2008年9月2日火曜日

長野ロキシー、好評につき延長中

長野ロキシーでの上映、好評につき、延長して上映続けております。
今週末までです。
ぜひ、劇場に足をお運びください。

また、今週末は、監督が高崎と十日町の劇場にご挨拶に伺います。
こちらもどうぞよろしくお願い致します。

写真は、先週末の下高井戸シネマ最終日です。
監督とARATAさんのほか、並木さん、地曵さん、大西さんも駆けつけました。
毎度のことながら、熱いトークが繰り広げられました。
たくさんのお客様に来ていただいた1週間でした。
ありがとうございました。


2008年8月25日月曜日

下高井戸シネマ、大盛況でした

23日(土)からスタートした下高井戸シネマ。
土曜日も日曜日も、雨の中、たくさんのお客様に足をお運び頂き、
両日とも、15時5分の回は満席となりました。
上映後のトークは、劇場の扉を開け放し、
18時50分の回をごらんのお客様にも立ち見でご覧頂きました。

「最後の少年の叫びは、どの文献にも出てこないが?」
「勇気は大切だが、もっと大切なのは、どのような社会が理想なのかを
 明確にすることではないか」
「役者さんたちは、演じた人間のことを理解できたのか、どう理解したか」
「監督の次の作品の予定は?」
「DVDは出るのか?」
「監督がよくいくゴールデン街の店の名前は?」

などなど、土日とも、実に次々といろいろな質問が飛びだしました。
監督は、あさま山荘内部については、奪還された坂東氏と
ベッカー高原で会ったときに聞いたことや、監督としての表現の意味、
なぜ、これをどうしても残しておきたかったかなどを、話しました。
役者さんたちは「再現ドラマではない、自分があの状況でどう感じたか、
何を思ったか、焦りや、自己保身、一方で、同志を痛めつける哀しみ、
そんなことを感じていた」などと答えました。

今週一週間、下高井戸シネマでの上映は続きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。




2008年8月10日日曜日

新文芸坐、満員御礼です

池袋の新文芸坐にて一日上映でした。
長野で挨拶した若松監督は、新文芸坐の最終回の上映後、
挨拶にたちました。
出演者の並木愛枝さん、地曵豪さん、大西信満さんも駆けつけました。
久しぶりの都内での上映は、とても熱気あふれたものになりました。

最終回の上映は、ほぼ満員。
質疑応答の時間も足りなくなるほど、質問や感想が相次ぎました。
「監督は、粛正は森と永田の人間としての未熟さが原因と考えますか」
「あさま山荘の5人のシーンでは、解放されたように見えたが、
クッキーのつまみ食いで総括を迫るシーンは、なぜ、と思った。
やっぱり総括を信じていたのだろうかと思いました」
「当時、ほとんど動かないテレビ中継の前にかじりついて
心の中で「がんばれ、がんばれ」と思っていました・・・」
「最後の少年の叫びは、事実ですか、監督の思いの現れですか」
「役者さんたちは、演じる前と後では、どのような変化がありましたか」などなど。。。

「彼ら二人の未熟さということじゃなく、
組織というのは、どこでもそういうものになりうると僕は思ってる」
「やっぱり、解放されたと思うし、粛正してしまった同志を背負っていたと、
そういうふうに描きたかった」
「最後の少年の叫びは、坂東君から聞いたエピソードをもとに、
僕の、観客の皆さんへのメッセージとしてああいう形で表現しました」
「演じる前は、正直、学生運動や全共闘など、名前だけで実態としてほとんど知らなかった。
でも、たかだか、自分の親の世代に起きた出来事なのだと実感した。
自分につながってることとして、いったい、今、自分はどう生きるんだ、ということも含め
たとえば、今、8月は終戦関連の報道も多いけれど
それらをじっくり考えるきっかけのようなものになったと思っています」

手を挙げてくださったのに、時間が足りず、お話頂けなかった方、すみませんでした。
舞台挨拶の後は、書籍やサントラCD、Tシャツを買ってくださった方へのサイン会。
残念ながら、書籍は途中で売り切れてしまいました。
買うことのできなかったお客さま、本当に申し訳ありません。
ジュンク堂や紀伊国屋などの書店にてお求め頂けます。
また、8月23日から公開の下高井戸シネマでも販売開始しております。

次は、8月23日の下高井戸シネマの初日に、監督、出演者が駆けつけます。
ぜひ、劇場に足をお運びください。

2008年7月24日木曜日

サウンドトラックいよいよ発売です

サウンドトラックいよいよ発売です

これまで、あちこちで
「サントラないんですか?」と聞かれておりました。
みなさま、お待たせ致しました。

8月より、各地の上映劇場にて、
9月6日よりショップにて、一般販売が始まります。

ジムさんによる最新マスタリング。
スチール写真や歌詞、ジムさんインタビューなど満載の
オールカラーブックレット付きです。

2008年7月11日金曜日

今週末は盛岡、そして八戸で舞台挨拶

各地の公開に足をお運びくださったみなさま
ありがとうございます。
明日の12日には、盛岡フォーラムと八戸フォーラムで
監督が舞台挨拶に立ちます。
詳細は、各劇場ホームページでご確認ください。


7月7日(月)朝(現地時間の日曜日夜)、
NYのジャパンソサエティ主催のイベントで
「実録・連合赤軍」が上映されました。
アメリカに入国することのできない監督は、
慶應大学のサテライトキャンパスから
インターネットでNYの会場とつながり、
会場の人たちと対話しました。
また、現地の上映には、構成・脚本の掛川正幸さんが出席しました。
当日は、入場者があふれるほどの盛況ぶりだったそうです。

会場からの質問の中には
「この偉大な作業に、まず感謝申し上げたい」と始めた上で、
「彼らのなした事が、その後の共産主義活動、社会主義運動において
決定的なダメージを与えたことをどう考えているか」というものがありました。

監督は、それを1つの作られたシナリオとした上で、
「でも、組織というのは、どこであっても同じことが起きていないか。
日本の学校のいじめでも、会社組織の中での勢力争いでも
9・11で大騒ぎして、アフガンやイラクを爆撃し続けているアメリカでも
同様のことをしているのではないか。それが組織の怖さではないか」と、答えていました。

監督を入国させようとしないアメリカで、
「実録・連合赤軍」が上映され、多くのお客様に見に来て頂けて
さらにインターネットでお互いを高性能の大画面で
同時につなげることができたのには、監督も驚いた様子でした。
朝早くから、慶應のサテライトキャンパスにはたくさんの関係者の方も見えて
監督と現地とのやり取りを興味深く見守りました。

今月半ばには、ニューデリーの映画祭での上映が待っています。
そして来月8月23日からは、久しぶりに都内での上映がスタートします。
下高井戸シネマにて。
初日は、監督や出演者の舞台挨拶も予定しております!

2008年5月19日月曜日

5月24日横浜ジャック&ベティの初日に監督が舞台挨拶!

5月24日横浜ジャック&ベティの初日に監督が舞台挨拶!

ポレポレ東中野のトークイベント、たくさんの方に足をお運び頂きました。
西部さんが、ご自身の体験をもとに「ほんの数分のできごと、自分の言葉、
ほんの一瞬のボタンの掛け違いで、状況が大きく変わっていく。それが青春。
戦線を離脱する勇気も必要だった」と語り、
「現在の左翼的な良心を満足させるような自己欺瞞なところでやっている
ぬるま湯のエセ左翼に比べれば、極限の際までいった連合赤軍の若者にたいして
自分は敬虔な思いにとらわれる」と話し、一方の足立さんは、
「それは今、どのようなやり方をしてもいいじゃないか。
 それよりも、あの事件を通して、自分のあり方を激烈にとらえなおすことになった。
 これは勇気のいる作業だったのだ」と語りました。
監督は、北朝鮮で、よど号のメンバーに、この映画を見せたときのことを語りました。
よど号メンバーたちにとっての「森恒夫さん」という人物とは、
そして、同志殺しという状況に陥ってしまったことへの思い、責任などを、
監督に語ったそうです。

さて、24日は、伊勢、横浜、広島、岡山、宮崎と公開が目白押しです。
横浜の「ジャック&ベティ」での上映終了後、若松監督が舞台挨拶致します。
ぜひ、足をお運びください。

2008年5月13日火曜日

ポレポレがスタート!5月16日にトークイベント開催

都内2館目となるポレポレ東中野の初日は、
出演者のARATAさん(坂口弘役)と大西信満さん(坂東國男役)と
撮影の辻智彦さんによる舞台挨拶を行いました。
あいにくの肌寒い天気でしたが、2回目終了後の場内は
熱い熱気に包まれ、熱い質問が飛び交いました。
「森さん永田さんの存在についてどう感じたか」
「60年代の学生運動についてどう思うか」
「この映画のメッセージは何だと思うか」
「なぜ今、この映画を撮ることが必要だったのか」

「これまでのマスコミで流された単純な「悪」というイメージでは
 とてもとらえきれない。あの場に自分がいたらどうするのか
 そのことを含めて問いかけられている映画だと思う」
「同時代を体験していない以上、あくまでも、本や映像から学び
 想像することしかできないが、今の自分には、それだけの熱い何かが
 あるだろうか、と考えさせられている」
「そもそも、つい数十年前、親の世代に起きたこの事件について
 あの時代について、自分たちの知っていることといえば
 鉄球が山荘を破壊する漠然としたイメージだけ。
 そのことがとてもおかしなことだと思うし、一番の問題だと思う。
 あの時代に起きたことを、若い人が知ること、そして話し合ってもらえたらと思う」

ポレポレでは23日まで上映です。
また、16日(金)には、2回目の回上映終了後と3回目の上映前の2回、
若松孝二監督、若松監督の盟友である足立正夫さん、評論家の西部邁さんの
トークイベントがあります。
若松監督からは、ここ最近の海外訪問の報告なども含めて
ホットな話題が飛び出すことと思います。
ぜひ、ポレポレ東中野にお越し下さい。

また、テアトル新宿でも、23日までモーニング上映が続いています。
監督の思い入れの深い新宿で、封切りとなっただけに、
テアトル新宿での上映は感慨もひとしおです。
メイン上映の最終日となった9日(金)には、4月29日に引き続き、
若松監督のほか、出演者のARATAさん、並木愛枝さん(永田洋子役)
地曵豪さん(森恒夫役)、大西信満さんが、感謝を込めて挨拶に立ちました。
皆様、本当にありがとうございました。
そして、モーニング上映最終日まで、どうぞよろしくお願い致します。

(写真上:5月10日ポレポレ東中野初日の舞台挨拶
 写真中:4月29日テアトル新宿での舞台挨拶
 写真下:4月29日テアトル新宿の場内)



2008年4月28日月曜日

今夜のNews23をご覧ください

27日(日)のテアトル新宿、
二回目の回上映終了後と三回目の上映前に
足立正生さんと西部邁さんをお招きして
若松監督とのトークイベントが行われました。
会場は立ち見も出るほどの超満員でした。

西部さんが「軽率さと表裏一体の勇気、愚かさと表裏一体の正義感、
そうした人間の生き方そのものを正面から描いている」と作品について述べると
足立さんも「これまで、新左翼をバカにし、運動をバカにしてきた若ちゃんが
初めて、真正面から連合赤軍を含め、あの歴史に取り組もうとしたこと、
そのことだけで映画のパワーとなっている」と述べました。

さらに西部さんは、「生きた言葉を吐くことのやっかいさと必要さが
この映画の背後にはある」とのべ、言葉によって舞い上がったり転んだりしながら
人が言葉によって追いかけられていくことの恐ろしさを指摘、
「しかし一方で、それでもそこから逃亡しては、
マスコミの垂れ流す言葉のおうむ返しにするだけで生きながら腐っていく。
やはり、やっかいでも、生きた言葉は必要なのだ」と語りました。

トークの20分はあっという間にすぎていきました。
さて、明日のテアトル新宿には、出演者たちが駆けつけます。
坂口弘役のARATAさん、森恒夫役の地曵豪さん、永田洋子役の並木愛枝さん
坂東國男役の大西信満さんを迎えて、監督とともに、この作品について語ります。
昨日と同様、2回目の回上映後と3回目の回上映前です。
ぜひ、劇場に足をお運びください!

また、本日午後2時、かわさきFMの「岡村洋一のシネマストリート」に
若松監督が生出演しました。再放送は本日22時からです。
また、5月4日(日)の11時から放送の同番組「岡村洋一のシネマストリート」にも
出演する予定です。
79.1MHz。
監督の「我に撃つ用意あり」に衝撃を受け、
「エンドレスワルツ」にも出演していた岡村さんならではの
監督とのディープな会話が展開します。ぜひ、お楽しみに!

また、今夜のTBS系列の「New23」で、「連合赤軍」特集が放送されます。
月plusというローカル枠だそうです。
監督や出演者のインタビューも流れると思います。
ぜひ、こちらもご覧ください。

先週末からは神戸での公開も始まりました。
ゴールデンウィーク明けには、静岡や東中野、藤沢などでも
相次いで上映が始まります。
どうぞよろしくお願い致します。

2008年3月19日水曜日

いよいよ明日、西部講堂です

テアトル新宿、平日に入っても、たくさんのお客様が
連日、足をお運びくださっています。
初回、二回目は、やや混雑していますので、
少し落ち着いてご覧になりたい方、三回目がオススメです。

さて、ただいま、日本映画専門チャンネル「CINEMA HOLIC」で
「実録・連合赤軍」の番組を放送中です。
本編の映像もふんだんに紹介、さらに、出演者のARATAさんが
撮影中の思い、作品への思いを熱く語ったインタビューは必見です。
一日数回、繰り返し放送しています。
ぜひ、ご覧ください。

明日はいよいよ、京都大学西部講堂で
特別先行試写が行われます。
今週末のテアトル梅田公開を目前にしての特別試写です。
上映後には、若松監督の挨拶とティーチインが行われます。
さらに、永田洋子役の並木愛枝さんと、森恒夫役の地曵豪さんも
かけつけます。
関西の学生運動の聖地ともいうべき西部講堂での先行試写、
熱い一日となりそうです。

2008年3月16日日曜日

テアトル新宿初日、全回、満席となりました!

テアトル新宿初日、全回、満席となりました!

昨日、テアトル新宿にて、ついに初日を迎えることができました。
期待と不安の入り交じった気持ちで劇場に近づくと、
看板の前にも、モニターの前にもたくさんの人。
階段には、お客様の行列。
「残り席、わずかとなっております!」
「ここから、お立ち見となります、ご了承ください!」の声。
ロビーには、所狭しと貼られた三留さんの「闘争の軌跡」写真展に
見入っているお客様たちの姿が。
場内のスクリーンには、60年代の日大と東大闘争の記録映像が流れています。
60年代当時、連合赤軍の若者たちと同世代として過ごしたであろう方、
当時をまったく知らないであろう若い世代の方、
さまざまな世代のお客様で、劇場内はあふれかえっていました。
3時間10分という長時間にもかかわらず、20名以上の方たちが
立ち見で作品を見てくださいました。
長時間、お疲れになられたことと思います。
申し訳ありませんでした。
そして、ありがとうございました。

この日、各回上映終了後に予定されていた舞台挨拶のために、
30名近い出演者たちも劇場に駆けつけました。
皆、一様に、緊張と喜びの表情を浮かべていました。

上映終了後、まず若松孝二監督が登壇。
「映画監督の落とし前として、どうしてもこの時代を残したかった」
と語りました。
続いて、役者たちが壇上へ。
左側に「革命左派」右側に「赤軍派」がズラリと並びました。
「この作品に関わったことは、役者としてではなく人間として
 大きな意味がありました」
「党派、右だとか左だとか関係なく、人間という存在のすばらしさ、
 その弱さ、醜さ、哀しさ、そんな全てがつまった作品です」
「役者は、いろいろな人間の人生を演じる仕事です。
 しかし、自分が演じた吉野さんも、被害者も御遺族の人生も
 まだ、今も続いています」
「自分が演じた大槻さんの視線を、今も自分の中に感じています。
 今の自分に、どう生きるんだと問いかけ続けています」
「自分は、他の出演者より年齢が高く、高校生としてあの時代を過ごし、
 本棚にはサルトル全集が当たり前のように並び、あの空気を感じていた。
 その自分にとって、今の自分の仕事、生き方が、これでいいのかと
 問いなおされているような映画でした」
役者一人一人が、自分の言葉で、この作品への思い、
そして、初日を迎えられた喜びを語りました。

会場のお客様からも、さまざまな言葉を頂きました。
「この時代を、真実として描いてくださり、
 本当にありがとうございました」と言うなり、涙をこぼされた方。
「森常夫役の方は、あの時代と今の時代、比較して
 何が変わり、何が引き継がれていると思いますか」
「永田洋子さん役の方は、どうやって、あのような役作りができたのか」
「若松監督は、なぜ、こんな作品を作ることができたのか。
 なぜ、常に、これだけのエネルギーを作品の中に込められるのか」
「あの時代を生きて、運動に携わった者として、
 とても丁寧に、事実を描いた、このような作品を作ってくださって、
 監督さん、出演者の皆さんに、本当に感謝したい」
「本当は、見るのが非常に辛かった。赤軍派、革命左派のした事について
 出演者の方は、今、どのように考えておられるのか」
会場からは、同時代を生きた人や、若い人たちから、
熱く、真剣な思いが、次々と発せられました。
それに対する監督や出演者も
「自分のエネルギーの源は怒りです。そして権力の側からは表現しないことです」
「かさぶたを剥がされるようで、辛いかもしれないが、
 やってしまったことはやってしまったこととして、見つめたい」
「連合赤軍の内部で起きたことは、何も特殊な人たちのよる
 特殊な出来事ではないと思います。自分もあの場にいたらやっていただろうし、
 今の社会の組織において、学校や企業においても、少数意見が抹殺され
 人が人の存在を否定するような、同じことは起きているのではないでしょうか」
などと答え、熱気あふれる舞台挨拶となりました。

自分たちが全力でぶつかっていったこの作品の初日、
これだけたくさんのお客様が、劇場に足をお運びくださったこと。
多くのお客様が、涙を拭きながら、スクリーンを見つめてくださっていたこと。
上映後のティーチインで、たくさんの方が挙手をして、
発言しようとしてくださったこと。
出演者、スタッフ一同、本当に感謝しております。
これからも、一人でも多くの方に見て頂けるように頑張ります。
テアトル新宿にて、11時30分、15時20分、19時10分の3回、上映中です。





また、同日に紀伊國屋書店新宿本店で行われました
書籍「実録・連合赤軍」発売記念サイン会にも
たくさんの方に足をお運び頂きましたこと、改めて感謝申し上げます。
同店では、引き続き、若松孝二フェアを開催中です。
ぜひ、お立ち寄りください。

2008年3月11日火曜日

テアトル新宿に、看板が登場!

いよいよ。
いよいよ今週末、3月15日(土)、
テアトル新宿での初日がやってきます。
思えば、制作委員会を立ち上げ、このサイトを立ち上げてから
2年半が経ちました。


この間、本当にたくさんの方たちからの応援を頂き、
見守られながら、一歩一歩、進んできました。
そして、ようやく、東京での公開の日を目前にした今、
とうとうここまで来たんだ、とこみ上げてくるものがあります。

今日、テアトル新宿の入り口に、大きな看板が立ちました。
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
東京での封切りは、何としても新宿で!という監督の念願かない
黒地に赤のロゴが浮き出た看板は、靖国通りの脇にそびえ立っています。
何だろう、と足を止めて眺めている人も少なくないです。

テアトル新宿は、本編上映を前に、内装工事中ですが、
チケット売り場は12時から20時まで開いています。
前売り券、発売中です。

今週末は、テアトル新宿を熱気で満たしましょう!
監督ほか、出演者たちも総勢30名近く、駆けつけます。
劇場にて、お待ちしています。

2008年3月1日土曜日

あさま山荘の銃撃戦が終わった日

 

 

 

昨日、2月28日(木)21時。週の真ん中の夜遅くにも関わらず、テアトル新宿
は、一足早く「実録・連合赤軍」を見ようというお客様の熱気に包まれていました。
36年前のこの日、あさま山荘の銃撃戦が終結、連合赤軍の5人が捕らえられました。
90%近い視聴率で日本中の目を釘付けにした銃撃戦が終わり、
同志粛清がこれから明らかにされていこうという時でした。
そういう日を、若松監督は、特別先行上映の日として選びました。

そして、その監督の思いを見届けるべく、たくさんのお客様が劇場に足を運んで
くださいました。
上映前に、監督から短い挨拶。
この映画がとうとう完成できたこと。36年前のこの日がどういう日だったのかと
いうこと。とにかく、作品を見て欲しい、ということ。
そして、テアトル新宿で初めての『実録・連合赤軍』の上映が、静かに始まりま
した。
3時間10分後。

ロビーは、興奮した顔つきのお客様で溢れました。
取材にきていたテレビ局のマイクに、自分の衝撃を語っていた人。
泣きながら、監督に駆け寄った人。
黙って、監督に握手を求める人。
それぞれの人が、スクリーンの上で、それぞれの出会いをした。
そのことを実感しました。
劇場に来てくださった方、ありがとうございました。
そして、いよいよ2週間後に公開です。
これから劇場に足をお運びくださる方、心よりお待ちしております!


2008年2月22日金曜日

書籍、できあがりました!

書籍版「実録・連合赤軍」ともいうべき本が完成しました。
『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社刊・1470円(税込)

ARATAさんデザインのマークが目を引く赤い表紙に黒いオビ。
映画と同じく、1960年から72年の「連合赤軍」全記録、あさま山荘に籠もった吉野雅邦さんからの書簡、同じく坂口弘さんの短歌、重信房子さんら当事者たちからの寄稿や、映画を観たさまざまな人たちからの寄稿、若松監督作品史、音楽を手がけたジム・オルークや若松孝二監督のインタビューに撮影日記、出演者たちからのメッセージなど、濃密なページが詰まっています。
貴重な当時の写真もふんだんに盛り込まれています。
映画を観た後に、さらに深く味わう、あるいは、映画を見る前に、ちょっとその空気に触れる、いろいろな読み方があると思います。
全国書店にて発売中です。
上映が始まりましたら、各劇場でも発売致します。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

2008年2月18日月曜日

惜別のベルリン

惜別のベルリン
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の最終上映は、ポツダム広場にあるソニーセンター、映画博物館地下の小劇場でした。作品のW受賞がこちらのメディアで伝えられたこともあり、200人ほどの客席は満席。上映後のティーチインも熱気を帯びました。なかでも、自ら俳優だと名乗る一人が、出演者の演技を絶賛していたのが、印象的でした。


 

 

 私たちは、明日ベルリンを離れます。この1週間が長かったのか短かったのか、わかりません。しかし、ベルリンは私たちの歴史も記す街になりました。42年前、「壁の中の秘事」がこのベルリン映画祭に出品され、映画監督・若松孝二のいまが始まりました。そして、今年、最新作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」がそのベルリン映画祭で受賞したことは、映画監督としてのひとつの到達点を示しています。

 42年前、このベルリンを東西に隔てていた壁は、もうありません。しかし、いまの日本の若い世代は日本の1960~'70年代の事実をほとんど教えられず、その時代を生きた団塊の世代は、若き日々の記憶を青春という壁の彼方に仕舞い込んでいます。この作品を見てくださる多くの方たちが、あの時代への壁、日本の戦後がほんとうに終わりいまが始まった時代への壁を消し去り、現在の日本の姿を直視していただければ幸いです。
 サヨナラ、ベルリン!
 ありがとう、ベルリン!

2008年2月16日土曜日

ベルリン国際映画祭 報告05

深夜の熱論
「実録・連合赤軍」、今日はアレクサンダー広場のキュービックと言うシネコンで、夜8時から上映されました。収容能力1000人を超える大きな館内は、上映終了が深夜になるにもかかわらず、ほぼ満席。この作品への、関心の高さを窺わせます。

 アレキサンダー広場には、ベルリンのJR線にあたるSバーンの駅を挟んで、1965年に建設された高さ365メートルのテレビ塔が聳え、広く無機的な空間が広がっています。1965年は、すでにこの作品に描かれた歴史の一部です。当時は“近未来的”と考えて造られたこれらのランドマークが、いまはどこか古くさく感じられるのは、そのときに思い描いた未来が、2008年の現実とは大きく隔たっているからかもしれません。作品の登場人物たちが、描いていた未来像とどんな形をしていたのだろうか? と、思わず考えさせらるような光景です。
 



 上映終了が終電まぢかだったにもかかわらず、多くの人が若松監督とのティーチインに残りました。そして、白熱する論議は、館内の施錠時刻が過ぎても、場所を館外に移して続きました。上映のあと、多くの人がその場を立ち去りがたくなる何かを、この作品は持っています。その“何か”を、観客の皆さんに考えていただくのも、この映画のテーマのひとつなのかもしれません。
 日を追うごとに、反響の大きさと深さを実感しています。

ベルリン国際映画祭 報告06

W 受 賞ッ!

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、本日、第58回ベルリン国際映画祭・フォーラム部門で、最高賞とも言うべき「国際芸術映画評論連盟賞」と「最優秀アジア映画賞(Network for the Promotion of Asian Cinema[NETPAC])」を受賞しました。これにより、この作品づくりに関わったすべての者たちの努力が報われただけではなく、私たちがこの作品に込めた想い、つまり、日本の現代史と向き合いそれを伝える姿勢が、国際的に認められました。歴史は、語られなければ、歴史ではありません。
 どうもありがとうございました。


 午後7時から、山田洋次監督の「かあべぇ」などが参加するコンペディション部門の授賞式が行われました。しかし、プレゼンテーターの口に「かあべぇ」という言葉が上ることは、ついにありませんせんでした。第58回ベルリン国際映画祭で受賞した日本映画はダブル受賞した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と、新人賞の熊坂出監督「パーク アンド ラブホテル」、パノラマ部門の荻上直子監督「めがね」です。

 コンペディションの授賞式は、セキュリティー・チェックが厳しく、カメラを持ち込めませんでした。したがって、その模様を画像でお伝えすることはできません。このチェックは、テロを恐れてではなく、授賞式の映像や画像を、主催者がTVネットなどに独占販売するためでした。映画は、自由な表現のうえに成り立っているはずです。しかし、その「自由」もカネを前にすると、あまり意味を持たないのかもしれません。
 若松監督が、自分の全財産を注ぎ込んでこの作品を撮ったのは、映画作りの自由を自らの手に取り戻すためでした。カネの少なさによる苦労はいとわないが、多額の資金を導入することで生まれる制約を受け入れたくはない……。これが、監督がよく口にする「『志』があれば、映画は撮れる」ということの意味です。私たちは、映画へのその志と、日本のあの時代への眼差しを込めて、この作品を世に送り出しました。
 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、制作委員会と若松プロダクション自身が配給を行います。
 今後とも、上映へのご協力お願いいたします。
 みなさん、ほんとうにありがとうございました。

速報!

速報!

ベルリンでダブル受賞
ベルリン国際映画祭で、「実録・連合赤軍」がCICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)とNETPAC賞(NETWORK FOR THE PROMOTION OF ASIAN CINEMA賞)をダブル受賞しました。
詳細は"ベルリン国際映画祭 報告06”をお待ちください。まずは、応援くださった皆さまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

2008年2月15日金曜日

ベルリン国際映画祭 報告04

同じ志の者
「実録・連合赤軍」の今日の上映は、クーダムにある DELPHI劇場で行われました。その上映を終え、館外で観客の感想を聞いているときです。黒いコートを着た男が、若松監督に話しかけてきました。彼は、かつてのドイツ赤軍、バーダー&マインホフ・グループの活動家でした。刑期を終え、現在は貧しい子供たちや失業者を支援する社会活動をしているそうです。
「私には、この映画が非常に重く胸に突き刺さりました。若い世代には、この映画が表すものを、ちゃんと受け止めて欲しい。そして、それらを伝えてゆくのも、私たちの義務だと思います」
 事情があって、現時点では彼の顔も名前も明らかにできませんが、そこには、日本の連合赤軍の兵士たちと同じ時代を闘った者が持つ、風貌がありました。



 ドイツでドイツ赤軍をテーマにしたドキュメンタリー作品を撮った、アンドレアス・パウエル監督とも、再会しました。若松監督は、昨年秋、パウエル監督の作品が日本で上映されたとき、一度トークショーをしています。彼はいま、ドイツ赤軍の始まりを描くドラマ・フィルムを制作しようとしています。その作品が完成したら、日本に持ってゆくから必ず観てください、とパウエル監督は言いました。若松監督とパウエル監督は、親子ほども年が離れていますし、育った文化も異なりますが、あの頃の青年たちが突きつけた問題を、彼らを通して描こうとする姿勢に違いはありません。
 映画「実録・連合赤軍」には、どこかに同じ想いを持つ者たちが集まってきます。



 フィルム・マーケットと呼ばれる商談場が、1860年に造られた商工会議所で開かれていました。壮麗な建物の中には、各国映画の展示ブースがあります。ベルリン映画祭は、様々な国の様々な作品が上映される映画祭典だけではなく、映画の配給などを巡るビジネスの場でもあります。壮麗な建物の中で繰り広げられるのは、この映画祭のあまり知られていない一面です。









2008年2月14日木曜日

ベルリン国際映画祭 報告03

いよいよ、
「実録・連合赤軍
あさま山荘への道程

上映!


 2月13日午後7時から、ベルリン・ポツダム広場ソニーセンターの「シネスター8」で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の上映が始まりました。ベルリン国際映画祭では、上映館を変えながら合計4回上映されます。その記念すべき第1回目の上映場所は、鉄とガラスの建物が深い円形の広場を作るソニーセンターの地下にある巨大なシネコン「シネスター」の第8スタジオでした。


















 シネスター8の前には、上映10分ほど前には50人を超す人が集まっています。そして、上映開始時には、座席の前列数列を除き、800人入るという館内は、約8割埋まっていました。まず、拍手に迎えられた若松監督の舞台挨拶。その舞台挨拶のあと、主催者から43年前の「壁の中の秘め事」を出品したときの写真が手渡されました。このサプライズには、監督も大喜び。











 そして、照明が落とされ、上映開始。この闇が創り出す非日常的空間こそが、劇場で観る映画の醍醐味です。トップシーンの雪化粧した浅間山が、日本から遠く離れたベルリンの巨大なスクリーンに映し出されると、この映画に関わった万感の思いが湧き上がります。若松監督には、それは8、000キロ距離だけではなく、43年の時間を映画によって超えた一瞬でした。
 ベルリン居住中の友人によると、こちらの観客は上映作品が気に入らないと、遠慮容赦なく席を立つそうです。作品感想の第一声は、「席を立つ人が少なくて、驚いた」でした。多くの日本の観客だけではなく、ここベルリンの観客にも、3時間を越える上映時間が、けして長くなかったようです。



 上映後、永田洋子を演じた並木愛枝さんも交えたテーチインは、観客の質問に会場から拍手が湧き、監督の答えにも拍手が湧くほど、ヒートアップします。「43年前に上映されたぼくの作品が今年また上映されたように、この作品がまたいつか、このベルリン映画祭で上映される機会があることを願っています」、と監督。しかし、次の作品の上映時間が迫り、質疑応答は止むを得ず終了しなければなりませんでした。時間切れで質問ができなかった観客から、館外の人混みの中で次々に直接若松監督へ飛ぶ質問……。
 冬のベルリンの、熱い夜でした。

2008年2月13日水曜日

ベルリン国際映画祭 報告02


42年前の参加作品、
「壁の中の秘事」上映

 リアルタイムで報告をお届けするなんて言いながら、これで二日遅れになってしまい、申し訳ありません。取り急ぎ、12日の模様をお伝えします。

 午前中、若松監督は映画祭の本部があるポツダム広場の事務局へ出かけました。「フォーラム部門」に招待された各国の人で熱気があふれる事務局では、若松監督へのインタビューの申し込みなどが相次ぎ、スケジュールが決められてゆきます。
 ポツダム広場は、「ベルリンの壁」があった頃には、建物がない野原でした。東西ドイツの統合後は、ここをかつての繁華街にしようという都市計画が進み、いまではソニーやベンツが手がけた現代的なビル群が立ち並ぶ新都心になっています。そのポツダム広場には、映画祭のIDカードをぶら下げた人達が行き交い、シンボルマークの熊の像が描かれ、映画祭の雰囲気で溢れかえっていました。



 午後は、ベルリン最大の繁華街、かつての西ベルンの中心地・クーダムにある DELPHI劇場で、42年前の出展作品「壁の中の秘め事」が上映されました。上映後は、監督と観客のデスカッション。お客さんたちからは、活発な質問が溢れます。その後、ベルリン在住の友人たちと、かつて「壁の中の秘め事」が上映されたツォー劇場へ出かけました。友人たちの会話では、今回の「実録・連合赤軍」にまつわる人たちの話題が、次々に飛び出します。その祝杯には、懐かしさよりも、その思い出を巡る「いま」がこぼれていました。