第22回多摩CINEMA FORUMにて、
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」
森田必勝を演じた満島真之介が
最優秀新進男優賞を受賞した。
そして昨日、ベルブ永山のホールにて、
「11.25自決の日」の上映と井浦・満島のトークが行われた。
満員の場内には、遠くは大阪から見えたお客様も。
そして、思わぬ交通渋滞により井浦の到着が遅れ
満島一人でトークがスタートした。
「受賞の知らせを聞いて、監督からすぐに電話をもらった。
良かったな、と喜んでくれました」と、初の一人でのトークに
緊張しつつ話し始めた満島。
新宿の古い喫茶店に、破れたシートの自転車にまたがって
現れた若松孝二との初めての出会いの衝撃を語った。
「ユマニテの社長とばかり話していて、僕の方を
ほとんど見ないんです。だけど、時折僕をちらっと見る
サングラスごしの一瞬の目が忘れられないんです。
監督から言われたのは「髪を切れるか?」ということと
「自衛隊に訓練に行けるか?」という2つだけで」
一体、なんで自分に決まったのかすらわからずに
現場がスタートしたのだ。
そうだ、誰もが、いつも、状況がよくわからないままに
まずは走り始めるのが若松組である。
走り出しながら、人間の中から、なにものかを絞り出すのが
若松孝二だったのだ。
そして、初めての劇映画の出演が、若松組だったという満島の
悪戦苦闘の日々が始まったのだった。
…と、あの日々を思い返して語っている間に
井浦新が到着、「遅れてすみません!」と会場に入るや
拍手がわき起こった。
ロケ中は、監督の「バカヤロー、やめちまえ!」
「幼稚園生みたいな芝居するな!」という罵声を浴び続け
何も考えられず、ひたすら監督と井浦の背中だけを見つめ続けていた
という満島に、新は
「真之介は、僕が若松組の現場を見た中でも
最も強烈に追い込まれ続けていて、羨ましいほどではあったけれど
監督から同じく檄をもらった者として、
彼の精神状態はわかれど、助け船を出すことはできない。
ひたすら、真っ青な顔になっていく真之介を見守り続けた」と
当時を振り返った。
井浦自身も、監督との出会いとなった『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に
出演することになった経緯を語り、
「監督が連合赤軍を撮る、その事自体が事件だと思った。
役者としては参加できずとも、現場の最前線に存在していたいと思った」と
監督に「スタッフでも何でもいいから、現場に行かせて欲しい」と
直談判した胸の内を話した。
「若松孝二」が、今、トークの場に座っていない現実が
今や、当たり前の事として動き出している。
ホールのロビーには、過去の映画祭の受賞者たちの写真が
並んでいた。
2010年、「キャタピラー」で新進男優賞を大西信満が、
最優秀女優賞を寺島しのぶが、特別賞を若松孝二が受賞し、
3人の写真が何枚も並んでいた。
時間は、とどまる事なく、さらさらと流れ続けて行く。
監督がいた時間があり、監督がいなくなった時間が流れ、
しかし、井浦や満島ら、一人一人の存在の中に
若松孝二がしっかりと刻み込まれ、作品の中にも若松孝二が生きている。
そのことを引きずって、覚悟して引きずっていくしかないのだと
井浦の眼差しが、教えてくれた。
いよいよ、今週23日(金)には、テアトル新宿にて
「若松孝二 追悼を超えて」の第一弾、オールナイトイベントが始まる。
写真は、上映終了後、若松プロ恒例となった公式ブック販売に
並んで下さるお客様たちの長蛇の列。
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