2006年11月25日土曜日

榛名ベース撤収

11月25日
約一週間続いた榛名ベースでの撮影も、今日が最終日。赤軍派の持原好子の逮捕と、革命左派(京浜安保共闘)の岩田の脱走で、榛名ベースを捨てざるを得なくなった連合赤軍は、約40キロ離れた迦葉山へ新たにベースの建設を始める。建設部隊が出払ったため、人数が減ってガランとした榛名ベースでは、総括を求められている革命左派の大槻節子と金子みちよが、柱に縛りけられている……。それが、今日の撮影の、トップシーンだった。
 


 今日の鬼首は、朝は冷え込んだが、日が昇ってからは一日中風もなく快晴。インディアン・サマーだ。撮影は快調。午前10時30分頃にはトップシーンを撮り終え、小屋の実際の解体に取りかかる。その解体作業を出演者たちが行うのも、映画のなかのワン・シーンだ。

 その後は、エキストラと呼ばれる使用未定のカットを撮影。

                                                                                                                                                                        
                                                                         
                                                                                                                                                          日が暮れる午後4時頃から、取り壊した榛名ベースの廃材を燃やすシーンを撮影……、の予定だった。ところが、若松監督は、たまってゆく廃材を見ると、まだ陽も高い午後2時頃、誰にも相談せずに着火。これには、現場にいたスタッフ一同、ビックリ。しかし、文字通り山のような廃材は、そのあと日没後まで数時間燃え続け、榛名ベースは姿を消した。



この炎が目撃され、連合赤軍の包囲につながってゆく。
榛名ベースのセットがなくなって、山林に戻った現場にはまさに「夢の跡」を思わせる。連合赤軍は、果たして悪夢だったのか? 過酷な状況のなかで自滅していった彼らが目指したのは、いったい何だったのか? それが、この映画の撮影現場を見ていると、徐々に明らかになりつつある。

撮影終了後、撮影部とのミーティング兼夕食を終えた監督が、出演者やスタッフが泊まっている国民宿舎にやってきた。突然の監督の訪問に、みんな集まってきた。そう広くはないロビーで自然に井戸端談義が始まった。
明日は、鬼首の最深部ともいえる鎌内に建てられた迦葉(かしょう)ベースで撮影。連合赤軍の崩壊が始まる。

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