2006年11月20日月曜日

サツキュウ

午前中は、サツキュウ(撮影休止)。鬼首は望んでいる雪ではなく、冷たい雨が降っている。撮影は午後2時から1シーンのみ。榛名ベースで一番最初に死んだ尾崎光男の総括シーンだった。
デイライト(昼間の明るさ)がなくなった頃、若松監督は車で20分ほどの鳴子温泉を訪れた。明治40年頃から続くお菓子屋さん「たまごや」の宮本さんが、ぜひ若松監督に会いたいというのだ。宮本さんは団塊の世代。宮本さんが東京で洋菓子の修行をしている頃、「あさま山荘」の銃撃戦が起きたという。
この連合赤軍の映画を、監督はおもにその時代を同時代として生きた団塊の世代と、その子供たちの世代にぜひ伝えたいと思っている。そういった意味で、山間の温泉町にもこの映画に関心を持っている人がいるのは心強い。

 

















   







                  
                   



同志の連続粛清がはじまった

榛名ベースのセットが黒いビニールシートに包まれている。小屋のなかでナイトシーンを撮影するためだ。それは、小屋そのものよりもさらに異様な光景だ。そして、そのなかからの罵声や悲鳴が聞こえてくる。榛名ベースで始まった同志の粛清だ。




 撮影は佳境に入っている。スタッフを含め40人近くが詰まった小屋のなかには、重苦しい緊張感が漂う。セットの大きさはほぼ実物に近い。厳寒の季節、その狭い掘っ立て小屋で30人近くの人間が暮らし、仲間を次々に殺していった姿がありありと浮かぶ。
意外と忘れがちなのは、同志の連続粛清が起きたこの榛名ベースに、生後間もない赤ん坊がいたことだ。それは、革命左派の山本順一・保子夫妻の娘で、生後一ヶ月足らずの頼良だった。その頼良として登場するのは、山本順一を演じる金野学武の実際の娘明日華ちゃん。明日華ちゃんは、母親の博美さんとともに一家でロケ現場へやって来た。
 撮影終了後、若松監督が泊まっている山荘に、連合赤軍の幹部役たちを集めてミーティングを兼ねた夕食。現場とは打って変わりうち解けた監督や、役柄からはうかがえぬ一面を見せる出演者たちに、空気が和む。そんななか、吉野雅邦を演じる莵田高城が、役作りのために千葉刑務所に無期懲役囚として収監中の吉野に手紙を書いたことを話した。その手紙のなかで、吉野は面会したいという莵田に「映画のなかでお会いしましょう」と答えたという。
 突然、台所が騒がしくなった。大友プロデューサー補がウィンナーソーセージの袋をあけようとして、誤って自分の指の先端を切り落とし、負傷。ただちに、山を下りて町の病院へ。幸い重傷ではなかったが、戻ってきた白い包帯姿が痛々しい。大友は監督の補佐役として、撮影現場を取り仕切っているだけに、心配だ。
























左から、地曳豪(森恒夫) ARATA(坂口弘) 莵田高城(吉野雅邦) 竹藤佳世(メイキング撮影) 若松孝二監督  並木愛枝(永田洋子)

2006年11月18日土曜日

「榛名ベース」への移動


榛名ベースへ移動。
昨日まで撮影が行われていた新倉ベースのセットから、約200メートルほど離れた杉林の中に、榛名ベースのセットがある。新たに9人の出演者が到着し、今日からはその榛名ベースでの撮影が始まった。撮影スケジュールは前倒しで進んでいる。
榛名ベースでの同志粛正は、「あさま山荘」の銃撃戦に至る重要なプロセスだった。警察の情報操作により、粛正は銃撃戦のあとに発表され、銃撃戦の存在をかすませてしまったが、彼らが酷寒の「あさま山荘」で10日間も持ちこたえたのは、彼らにその同志粛正に対する負い目があったからだった。
榛名ベースのセットは陰鬱で、どこか恐怖すら覚える。人間が次々に殺されてゆく場所、そのものだ。そこで、今回の撮影は山場を迎える。

現在の出演者は総勢27人。宿舎の国民宿舎は貸し切り状態だ。先に現場に入っていた出演者たちが、談笑する光景も見られるようになった。その交流がシナリオ上の幹部同士、兵士同士で深まっている点が面白い。
お詫び:担当者の都合により、明日(11月18日)の掲載はお休みします。


 



2006年11月16日木曜日

山奥に響く「インター」

11月15日
 午前7時半。天候、晴れ。「新倉ベース」での撮影、始まる。昨夜の雨で、現場から見上げる山の頂が白く染まっていた。現場には、出演者たちの控え室用に天幕が張られている。昨夕、現地入りした出演者たちは、緊張の面持ちだった。
ファースト・カットは、赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)の共同軍事訓練に先立つ全体会議。出演者たちのその緊張が、実際にこのとき初めて顔を合わせた連合赤軍のメンバーにふさわしい。この共同軍事訓練は、赤軍派の森と、革命左派の永田による主導権争いの場でもあった。






共同軍事訓練のシーンは、若松監督の経験が生かされた。監督は、1970年「赤軍-PFLP 世界革命戦争宣言」の撮影の折、レバノンでPFLPの軍事訓練を経験している。この軍事訓練の撮影の半ばから、雨が降り始める。山の天気は、この映画の撮影同様、変化のテンポが速い。
昼飯は、現場に配達された弁当。

 午後、連合赤軍の主導権を握ろうとする革命左派による、赤軍派への巻き返しが起きる……。それに利用されたのが、赤軍派メンバーだった遠山美枝子だった。遠山を演じる坂井真紀は語る。
「私は、〈女性〉という問題に興味がありました。日本赤軍の重信房子さんなどは、機会があれば演じてみたいとずっと思っていました。若松さんと知り合い、その重信さんの親友だった遠山さんが主人公の一人となるこの映画の話を聞いて、これこそやりたい、と思ったのです。いま、どんどん自分が遠山さんに引き込まれいるのを感じています」
屋根を叩く雨脚の音で中断する場面もあったが、撮影は午後5時頃終了。皮肉もそのときは、再び星のきれいな晴れ空だった。

そして、午後8時、静かな山里にときならぬ革命歌「インター・ナショナル」が、響き渡った。出演者たちによる、明日のシーンのための歌唱練習だった。時と場所を超えて、かつての若者たちの聖歌「インター」が響き渡る……。ここ鬼首に、映画という〈異空間〉が出現しつつある。
 




 

2006年11月15日水曜日

出演者、到来

「森」も「永田」も……、みんな来た
午後4時頃、出演者16名がJRの駅に到着。宿舎に荷物を置き、すぐに「新倉ベース」と「榛名ベース」のセットへ。そこが,彼らのステージだ。
そのあと、若松監督の地元の友人を迎え大宴会(??) 記者(B)は、かなりの酩酊状態につき、画像だけUPする。、明日からいよいよ「連合赤軍」となった彼らが、カメラの前に立つ。

事実を再現するのではなく、彼らが何を表すのか?そのことに興味がある。



2006年11月13日月曜日

ロケ・セット

11月13日
 午前7時、東京・代々木発。快晴。
今日は移動日。監督やスタッフなどが、何人かのグループでバラバラに出発した。高速道路から望む富士山が美しい。
若松監督は、何度も通い慣れた道をひたすら北へ走る。目的地は、宮城県・鬼首(おにこうべ)。その昔、坂上田村麻呂が蝦夷征伐したとき、首をはねられた鬼の首が飛んできた、と言い伝えられる秋田県の県境に近い山里だ。

 監督が運転する車が鳴子温泉に近づいたとき、空に虹が現れた。さい先が良い。その後、平成の大合併で大崎市になった旧鳴子町の役場で打ち合わせ。
 
鬼首の山荘には、すでに助監督の河野と美術の伊藤が10月17日から滞在し、撮影に備えている。彼らは地元の大工さんとともに、セットを建設していた。そのセットが、先日北海道の常呂で竜巻が起きた日、強風で屋根が吹き飛ばされたり、なぎ倒されたいう。一抹の不安とともにセットに到着。だが、伊藤らの働きにより、一軒は見事に修復済みだった。

セットは、連合赤軍が軍事訓練の基地とした「新倉ベース」、メンバーの粛正が始まった「榛名ベース」、そして彼らの逃亡が始まる「迦葉(かしょう)」ベースの三軒建てられた。見事な出来映えだった。……作り物でもあっても、そこで繰り広げられた彼らの行動が、思わず浮かんでくる。
明日、出演者16名が到着。


すでに冬が始まった鬼首で、これからこの映画の核心が始まる。









2006年11月12日日曜日

雨の大菩薩峠

11月11日
 
 「福ちゃん荘」周辺は、朝から冷たい秋雨に包まれる。
午前中は、エキストラ50人近くを動員し、現在の「福ちゃん荘」を使って、警察の機動隊による赤軍派一斉逮捕のシーンを撮影。こういった群衆シーンは、撮影のスピードが求められる。そのため、スタッフに監督の厳しい指示が飛び続け、彼らはビショ濡れで撮影現場を駆け回った。

 「早撮り」で知られる若松監督は、このシーンを2時間足らずで撮影。エキストラの皆さんは冷たい雨の中を下山していった。
御苦労様でした!!
午後は、近くの山小屋で、革命左派が最初に設けた山岳アジト「小袖ベース」を撮影。この「小袖ベース」から脱走者が出たことが、のちの同志の大量粛正につながってゆく。そいったさまざまな出来事が積み重なった果てに、あの「あさま山荘」での銃撃戦が起きたのだ。撮影現場には、40数年前の出来事が抽象化された形ではあるが再現され、歴史の重みが漂う。
 「山梨放送」と「週刊金曜日」の取材が入る。地元でも大菩薩峠と赤軍派の関連が忘れ去られつつあるいま、実際の「福ちゃん荘」を使った事件の再現は、話題を呼びそうだ。
撮影隊の本隊は、午後3時頃大菩薩を出発。いったん東京へ戻り12日(日曜日)を予備日として、13日にロケの中心となる宮城県と秋田県の県境の山へ向かう。
この奥多摩・大菩薩ロケは、出演者の心構え、スタッフの動きなどいろいろな意味でのテストも兼ねたものだった。