2008年3月1日土曜日

あさま山荘の銃撃戦が終わった日

 

 

 

昨日、2月28日(木)21時。週の真ん中の夜遅くにも関わらず、テアトル新宿
は、一足早く「実録・連合赤軍」を見ようというお客様の熱気に包まれていました。
36年前のこの日、あさま山荘の銃撃戦が終結、連合赤軍の5人が捕らえられました。
90%近い視聴率で日本中の目を釘付けにした銃撃戦が終わり、
同志粛清がこれから明らかにされていこうという時でした。
そういう日を、若松監督は、特別先行上映の日として選びました。

そして、その監督の思いを見届けるべく、たくさんのお客様が劇場に足を運んで
くださいました。
上映前に、監督から短い挨拶。
この映画がとうとう完成できたこと。36年前のこの日がどういう日だったのかと
いうこと。とにかく、作品を見て欲しい、ということ。
そして、テアトル新宿で初めての『実録・連合赤軍』の上映が、静かに始まりま
した。
3時間10分後。

ロビーは、興奮した顔つきのお客様で溢れました。
取材にきていたテレビ局のマイクに、自分の衝撃を語っていた人。
泣きながら、監督に駆け寄った人。
黙って、監督に握手を求める人。
それぞれの人が、スクリーンの上で、それぞれの出会いをした。
そのことを実感しました。
劇場に来てくださった方、ありがとうございました。
そして、いよいよ2週間後に公開です。
これから劇場に足をお運びくださる方、心よりお待ちしております!


2008年2月22日金曜日

書籍、できあがりました!

書籍版「実録・連合赤軍」ともいうべき本が完成しました。
『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社刊・1470円(税込)

ARATAさんデザインのマークが目を引く赤い表紙に黒いオビ。
映画と同じく、1960年から72年の「連合赤軍」全記録、あさま山荘に籠もった吉野雅邦さんからの書簡、同じく坂口弘さんの短歌、重信房子さんら当事者たちからの寄稿や、映画を観たさまざまな人たちからの寄稿、若松監督作品史、音楽を手がけたジム・オルークや若松孝二監督のインタビューに撮影日記、出演者たちからのメッセージなど、濃密なページが詰まっています。
貴重な当時の写真もふんだんに盛り込まれています。
映画を観た後に、さらに深く味わう、あるいは、映画を見る前に、ちょっとその空気に触れる、いろいろな読み方があると思います。
全国書店にて発売中です。
上映が始まりましたら、各劇場でも発売致します。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

2008年2月18日月曜日

惜別のベルリン

惜別のベルリン
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の最終上映は、ポツダム広場にあるソニーセンター、映画博物館地下の小劇場でした。作品のW受賞がこちらのメディアで伝えられたこともあり、200人ほどの客席は満席。上映後のティーチインも熱気を帯びました。なかでも、自ら俳優だと名乗る一人が、出演者の演技を絶賛していたのが、印象的でした。


 

 

 私たちは、明日ベルリンを離れます。この1週間が長かったのか短かったのか、わかりません。しかし、ベルリンは私たちの歴史も記す街になりました。42年前、「壁の中の秘事」がこのベルリン映画祭に出品され、映画監督・若松孝二のいまが始まりました。そして、今年、最新作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」がそのベルリン映画祭で受賞したことは、映画監督としてのひとつの到達点を示しています。

 42年前、このベルリンを東西に隔てていた壁は、もうありません。しかし、いまの日本の若い世代は日本の1960~'70年代の事実をほとんど教えられず、その時代を生きた団塊の世代は、若き日々の記憶を青春という壁の彼方に仕舞い込んでいます。この作品を見てくださる多くの方たちが、あの時代への壁、日本の戦後がほんとうに終わりいまが始まった時代への壁を消し去り、現在の日本の姿を直視していただければ幸いです。
 サヨナラ、ベルリン!
 ありがとう、ベルリン!

2008年2月16日土曜日

ベルリン国際映画祭 報告05

深夜の熱論
「実録・連合赤軍」、今日はアレクサンダー広場のキュービックと言うシネコンで、夜8時から上映されました。収容能力1000人を超える大きな館内は、上映終了が深夜になるにもかかわらず、ほぼ満席。この作品への、関心の高さを窺わせます。

 アレキサンダー広場には、ベルリンのJR線にあたるSバーンの駅を挟んで、1965年に建設された高さ365メートルのテレビ塔が聳え、広く無機的な空間が広がっています。1965年は、すでにこの作品に描かれた歴史の一部です。当時は“近未来的”と考えて造られたこれらのランドマークが、いまはどこか古くさく感じられるのは、そのときに思い描いた未来が、2008年の現実とは大きく隔たっているからかもしれません。作品の登場人物たちが、描いていた未来像とどんな形をしていたのだろうか? と、思わず考えさせらるような光景です。
 



 上映終了が終電まぢかだったにもかかわらず、多くの人が若松監督とのティーチインに残りました。そして、白熱する論議は、館内の施錠時刻が過ぎても、場所を館外に移して続きました。上映のあと、多くの人がその場を立ち去りがたくなる何かを、この作品は持っています。その“何か”を、観客の皆さんに考えていただくのも、この映画のテーマのひとつなのかもしれません。
 日を追うごとに、反響の大きさと深さを実感しています。

ベルリン国際映画祭 報告06

W 受 賞ッ!

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、本日、第58回ベルリン国際映画祭・フォーラム部門で、最高賞とも言うべき「国際芸術映画評論連盟賞」と「最優秀アジア映画賞(Network for the Promotion of Asian Cinema[NETPAC])」を受賞しました。これにより、この作品づくりに関わったすべての者たちの努力が報われただけではなく、私たちがこの作品に込めた想い、つまり、日本の現代史と向き合いそれを伝える姿勢が、国際的に認められました。歴史は、語られなければ、歴史ではありません。
 どうもありがとうございました。


 午後7時から、山田洋次監督の「かあべぇ」などが参加するコンペディション部門の授賞式が行われました。しかし、プレゼンテーターの口に「かあべぇ」という言葉が上ることは、ついにありませんせんでした。第58回ベルリン国際映画祭で受賞した日本映画はダブル受賞した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と、新人賞の熊坂出監督「パーク アンド ラブホテル」、パノラマ部門の荻上直子監督「めがね」です。

 コンペディションの授賞式は、セキュリティー・チェックが厳しく、カメラを持ち込めませんでした。したがって、その模様を画像でお伝えすることはできません。このチェックは、テロを恐れてではなく、授賞式の映像や画像を、主催者がTVネットなどに独占販売するためでした。映画は、自由な表現のうえに成り立っているはずです。しかし、その「自由」もカネを前にすると、あまり意味を持たないのかもしれません。
 若松監督が、自分の全財産を注ぎ込んでこの作品を撮ったのは、映画作りの自由を自らの手に取り戻すためでした。カネの少なさによる苦労はいとわないが、多額の資金を導入することで生まれる制約を受け入れたくはない……。これが、監督がよく口にする「『志』があれば、映画は撮れる」ということの意味です。私たちは、映画へのその志と、日本のあの時代への眼差しを込めて、この作品を世に送り出しました。
 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、制作委員会と若松プロダクション自身が配給を行います。
 今後とも、上映へのご協力お願いいたします。
 みなさん、ほんとうにありがとうございました。

速報!

速報!

ベルリンでダブル受賞
ベルリン国際映画祭で、「実録・連合赤軍」がCICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)とNETPAC賞(NETWORK FOR THE PROMOTION OF ASIAN CINEMA賞)をダブル受賞しました。
詳細は"ベルリン国際映画祭 報告06”をお待ちください。まずは、応援くださった皆さまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

2008年2月15日金曜日

ベルリン国際映画祭 報告04

同じ志の者
「実録・連合赤軍」の今日の上映は、クーダムにある DELPHI劇場で行われました。その上映を終え、館外で観客の感想を聞いているときです。黒いコートを着た男が、若松監督に話しかけてきました。彼は、かつてのドイツ赤軍、バーダー&マインホフ・グループの活動家でした。刑期を終え、現在は貧しい子供たちや失業者を支援する社会活動をしているそうです。
「私には、この映画が非常に重く胸に突き刺さりました。若い世代には、この映画が表すものを、ちゃんと受け止めて欲しい。そして、それらを伝えてゆくのも、私たちの義務だと思います」
 事情があって、現時点では彼の顔も名前も明らかにできませんが、そこには、日本の連合赤軍の兵士たちと同じ時代を闘った者が持つ、風貌がありました。



 ドイツでドイツ赤軍をテーマにしたドキュメンタリー作品を撮った、アンドレアス・パウエル監督とも、再会しました。若松監督は、昨年秋、パウエル監督の作品が日本で上映されたとき、一度トークショーをしています。彼はいま、ドイツ赤軍の始まりを描くドラマ・フィルムを制作しようとしています。その作品が完成したら、日本に持ってゆくから必ず観てください、とパウエル監督は言いました。若松監督とパウエル監督は、親子ほども年が離れていますし、育った文化も異なりますが、あの頃の青年たちが突きつけた問題を、彼らを通して描こうとする姿勢に違いはありません。
 映画「実録・連合赤軍」には、どこかに同じ想いを持つ者たちが集まってきます。



 フィルム・マーケットと呼ばれる商談場が、1860年に造られた商工会議所で開かれていました。壮麗な建物の中には、各国映画の展示ブースがあります。ベルリン映画祭は、様々な国の様々な作品が上映される映画祭典だけではなく、映画の配給などを巡るビジネスの場でもあります。壮麗な建物の中で繰り広げられるのは、この映画祭のあまり知られていない一面です。