、大飯の再稼働なんて、ふざけた事になって。
 でもね、再稼働なんて状況は、自分たちの責任だ。
 そういう政治家を許してきたんだよ。
 絶対に、原発を稼働させた政治家たちを次の選挙で落とす、
 それしかない」と熱弁をふるった。 
ちょうど、昨日のイベントの日には
大飯原発再稼働のために、再稼働に反対する人たちの抗議行動を
機動隊が強制撤去。
夜21時には、大飯原発の原子炉がついに起動した。
数十年前から原発に反対してきた若松監督は
黙ってはいられなかったのだ。
井浦と監督の熱弁に押され気味だった満島も
「森田という人を演じること、新さん演じる三島さんの背中を追いかけること
 その事に精一杯だったが、この情熱は、今の時代にも通じるはず。
 僕と同じ世代の人に、一人でも多く、作品を観て欲しい。
 親戚の方、友だち、お子さんなどに、お小遣いを1000円渡して
 携帯をいじる2時間を、劇場に行っておいで、と言ってください」と頭を下げた。
トークでは、多くの観客の方が挙手をしてくださり、
時間の都合上、十分に対応できず、心残りとなった。
そのため、再び、時間をたっぷり確保してのトークイベントを
現在、調整中だ。
実現可能かどうか、まだ確定ではないが、
三島公開のスタート地点であるテアトル新宿にて
再び濃密な時間を演出したいと、監督は意気込んでいる。