警察の包囲網が縮まり、連合赤軍の残存部隊坂口ら5人は、ついに「あさま山荘」に乱入した。某楽器メーカーの保養所だったそこには、客が出払った留守を守る管理人の妻がいた。彼らはその妻を拘束して「あさま山荘」に立て籠もる。だが、彼女が《人質》ならば当然求めるであろう、解放の交換条件や要求を、彼らは一切出さない。警察側は彼女を人質と呼んだが、連合赤軍の5人には彼女が人質だという意識は薄かった。
(↑管理人の妻、牟田泰子[奥貫薫])
日本で初めて、革命を目指す者たちが起こした銃撃戦、つまり「あさま山荘」事件をその内部から描く映画は、いままでなかった。いや、むしろその内部を描きたいからこそ、この作品は連合赤軍が生まれる過程を撮り、彼らが犯した過ちを描いてきたのだ。さらに、実際の関係者と関わりのあった若松監督でなければ知り得ない事実も、登場する。まさに、この「あさま山荘」の内部こそが、監督がこの映画に託すメッセージそのものだ。
もし、「あさま山荘」の銃撃戦とそこに至る歴史を克明に再現しようとしたら、制作費はとてつもなくかかるだろうし、撮影期間も計り知れないだろう。だが、この連合赤軍は、'60~'70年代を同時代として生きた映画監督ならば、撮らざる得ない、いや撮らなければならないテーマだった。若松監督はそれを現実的に実現しうる作品として撮影している。
映画の撮影現場は、非日常的な世界だ。だが、その非日常的な現場に何日も身を置いていると、それ自体が日常になってくる。
若松監督やこの日記作成者は、今日から「あさま山荘」として撮影が始まった山荘に、ずっと泊まり自炊をしていた。だが、今日、その日常的な場所が、突然、窓がバリケードで塞がれ、床に物が散乱する非日常的な空間に変わってしまった。
若松監督があえて自分の山荘を「あさま山荘」として使おうと決めたのは、あらゆる日常性を否定したかったからだろう。彼は、しばしば「慣れっコ」は嫌だと語る。映画を撮り続ける監督・若松孝二の原点は、そこにあるのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿