長らく更新が途絶えてしまい、失礼致しました。
この間、明治学院大学の「若松孝二研究」イベントなどで、
各国から集まった研究者たちによる、
監督の作品の考察が展開されました。
こちらの内容も、かなり興味深いものですので、
近い内にレポートをアップします。
さて、とうとう、「実録・連合赤軍」の原作が完成しました。
1960年の安保闘争から、1972年のあさま山荘に至るまでの
まさに、「実録」です。
1960年6月15日。国会議事堂周辺を埋め尽くす10万人の群衆。
あの激動の時代、日本で、世界で何が起きていたのか。
連合赤軍はなぜ生まれ、なぜあの事件に至ったのか。
赤軍の若者たちは、何を思い、何を求め、どう動いたのか。
あさま山荘で、どのような会話が交わされていたのか。
その事実を刻銘に記録した、渾身の原作です。
そして、先週末、できたての原作を手に、
ロケハンへ行ってきました。
冬のロケハンに続く、2度目のロケハンです。
赤軍の若者たちの山での日々を思い描きながら
山の中、沢などを歩き回りました。
監督が頭に描くイメージと
カメラマンや美術の人など、その場にいた人たちのイメージが
少しずつ重なり合っていきます。
いよいよ、秋のクランクインに向けて
本格的に動き始めました!
このサイトも、近く、リニューアルします。
皆さん、チェックしてくださいね。(A)
2006年7月20日木曜日
2006年5月26日金曜日
闘争心
5月23日、ソウルの映画祭から、監督が帰国しました。
「天使の恍惚」から「赤軍ーPFLP世界戦争宣言」「17歳の風景」まで
12本の作品がソウルで上映されました。
「作品には、個的な闘いが出てくるけれど
世の中の革命は、大勢でやらなければできないんじゃないですか」
こんな質問が、会場から出たそうです。
「あ、来たな、と思ったんだ」と監督。
「個的な闘いのできないヤツが100人集まったって革命はムリ。
個的な闘いのできるヤツが10人集まれば、1000人にも勝てるんじゃないですか」
そう、監督は答えたそうです。
「どんな事に対してもそうだと思うよ。
徒党を組まなければ動けない人よりも、
一人でも動くヤツが10人いれば闘える」
監督は、国会でギリギリの攻防の続く「共謀罪」についても
闘う姿勢を変えません。
「作れるものなら作ってみろ、このやろうって。
向こうが強行採決してきたら、それを利用してやればいいんだよ。
それにひっかからないように、こっちも頭を使いながら闘えばいいんだよ。
成立したからって、それで闘いが終わりじゃない、それからなんだから。
そんなもの作った政治家なんて、落としてやればいい。
表現への弾圧が、来るかも知れないけれど、
俺は、弾圧されようがどうしようが、表現は続ける。
表現という手段で闘ってきたんだから。
言いたいことを言っても、俺がおまんま食えてきてるんだから、大丈夫だよ。
言ってダメになるヤツは、言っても言わなくてもダメになるんだから
言いたいことを言えばいいんだよ」
ソウルの映画祭で、監督は、自分の勝負の仕方について、
こう話しました。
「俺はね、お客をだまして、映画を見せる。
そして、お客がそこで何かを感じれば、俺の勝ちじゃないですか」
作品を通して、監督と観客が対峙する瞬間です。
「侵略のためのテロと、解放・自衛のためのテロがある。
解放のためのテロ、正しいテロは、ある。
みんな、そういうことを言わなくなってきたけれど。
そして、ぼくの映画はそっちに向いているんじゃないですか」
かつて、パレスチナの難民キャンプ、シャテーラキャンプの大虐殺の直後に
監督は現地に入っています。
虐殺の現実を、目の当たりにしたのです。
「母親がレイプされたり、父親が虐殺されたりしたら、
その子はそれからの人生を、復讐に賭けるんじゃないですか。
殴られた方は、その痛みを忘れられないでしょう。
だから、あなたたちの両親、祖父母は、忘れないでしょう。
その痛みは、パレスチナにつながっているのかもしれない」
ソウルの映画祭で、監督はそう話しました。
この映画祭のスタッフたちが、みんなでお金を出し合って
「実録・連合赤軍」の制作費を集めてくれました。
この義理を返すのは、いい作品を作ること。
クランク・インに向けて、監督の熱は高まっています。(A)
「天使の恍惚」から「赤軍ーPFLP世界戦争宣言」「17歳の風景」まで
12本の作品がソウルで上映されました。
「作品には、個的な闘いが出てくるけれど
世の中の革命は、大勢でやらなければできないんじゃないですか」
こんな質問が、会場から出たそうです。
「あ、来たな、と思ったんだ」と監督。
「個的な闘いのできないヤツが100人集まったって革命はムリ。
個的な闘いのできるヤツが10人集まれば、1000人にも勝てるんじゃないですか」
そう、監督は答えたそうです。
「どんな事に対してもそうだと思うよ。
徒党を組まなければ動けない人よりも、
一人でも動くヤツが10人いれば闘える」
監督は、国会でギリギリの攻防の続く「共謀罪」についても
闘う姿勢を変えません。
「作れるものなら作ってみろ、このやろうって。
向こうが強行採決してきたら、それを利用してやればいいんだよ。
それにひっかからないように、こっちも頭を使いながら闘えばいいんだよ。
成立したからって、それで闘いが終わりじゃない、それからなんだから。
そんなもの作った政治家なんて、落としてやればいい。
表現への弾圧が、来るかも知れないけれど、
俺は、弾圧されようがどうしようが、表現は続ける。
表現という手段で闘ってきたんだから。
言いたいことを言っても、俺がおまんま食えてきてるんだから、大丈夫だよ。
言ってダメになるヤツは、言っても言わなくてもダメになるんだから
言いたいことを言えばいいんだよ」
ソウルの映画祭で、監督は、自分の勝負の仕方について、
こう話しました。
「俺はね、お客をだまして、映画を見せる。
そして、お客がそこで何かを感じれば、俺の勝ちじゃないですか」
作品を通して、監督と観客が対峙する瞬間です。
「侵略のためのテロと、解放・自衛のためのテロがある。
解放のためのテロ、正しいテロは、ある。
みんな、そういうことを言わなくなってきたけれど。
そして、ぼくの映画はそっちに向いているんじゃないですか」
かつて、パレスチナの難民キャンプ、シャテーラキャンプの大虐殺の直後に
監督は現地に入っています。
虐殺の現実を、目の当たりにしたのです。
「母親がレイプされたり、父親が虐殺されたりしたら、
その子はそれからの人生を、復讐に賭けるんじゃないですか。
殴られた方は、その痛みを忘れられないでしょう。
だから、あなたたちの両親、祖父母は、忘れないでしょう。
その痛みは、パレスチナにつながっているのかもしれない」
ソウルの映画祭で、監督はそう話しました。
この映画祭のスタッフたちが、みんなでお金を出し合って
「実録・連合赤軍」の制作費を集めてくれました。
この義理を返すのは、いい作品を作ること。
クランク・インに向けて、監督の熱は高まっています。(A)
2006年4月27日木曜日
本物な人
フランクフルトの「日本コネクション」という映画祭に
招待されていた監督が、日本に帰ってきました。
昨夜、新宿にて、映画の構成の打ち合わせをしました。
フランクフルトでは、ルフトハンザ航空の客室乗務員が
休暇をとり、ボランティアとして監督に同行してくれました。
「助監督経験者かな、と思うくらい、とても気配りの細やかな人だったよ。
客室乗務員だと聞いて、なるほど、だからか、と思った」
さて、向こうの映画祭で、監督はこんな話しをしたそうです。
「ものを作る人は、時の政治を批判する目を持たなくちゃいけない。
批判しながらでも、ちゃんと仕事ができるのが本物じゃないかな。
批判したら、CMの仕事が来なくなるとか、TVに出られなくなるから、と
言うべきことも言わないのは、ものを作る人間として情けないと思う」
表現者として、批判の目を忘れない。
監督の、ものを作る人へのメッセージであり、自分への問いかけでもあります。
来月の監督は、ソウルの映画祭へ。(A)
招待されていた監督が、日本に帰ってきました。
昨夜、新宿にて、映画の構成の打ち合わせをしました。
フランクフルトでは、ルフトハンザ航空の客室乗務員が
休暇をとり、ボランティアとして監督に同行してくれました。
「助監督経験者かな、と思うくらい、とても気配りの細やかな人だったよ。
客室乗務員だと聞いて、なるほど、だからか、と思った」
さて、向こうの映画祭で、監督はこんな話しをしたそうです。
「ものを作る人は、時の政治を批判する目を持たなくちゃいけない。
批判しながらでも、ちゃんと仕事ができるのが本物じゃないかな。
批判したら、CMの仕事が来なくなるとか、TVに出られなくなるから、と
言うべきことも言わないのは、ものを作る人間として情けないと思う」
表現者として、批判の目を忘れない。
監督の、ものを作る人へのメッセージであり、自分への問いかけでもあります。
来月の監督は、ソウルの映画祭へ。(A)
2006年4月26日水曜日
サンドニ映画祭にて
ここしばらく、更新が途絶えており、申し訳ありませんでした。
監督は、日本を出たり入ったり、忙しくしています。
現在は、フランクフルトの映画祭に招待されて、ドイツにいます。
先月のフランス「サンドニ映画祭」の写真をアップロードします。
監督は、3月3日、フランスより帰国しています。
「もうちょっと長く滞在していたらな、CPAに反対する
全国300万人のデモに居合わせることができたんだけどな。
フランスはすごいね。
労働者と学生が一緒に立ち上がって、
流れを変えてしまうんだから。
今の日本で、あんなことが起きるかな」
と監督。
監督とツーショットでうつっているのは、

映画祭で監督と対談したフランスの映画監督、カトリーヌ・ブレイヤーさん。
1948年生まれのカトリーヌさんは、17歳で小説家としてデビュー、脚本家を経て、監督に。
「性と女性の欲望」をテーマに、リアルな性を描き続けています。
「実録・連合赤軍」の制作準備は、お陰様で、着々と進みつつあります。
チラシを配布してくださっている映画館やビデオショップなども全国に広がっています。
監督は、日本を出たり入ったり、忙しくしています。
現在は、フランクフルトの映画祭に招待されて、ドイツにいます。
先月のフランス「サンドニ映画祭」の写真をアップロードします。
監督は、3月3日、フランスより帰国しています。
「もうちょっと長く滞在していたらな、CPAに反対する
全国300万人のデモに居合わせることができたんだけどな。
フランスはすごいね。
労働者と学生が一緒に立ち上がって、
流れを変えてしまうんだから。
今の日本で、あんなことが起きるかな」
と監督。
監督とツーショットでうつっているのは、

映画祭で監督と対談したフランスの映画監督、カトリーヌ・ブレイヤーさん。
1948年生まれのカトリーヌさんは、17歳で小説家としてデビュー、脚本家を経て、監督に。
「性と女性の欲望」をテーマに、リアルな性を描き続けています。
「実録・連合赤軍」の制作準備は、お陰様で、着々と進みつつあります。
チラシを配布してくださっている映画館やビデオショップなども全国に広がっています。
2006年3月18日土曜日
監督、怒る!
監督は怒っています。
今週、大学構内の立て看板の撤去に反対した学生たち29人が
法政大学の110番通報で逮捕されるという事件が起きました。
16日、イラク駐留米軍が戦争終結以来
最大規模の空爆を開始しました。
やはり16日、公務員削減に関する改革で
小泉首相の諮問機関が「凶悪犯罪の増加」などを背景に
刑務所や拘置所の職員に限っては、増員はやむを得ない
という認識で一致しました。
「今の時代に、こんな事が次々に起きているのに
どうして、あの時代、立ち上がった連中は怒らないんだ?
オレは怒ってるよ。
今の、こんな時代の状況をとらえるためにも
もう1度、あの時代の若者たちの闘いが何だったのか
そして、その先の連赤とは何だったのかを
オレは撮るよ」
監督は言います。
「何がどうなっても、どうしても撮る。
自分のためじゃない。
これを撮らないと死ねない、という思いなんだよ。
もしかしたら、命を落としていった若者たちが
自分たちの思いを伝えて欲しいと言っているのかな
と思うこともあるけど、
とにかく、あの事実は、どうしても残しておかなくちゃいけないと
思っているんだよ」
あの頃、若者は何に怒っていたのか。
その怒りはどこへいってしまったのか。
監督の問いかけは、届くでしょうか。(A)
今週、大学構内の立て看板の撤去に反対した学生たち29人が
法政大学の110番通報で逮捕されるという事件が起きました。
16日、イラク駐留米軍が戦争終結以来
最大規模の空爆を開始しました。
やはり16日、公務員削減に関する改革で
小泉首相の諮問機関が「凶悪犯罪の増加」などを背景に
刑務所や拘置所の職員に限っては、増員はやむを得ない
という認識で一致しました。
「今の時代に、こんな事が次々に起きているのに
どうして、あの時代、立ち上がった連中は怒らないんだ?
オレは怒ってるよ。
今の、こんな時代の状況をとらえるためにも
もう1度、あの時代の若者たちの闘いが何だったのか
そして、その先の連赤とは何だったのかを
オレは撮るよ」
監督は言います。
「何がどうなっても、どうしても撮る。
自分のためじゃない。
これを撮らないと死ねない、という思いなんだよ。
もしかしたら、命を落としていった若者たちが
自分たちの思いを伝えて欲しいと言っているのかな
と思うこともあるけど、
とにかく、あの事実は、どうしても残しておかなくちゃいけないと
思っているんだよ」
あの頃、若者は何に怒っていたのか。
その怒りはどこへいってしまったのか。
監督の問いかけは、届くでしょうか。(A)
2006年3月7日火曜日
サンドニ映画祭より帰国
3月3日、フランスのサンドニ映画祭に招待されていた監督が
すべてのスケジュールを終えて、帰国しました。
映画祭での質疑応答で、監督はこう言ったそうです。
「自分が唯一、映画の撮り方で影響を受けたと言えるのは
ゴダールさんです。
それは、映画には文法がないんだ、ということ、
そして、本当に撮りたいという志さえあれば
映画は撮れるということを、そして、
お金がなくても映画は作れるんだ、ということを
彼の映画で知ったんです。
これは、あくまで、内容についてではなく
撮り方の話しですが」
監督のフランスでの様子は、
また改めて、詳しくご報告します。(A)
すべてのスケジュールを終えて、帰国しました。
映画祭での質疑応答で、監督はこう言ったそうです。
「自分が唯一、映画の撮り方で影響を受けたと言えるのは
ゴダールさんです。
それは、映画には文法がないんだ、ということ、
そして、本当に撮りたいという志さえあれば
映画は撮れるということを、そして、
お金がなくても映画は作れるんだ、ということを
彼の映画で知ったんです。
これは、あくまで、内容についてではなく
撮り方の話しですが」
監督のフランスでの様子は、
また改めて、詳しくご報告します。(A)
2006年2月20日月曜日
ロケハン行ってきました
先週末、「実録・連合赤軍」のロケハンに行ってきました。
雪深い山、風にあおられて舞い上がる雪煙、
山間を流れる急流、薄日がさしたかと思うと吹雪き出す山の空。
「17歳の風景」に続いて撮影を行う
カメラマンの辻智彦さんが、
新しいカメラを持参、試し撮りをしました。
監督が思い描く1つ1つのシーンが、
具体的なイメージとなっていくロケハン。
真っ白な大地を眺めていると
吹き上がる雪の渦の向こうの裸の木々の間から、
赤軍の若者たちの姿が見えてくるような気がしました。
脚本、撮影、この映画づくりに携わる一人ひとりが
監督の描くイメージを、風の音、木々の影、雪の深さ、
具体的な手触りとともに感じた瞬間でした。
今週後半、監督はサンドニ映画祭に招待されて、
フランスへ発ちます。
監督がフランスにいる間も、
日本では制作準備を着々と進めていきます。
チラシ配布など、引き続き、ご協力くださる方を求めています。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。(A)
雪深い山、風にあおられて舞い上がる雪煙、
山間を流れる急流、薄日がさしたかと思うと吹雪き出す山の空。
「17歳の風景」に続いて撮影を行う
カメラマンの辻智彦さんが、
新しいカメラを持参、試し撮りをしました。
監督が思い描く1つ1つのシーンが、
具体的なイメージとなっていくロケハン。
真っ白な大地を眺めていると
吹き上がる雪の渦の向こうの裸の木々の間から、
赤軍の若者たちの姿が見えてくるような気がしました。
脚本、撮影、この映画づくりに携わる一人ひとりが
監督の描くイメージを、風の音、木々の影、雪の深さ、
具体的な手触りとともに感じた瞬間でした。
今週後半、監督はサンドニ映画祭に招待されて、
フランスへ発ちます。
監督がフランスにいる間も、
日本では制作準備を着々と進めていきます。
チラシ配布など、引き続き、ご協力くださる方を求めています。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。(A)
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