1月26日
激しい放水と催涙弾の白煙のなか、抵抗をけして止めない坂口、板東、吉野、加藤兄弟を機動隊員が押しつぶした。それが、「あさま山荘」に籠城した連合赤軍の5人が逮捕された一瞬だった。そして、あしかけ3ヶ月に及んだこの作品の撮影が終わった瞬間でもあった。昨年11月に、革命左派(京浜安保共闘)が実際に初めて山岳ベースを設けた奥多摩や、軍事訓練中の赤軍派が大量逮捕された山梨の大菩薩峠で始まった撮影は、事実がそうであったように真冬の山中で、放水を浴びながら幕を閉じた。
今日、若松監督が10年ほど前に建てた山荘は、重機で破壊された。実際に、警察が「あさま山荘」を制圧するとき、モンケンと呼ばれる鉄球で壁に穴を開けた場面を撮影するためだ。しかし、モンケンは、最近使われなくなったため、代わりの重機が使われた。この山荘を破壊する計画を聞かされた誰もが、最初に「もったいない!」と耳を疑った。だが、いまこうして目の前で破壊されてゆく光景を見ているると、若松監督の、そうまでしてこの作品を撮りたかった<想い>が伝わってくる。その<想い>があったからこそ、この作品の撮影は、三ヶ月かけてここまで漕ぎ着けた。
撮影されたのは事実の忠実な再現ではないが、「あさま山荘」を語るときに外せない事実として、山荘の破壊は行われた。さらに、警察が大量の放水を浴びせかけ、催涙弾を撃ち込んだように、撮影でも昨日に引き続き地元の消防団の協力により、大量の放水が行われた。少ない予算、限られた撮影日数のなかで、若松監督は最大限の撮影を行ってきた。それは、「映画は金ではない」という言葉を、ある意味で実践してゆく作業でもあった。金がなければ映画が撮れないのは事実だが、その事実を超える作品もある。
いちど放水が始まると、山荘の内部はその水飛沫で何も見えなくなる。昨日に引き続き、出演者・スタッフがずぶ濡れの撮影になった。吹き飛ばされそうな水圧のなかで5人は抵抗を続け、ついに逮捕される。それは、撮影後、ある出演者の足首が曲がり麓の病院に運ばれるほど、迫力に満ちたシーンだった。さいわい、彼は脚の筋を傷めただけで、入院が必要なほど重傷ではなかったが……。
そして、「あさま山荘」の銃撃戦が終わったとき、日本の戦後というひとつの時代が終焉を告げ、豊かさの幻想に満ちた現在の日本が始まった。「彼らが間違っていたとか、正しかったとかは、この作品を観た人が考えればよいことだ」、と若松監督は言う。この作品は、<いまの日本>の成り立ちを問い続ける。
2007年1月26日、午後3時。映画「実録・連合赤軍」の撮影、終了。
下の記念写真に写っている人たちだけではなく、その何倍もの人たちの労力と熱意、制作費を寄せてくださった多くの方々によって、この作品は無事撮影を終えることができた。
ここに写っていない人たちに、改めて感謝の気持ちを伝えます。
ありがとうございました。
お知らせ:
この作品は撮影を終え、今後ポストプロダクションに入ります。その経過を、毎日更新ではありませんが、随時アップします。映画の構想段階から、撮影、作品の完成までをインターネット上でリアルタイムに公開する試みは、おそらく日本で初めてです。今後もご愛読をお願いします。(B)
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