2013年6月10日月曜日

2013.6.1.2シネマ尾道レポート「井浦新×大西信満若松孝二を語る!」

6月8日から21日の「若松孝二監督追悼特集」に先駆けて、6月1日2日シネマ尾道にて「井浦新×大西信満 尾道で若松孝二を語る!」トークイベントが行われました。梅雨入りし足元の悪い中、沢山のお客様が全国から尾道へ駆けつけて下さいました。
井浦新さんと大西信満さんが初めての若松組参加となった「連合赤軍」から「千年の愉楽」までの5作品を作品ごとに全てを語り尽くすという2日間に渡る若松映画ファンにはたまらなく贅沢な大プログラム。
会場は満席を超える熱気の中、まずは「11.25自決の日三島由紀夫と若者たち」の上映後、ご登壇いただきました。


 


井浦 皆様こんにちは。今日は尾道にお招きいただきありがとうございます。時間の許す限り、2日間僕達の話をぜひ聞いてください。
この作品では集中するしかすることがなく、細かな記憶が途切れていて思い出が語りにくい作品ですが、大西君が現場でよく怒られたり寺島さんや美術さんのサポートをしていたのは記憶しています。
大西 若松監督は、あの当時研ぎすまされていた。新さんは新さんで、役が降りて来ていて、かかとの骨を折って無茶をしたりと「狂気」があったので僕ぐらい しか新さんと話せなかった。監督は、僕づてに新さんの様子をうかがったり、役者同士のパイプ役もしていました。人間関係の結びつきは、カメラの前だけで やってもバレるので、そこをしっかり作りたいと思った。
井浦 この後に上映する「海燕ホテル・ブルー」は名作です。「三島」の2週間後に撮り始めた作品で、二つはどこか繋がっています。「海燕」はスタッフキャ スト含めて15人ぐらい、そんな事は一般の映画ではありえないし純粋な若松組のみの撮影でした。「三島」と「海燕」は真逆で面白かった。
大西 現場に人が多いと若松監督は、ピリピリする。短期間で数本撮るといったように、お金も人も無駄が嫌いで、常に合理化を求めていました。そう言え ば…。新さんは「三島」をやってから変わったよね。それ以前は、話をしなかったから困っていた。やりきった役は、ちゃんと落とし込めていて生涯消えないも のだと思った。
井浦 監督は、スケジュールも何もかも全て自分でやるので、「三島」の時監督と二人でいろんな所を回って、それに鍛えられました。
大西 話さなかった新さんが、いきなりトーク番組に出ているから驚いた。(会場爆笑)自分も全国で話させてもらっているけど、しかし新さんは「連合赤軍」の時は何もしゃべらなかったよね。
井浦 でも、大西君も「キャタピラー」の時は話さなかったじゃない。
大西 そうゆう役だから…。
井浦 若松監督は、トークイベントでたまにキレる。監督はマイクを持つと一人で話してしまうので自分で割り込まなくてはいけないから、自分から話せるよう になった。きっと「キャタピラー」の時、シネマ尾道でも監督、時間押したのでは…。それだけ伝えたいことがあったのだろうと思う。「俺が撮りたいのはお前 らの顔なんだ」と、監督はよく言っていた。事実を知る必要もなく、もしそこに自分がいたら自分はどうするか、それが重要で監督が撮りたいものだった。だか ら表情のアップが多い。
大西 客観的事実をなぞるだけのものには興味はなく、なぜそうなったかという人の気持ちを撮りたいと思っている監督だった。ただの狂気を撮るのではなく、彼らにどのような熱い気持ちがあったかという、先人に対するリスペクトだったように思う。

話はますます盛り上がり、質疑応答タイムへ。

お客様 お二人が監督に影響を受けた所、また尊敬している所は?
井浦 一番は生き方のところ。人生論などは話さなかった監督でしたが、どのように生きているのかという監督個人の生き方に影響を受けました。役者としてで はなく、一人の人間として作品に関わるよう追い込まれる。追い込み方として、サバイバル的な価値観や経験から求められる。それに食らいつくのが必死でし た。何を考えているのか自然に察知できるよう、監督は仕向けていたのかもしれません。若松組の訪れたロケ地は、訪れる前よりきれいになる。枝が役者の顔に かぶることもそれが現実でよしとしていました。他の監督のように家がじゃまだから消すなんて絶対にしない。「千年の愉楽」でもそうだったのですが、その時 代にないものを写して作品にする事を恐れなかった。それは、一番伝えたいのは人の心だったから。そこに集中すれば、電信柱なんてどうでもいい。少ない予算 がベースにあったとしても、そんな監督の考え方に勇気をもらいました。
大西 このテーマだけでもオールナイトできますが、若松監督は人のために何かやることがとても多い人でした。「キャタピラー」は賞をもらったので動員が見 込めるし、いろんな映画館からオファーが来ていたのですが、それよりこれまでの映画を流してくれた人を優先していました。損得を越えて、人は一人で生きて いけないから、人との繋がりを大切にしていた。
井浦 あたり前の事をあたり前にすることは難しく、いつもの仕事を自分の積み重ねてきた知識だけで動こうとするな、知ったかぶりするな、という役者も監督 も特別な仕事ではないといつも言っていました。何より監督は、軽薄な人間が大嫌いでした。僕らはうまく立ち回れるようなタイプではないので、人前で話す機 会を与えてもらえて、大事にしてもらえて若松監督に感謝しています。


午後より「キャタピラー」上映後、2回目のご登壇。
井浦 「キャタピラー」について話すのは久しぶりです。軍人その1を演じました井浦新です。
大西 えっ!?その2でしょ?僕顔半分ないけど…新さんの方がセリフ多いよね。
井浦 一日で帰ったのにね。
大西 愛国心などを語る映画にしたくなかった。そんなに誰にでも好かれるような作品でもないのですが、兵隊だけでなくその家族が戦争によってどんな思いをしたかなど監督も戦争を経験しているので、その事をそうしても描きたくて。
井浦 観る人が目を覆いたくなるような作品だけど、戦争は何も生まないという事を追及していて監督はそこを描きたいと言っていました。
大西 誰もがそうなる可能性がある時代だった。夫婦関係だけでなく、個人すら保てない時代への監督は批判もあったのだと思う。女性は子供を産むための道具 であるという時代への批判。手足を失い言葉を失い人格も破綻して帰ってきたという事の自業自得と言うか…男が女に道具である事をあたり前に思う事をさせた 国家をすごく否定されていました。
井浦 監督は女性への敬意に溢れている方。女性のレイプを撮っていたとしても監督はその行いをした男性を否定していて、「千年の愉楽」もそうでしたが、監督はいつも女性に優しい眼差しを向けていました。
大西 若松監督と濃い関係を築いてきましたが、よく女性に対する気持ちの事を言われていて、監督自体は男の塊のような方ですが…。「キャタピラー」はよく 女性に反感をかわれますがそれは違っていて、監督も子供ながらに国や女性に対するものに違和感を覚えていた。「国家として始めた戦争を個人が引きずるん だ」という事を、全国を舞台挨拶で回った時に、お客さんに言われ印象に残っている。ちょっと視線を引けば無駄なことだと分かるが、渦中の人はそんな事は思 えなくて、その気持ちを映画に残したいと監督は言っていました。
井浦 「キャタピラー」はおだやかな現場であったという印象。
大西 そうだね。淡々と静かに撮影していたという印象。今の若者がどうやっても出てこないものを監督は引き出してくれた。連合赤軍の時は常に毎日ご飯を食 べていくような仲間を意識させるような撮影でしたが「キャタピラー」の時はみんな勝手にご飯を食べていた。本当にこれが若松組なのかと思うぐらい…。井浦 さんが現場にいらっしゃった時、本当に久しぶりに人と話した。
井浦 監督は大西さんの芝居を「わーわー言ってるだけで、楽な仕事だなぁ」と言っていました。まぁ、もともと褒める監督ではないのですが。
大西 監督は自分にしか文句を言わないのだけど最後に呼ばれて「お疲れ!一番高いステーキ食っていいぞ!」とご馳走になって。でも、話す事なくて…。で、 最後に「お疲れ!」って言って帰った。監督は本人には何も言わない。よく僕と新さんとで映像を撮ったけど「キャタピラー」の思い出はあまりないような…。
井浦 違うんだよ。若松組で主演をやるのはとてもプレッシャーのかかる事なんだよ。三島もそうだったようにだから余裕がなくなる。
大西 若松監督は100本以上戦争映画を撮っているけど、こんなストレートなものは初めてで監督の気持ちを考えた。最後のシーンで錯乱状態を撮った時、頭 に本当に怪我をしていて病院に行って縫わないといけなくて髪を剃らないといけなかったんだけど、撮影中だから剃るわけにいかなかったから医療用ホッチキス で留めていて。そしたら監督が飲みに誘ってくれて。このタイミング!?と思ったけど断れなくて。おかげで翌日は枕が血だらけだった。その飲みの時も会話は 「美味い」としかなかった。言葉はなくても監督の背中を見て教わってきた。
井浦 監督は、僕には話してくれる。移動中は二人でいると大抵どちらかが話しているけど、大西君の時は結構無言みたいで。
大西 そうそう。監督はせっかちで二人で5時間ぐらい無言とか。宮城から北海道に行く時、青函トンネルを楽しみにして通りたかったみたいで6~8時間。でも、トンネルから海なんか見えなくて監督不機嫌になっちゃって無言みたいな…。
井浦 大西君が連合赤軍の時も何を言っても大丈夫だと言うのを監督は見ぬいていて、僕がミスをしても大西君が怒られる。二人は気を使わないで一緒にいられたんだろうなと思う。
大西 でも無理してしゃべらなくてよかったんだから、しゃべらない時間の中でいろんな事を受け取ってきたのかなぁ、とも思う。僕たちは結構一緒にいるけど、真逆だったね。
井浦 「キャタピラー」でのた打ち回るシーンはホントによかったと監督は言っていたよ。
大西 「連合赤軍」でも「キャタピラー」でも僕が怪我をするから、監督は根に持っていた。監督は美術や小道具にこだわるのが嫌いで、そんな中血だけのシー ンもあって僕はフリをしてはいけないと感じていた。音を乗せたり痛がっているフリをしてはいけないと思った。そうする事で映画を無駄にしてはいけないと 思った。映画ではフラッシュで画面を切り替えたりしているが現場は15分ぐらい回し続けていて。その演技を何度も出来ないし、すごく静かなのに怒号が飛ぶ みたいな。目薬で泣くことを許す監督ではなかった。自分で泣く準備をしていたのに耳元で監督が「泣けー!」と叫ぶから全て飛んでしまった。(会場大爆笑)

トークが盛り上がる中、質疑応答タイムへ。

お客様 夫婦が通じ合っていないと大西さんはおっしゃっていましたが、卵を投げるシーンなど印象的でそれによって通じ合っているようにも見えたのですが。
井浦 自分は大西さんと寺島さんを見ていると、本当に相性がいいなと感じます。寺島さんは大西さんに気を遣わなくてもいいからかもしれない。アドリブも多いと思うけど、そのアドリブも関係性があってこそだから。
大西 寺島さんとは以前もキツイ作品で共演していたのでそれもあって監督もそこを狙っていたのかもしれません。
お客様 大西さんの役は狂気溢れていましたが、オンとオフの切り替えはどうのように?
大西 撮影中は常にオンなんですけど、役に入るために僕は時間が必要で撮影以外はくるくるパーです。(笑)
井浦 大西さんは撮影1か月前から音信不通になります。言葉はよくないのですが、所謂役者キチガイなんです。大変なのは終わってからなんです。僕が知らな い作品について語られるのは結構苦痛でした。でも付き合ってやんなきゃと思う。その時がオフになっていく時間なんだと思う。常にちゃんとしている人に僕は 憧れるけど、僕は学生の時もテストは一夜漬けで、今も変わらないなぁと思う。
大西 でも新さんの方がしっかりしているよね。僕達本当に違うね。目指すところは一緒なんだけど、方法が違う。
井浦 大西さんは緊張していたり、僕には出来ない事が出来たり、見ていて面白い。自分も大西君も不器用な役者だけど大西君には負ける。監督は、不器用な方が好きで上手い演技が出来る事がいいと限らないと言っていた。
大西 僕はイリオモテヤマネコみたいだとよく言われます。けど保護して下さいって思います。しかし作品ごとに話せるのは嬉しいよね。
井浦 ここに監督が加わる事がよくあって、そしたら嬉しくて怒られるのは大西君かな~と思ったりして。
大西 今でも何年も前の事を話せるっていうのはとてもありがたい経験をさせてもらったと思う。「キャタピラー」の後にこの後上映の「海燕ホテル・ブルー」を観ると、口直しになるかもしれません。


だんだんと日も暮れて「海燕ホテル・ブルー」上映後、3回目のご登壇。1回目のトークでもお二方が勧めた作品だったので、話を聞き急きょ残って下さったお客様も多くおられました。

井浦 「海燕」は「三島」の2週間後、伊豆大島で「連合赤軍」以来の短期合宿でした。「三島」は2週間以内で終わっていたし、この作品は本当に無駄 がなく少人数で10日以内に撮影は終わりました。仕上がった作品は、原作の面影もなく、大西君演じる警官なんていないし。現場で内容がどんどん変わって いった。この作品は、若松監督の脳内の映像。その現場にいると、監督がその日何を撮ろうとしているのか言うっていう形で撮影していた。60〜70年代の色 が2000年以降で一番出ていたと思う。もっと監督は60〜70年は尖っていて、この「ホテル・ブルー」は監督の原点に立ち返っていてその時の監督の想像 力を一番使っているのではと思う。この作品をまじめに見てはいけないし、出ている人はとても滑稽に見える。「三島」も「海燕」も外国の方に観せたら、「海 燕」の方が受けて。撮影後、すぐ封ぎられていつ上映されたか分からないくらいで、存在すら知られていないぐらいで。でも僕らにとって思い出が深い作品。監 督はいつも楽しそうだった。
大西 「ホテル・ブルー」はいつの間にか上映が始まっていて、いつの間にか終わっていた。レンタルにも置いていなかったりするので、こう言う機会は嬉しい。この作品は、若松監督を知らない初めてのメンバーでは出来なかったと思う。
井浦 そう。若松監督を知らないと出来ない。役者も役者以外の事をやったし、全部参加させてもらえた。若松監督の現場は、マネージャーは来てはいけないの で、主演女優は裸にならないといけないし僕らはマネージャーのようになっていた。話し合いに参加させてもらったけど、その内容はコロコロ変わるし考えるの をやめた。若松組のセッションのようで1シーン1シーン思い入れが深い。
大西 僕はこの作品が集大成なのはいやだよ。(笑)でも、監督の中の大嫌いな警官役を演じさせてもらって、楽しかったです。新さんも監督も「三島」からの開放感があって、画に勢いが現れていたと思う。
井浦 「三島」の後、監督から「次の「海燕」では好きに遊べ」と言われてそれを真に受けた。100求められたら100を超えるぐらいでないと若松組では やっていられないけど、この作品は起きてそのままのテンションで楽しく撮る事が出来た。衣装は、ほぼ監督の私物を着ている。監督の家である若松プロダク ションのクローゼットで選んだ。赤いジャケットは、監督の還暦の時の服で、チェ・ゲバラのものすごい価値のある服で、カメラ目線で原発について話すとか、 途中埋められた男の服はケミカルウォッシュのデニムパンツでそれも監督の年代物。「三島」の現場で「海燕」を撮るという監督のテクニッックであったのです が、そのシーンを終えて床屋でヤクザ風な髪にしてもらった。本当は3人が殴り合って殺し合うというラストだったのに、監督が急に「お前らみたいな素人の殴 り合いを見ていて楽しいはずがないだろ。すぐ撃て!」と言われた。「撃たれ方も撃ち方も違う。お前ら拳銃ぐらい撃っておけ!」と。理不尽が嬉しかった。

質疑応答タイムへ。

お客様 ご自身の性格で好きなところは?
井浦 大西君と出会って、この人は信じる事が出来る人だなぁと思った。仁義の「仁」という字が大西君に当てはまる。彼は、小さな世界も大切にするし人の前 に立たず自分のポジションや人を見て、人々の潤滑油になれる。監督にそっと寄り添う事が当たり前に出来て、それは目上の人だからという事ではなくて、優し さがあついところにあります。そう言う「根」を知っているので、そこを踏まえた役をしたり出来ます。
大西 同じようなこと、同じことを新さんに言える。好きなものが一緒というより、嫌いなものが一緒で、強烈に許せないものが一緒。その方が、一緒に物作り をするのには良いのかもしれない。チームプレイで仕事をするのに、一緒にやっていきたい、やっていけるなと思う。監督に対しても、同じ事が言えるかもしれ ない。まぁいいじゃん、と思う事が何をやっていてもあると思うんだけど、そこに対する純度に対する強さと優しさを取り戻してくれたと思う。
井浦 僕らはまだ30、40歳で監督からみるとガキだけど、監督の存在はこんな大人がいていいんだと思えた。このまま突き進んでいいんだと思う事が出来たし、何より勇気をもらえた。
大西 不思議と若松監督の現場は、人が見える。監督は、問い続け、突きつけ続けるので、普段はむき出しにしないものをさらす事が出来て感謝しています。
井浦 監督の意思は誰にも引き継げない。
大西 意思を受け継ぐというのは人が言う事ではないかもしれない。僕たちは何かを表現したい人の映画を、具体にするのが仕事で、監督から受け取ったものというのは持っています。
井浦 監督と仕事をしていたり、憧れていた人がもし「意思を継ぐ」というのなら、僕はその人を信じないし、許せない。意思というのは絶対に継げない。意思 を継いでも監督は喜ばない。監督に作られた感性を役者として、DNAをまき散らしていきたいし、まき散らしていけると思う。
大西 関わった人たちがいい仕事をして、結果を残していくことが一番監督が喜ぶ事だと思う。それだけだと思う。

お客様 俳優になろうと思ったきっかけは?
井浦 最初はモデルをしていて、俳優に興味がなかった。芸能界とかどうでもよくて、その時物作りの仕事をしていたんだけど、その時映画をいろんな人が一つの作品を作っていくという意味で引き込まれて、若松監督の作品で役者に魅かれた。
大西 最初は裏方の仕事をしていたが、幸運なことに最初から大きな役をもらえて、でも何故か役を演じられなくて、それでその間は裏方をしていたんだけど、 そういう時監督に「連合赤軍」の話をさせてもらって、それで自分の中でいろいろ変わっていけて。自分の中で呼び戻してもらったのは若松監督で、大きな要素 だった。毎回毎回これが最後だと思って演じていた。自分が広がっていくのを感じた。自分で自分を許す事を監督に教えてもらった。新さんは、本当に変わった と思う。
井浦 「連合赤軍」の後から、自分を役者と言えるようになった。気持ちの伴う役者だと言える勇気がでた。
大西 名前もローマ字じゃなくなったしね。

トーク後各回全てサイン会付きというお客様にとって嬉しい時間が過ごせ、大盛況のうち1日目が終了しました。

一夜明け、トークイベント2日目。
1日目に続き、雨天の中にも関わらずほぼ満席のお客様。「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」上映後、ご登壇いただきました。

井浦 初めて監督の現場に行った作品です。この5作品の中で一番撮影期間が長く、監督の事や撮影方法、やり方など分からない事だらけで思い入れが深 い作品。若松監督が「連合赤軍」を撮るってどうゆうことかを考えました。若松監督は命をかけて何かをよくしようという若者に共感していた。監督自身が裏側 を体験しながら、シンパシーを感じていたのではと思う。若松監督が撮る「あさま山荘」がきっと美化する事もなく、歴史に残る作品になるだろうと思って、若 松プロダクションに電話をしました。「オーディションやるから来なさい」と。
大西 若い人は「連合赤軍」に関心を持つきっかけもなかったと思うけど、知る機会もなく、知るのは親世代で。歴史って勝者がよいように語られている。30 年前ぐらいでもあるにも関わらず、今も当時者が沢山いるのにも関わらず、あまり語られない。監督は、悪いものは悪いと言いたかった。
井浦 芸術は、映画は、権力側から作ってはいけない。権力側から描いた権力讃歌の映画を若松監督が観て、それもあるだろうけど、閉じこもった若者達の心情 が一切描かれていない事に、怒りを感じていた。何を思っていたか、どのような事が行われていたか、話を聞いたり人質にひどい事をしている報道等が実際に あったが、中ではそんな事は行われていなかったり。なぜ閉じこもったかというと、国家をよくしようとする中でその集団の中で、小さな社会が出来、連合赤軍 の中でのトップに従い動いていくという事を感じ、赤軍の中で何かが崩れていく。総括などのシーンも包み隠さず残す、粛正、そんなシーンを追体験することに なったけど、キツかった。
大西 集団心理、山の中にこもり、20人ぐらいの中で自分の立ち位置。それは客観的に見ればおかしいのは分かる。けど、中にいると「おかしい」って言えな い。演じてみて思った。「自分だったらどうするか」、当時の追いつめられた若者として自分はどうなのか。「まちがっている」と言える勇気、なかなか持ち得 ないと思った。
井浦 やらなければ次は自分だという恐怖心、空気感、幹部の言う事を聞かなければという空気が現場にもあった。正義感の強い人程やってしまう。
大西 みんなも同じようになると思う。
井浦 小さな社会、学校なども一緒でね。
大西 彼らは、純粋に日本をよくしたいと思っていた。当時の彼らの手記などを読んで、この日本と後世のために良くしたいと思う、純度が高すぎるが故だった。
井浦 若松監督は「芝居はするな!」と言っていてその瞬間に自分達が感じた事を言葉に出して、ライブで若松監督の現場を掴んでいった。当時の若者達の心を掴んでいくのは簡単ではなかった。
大西 総括を受けるシーンがあったが台本とかなく、リアリティーが監督に伝わったのかも。
井浦 若松監督は、現代の政治家達は「命がけ」を簡単に言ってしまうが「命をかける」を本当に知らないから言うんだ。若松監督は、この映画で「本当の命がけ」を表したかったのではと思う。
大西 何かのため、国のため、自分じゃないもっと大きなもののために命をかけた若者の真実の姿を伝えたかった。

さらにトークセッションは盛り上がり、お客様も熱の入った質疑応答タイムへ。
お客様 「三島」も「連合赤軍」も命をかけることになった問題ですが、お二人は当時者だったらどのように行動したと思いますか?
井浦 銃を持って国会に突っ込むとか、そうはならなかったと思う。若松監督の言っていた「命をかけた若者がこれだけやっても日本は何も変わらない」という のも伝えたかった。それが、監督ができる事だったのでは。僕らは、自分自身の出来る事、表現を持って、芝居を持って、伝える事が出来る。何を思っていたか をちゃんと持って、そうして作品を作っている。
大西 自分が出来る事、日々変わっていくもの、役をすることによって知らなかった事や問題意識を持つようになった事など、作品作りを通じて、問題に向き合っていきたい。
お客様 若松監督は現代の人間について、また若者についてどう思われていたのか?お二人はどう思うか?
井浦 60年代70年代を体験されているから、若松監督は昔と今をより比べられたんだと思う。若松監督はよく「今の若者達はかわいそうだ」「嫌なものを 「嫌」と言う事さえも忘れさせられている」と言っていた。嫌なものは「嫌」というのは、まっすぐな志なんだ。ただ今が悪いんじゃない。その時代だからこ そ、爆発する人もいたが、中間の人もいるし、興味がない人もいっぱいいた。「結局、政治と教育が腐敗している。そこで生きている国民は大変だよな。でも、 そこで終わらせない、映画が俺の武器なんだ」と監督は言っていた。閉じてはいけないものを開けて、歴史を知って、未来に行かなきゃいけないんだと思う。若 松監督は、「俺は国が隠そう隠そうとすることを、どんどん暴いてやるんだ!」とよく言っていた。
大西 「連合赤軍」後、みんな諦めてしまった。戦争で傷ついた親に育てられる。みんなすごく敏感で、子供達が成人した時、ちゃんとなっていればいいなと思う。
最後に、この後上映の「千年の愉楽」についても触れ、トークを締めくくった。
井浦 若松監督の遺作になってしまった「千年の愉楽」は、監督の新しい一面を見る事ができる作品です。ずっとテーマにしている「女性への讃歌」の想いが詰 まった作品。女性への想い、また国が隠そうとしている歴史や文化も描いています。ぜひご覧になってください。2日間、ありがとうございました。
大西 「千年の愉楽」撮影当時は、怪我をしていて出れませんでしたが、「東京で1〜2日撮影があるから来い!」と監督から言われて。「お前がいないのは嫌 だ」と言って下さり嬉しかった。若松監督の優しさが一番出ている作品なので、皆様ぜひご覧ください。ありがとうございました。



若松組で培った、井浦新さんと大西信満さんの役者同士の固い絆と友情、若松監督への愛を2日間たっぷりと体感することができました。会場は、誰もが若松監督を想い温かい空気に満ちた、若松組とお客様の心が一体化したような、そんな素晴らしいトークイベントになりました。
このようなイベントが若松作品とともに、全国の映画館でどんどん広がっていけば嬉しいです。

シネマ尾道にて「若松孝二監督追悼特集」は、6月8日(土)〜6月21日(金)

2013年5月28日火曜日

若松監督のハートビートが聞こえた夜

6月1日夜。テアトル新宿。

阿部薫の乾いたサックスの音が響き、
「十三人連続暴行魔」の貴重な35ミリプリント上映が始まった。

オーバーオールを着た冴えない小太りの男が
自転車に重たげな身体を乗せて
河川敷や工業地帯の間を走り回る。
向こうには、発着を繰り返す飛行機。
成田空港開港の新聞記事。
1978年という時代の匂いをまき散らしつつ
しかし、映画は終始、男のお尻と犯される女の裸体
打ち込まれる拳銃の音が、ひたすらひたすら繰り返されるのである。
途中で、「17歳の風景」(2005年公開)だ!とはっとするようなモチーフや
映像の切り取り方が現れるのだけれども
とにかく、ひたすらひたすら繰り返される暴行。

阿部薫のサックスの渇望が画面から溢れ出す瞬間や
記号のように繰り返される行為そのものの感じ
なぜか長期間いたぶられるのは婦人警官。
若松孝二の脳みその爆発がそのままぶちまかれたような画面に
思わず、お腹の力が抜けていくようで
でも、自由だ、自由なんだ、文法なんてないんだ!と吠えていた
若松孝二がそこにいた。どっぷりと再会できた60分。

そして、上映後には、
若松作品「エンドレスワルツ」で阿部薫役を演じた町田康氏と
若松孝二とは長年の「不良」仲間だという山本政志監督が登壇。
 

 
開口一番、山本監督が切り出す。
「俺、前にもこの作品観てて、結構好きだったと思ってたけど
 今観ると、メチャクチャだね、これ。性欲のカタマリかって(笑)。
 さらには、なんで婦人警官だけ、あれだけ長々と監禁するのかってさ」
思わず、会場から笑いが漏れ出す。
そうだ、みんなして、監督の悪ふざけを息をつめて60分も凝視してたのだから。
すかさず、町田康さんが応じた。
「これ、永山則夫とか、社会に対する破壊的な衝動とか
 そういうものだと考えると、これ訳分からんよね。
 そうじゃなくて、これは神話なんだと。
 現実の社会のリアルの中で考えると訳分からない作品だけど、
 神々の事だから。
 神話をリアルにやろうとすると、ああいう生々しさになると思う。
 性と暴力と。
 普通の常識から観ると「女をモノ扱いして…」となるけど
 多分、見方が全然違うんだろうと思うんですけど。
 実際の若松さんの意図はどうかわからないけど」
山本「無機質に斬り込みたかったんだろうね」
町田「僕は、やっぱり神話だな、と思った。
 最後に処罰されるじゃない。もっと強大な神に。
 しかし、これ、実際に十三人もやられてました?」
山本「やられてないだろ。語感がいいからでしょ。
 九人連続暴行魔じゃ中途半端だしさ。六人もちょっとね、やっぱ十三でしょ」
町田「JAGATARAの『岬でまつわ』って歌も実際に岬って喫茶店があって
「岬でまってるわ」って言ったら、そのままタイトルになったって。
 でも、タイトルってそんなもんでしょう」

作品について、ひとしきり語った後、若松監督という人について。
町田「普通、監督って、自分の演出に酔っているというか
 情熱をもって、いいものを納得いくまでやりたい!というのがあるけど
 若松さんは、とにかく、「今日もまいて終わった」「今日も早く終わった」って
 早く終わらせる事に命かけてるっていうか。
 そんなに早く終わらせたいんかい!って(笑)
 合理的というか、何か、よく考えがつかめないっていうか。
 演出も、ちゃんとみてんのかみてないのか分かんないし(笑)」
山本「よく車買い換えてたしねえ。
 何が一番儲かった?って聞いたら、「『愛のコリーダ』(プロデュース作品)と
 軽井沢の土地転がし!」って言ってましたからね(笑)。
 僕は大学受験で上京して面接の時に「好きな監督は?」って聞かれて
「若松孝二と小川伸介です」って答えたら落とされた。
 「山田洋次です」とでも言えば良かったと思ってさ(笑)。
 でも、高校時代はまだ作品を観たことはなかったんだけど、
 生き方に、うわー、と思ってて。やってる事メチャクチャだしさ。
 それで、上京してから特集上映で、「犯された白衣」や「ゆけゆけ二度目の処女」とか
 一気に作品を観たんだよね。言葉がちょっとインテリっぽいなと思ったけど
 でもそれも面白くて、毒性がすごくあって、キバを剥いていて。
 大きな流れの中で一人だけ、ぐっと流れをかきわけて上がっていく感じで。
 しばらくしてから、実際に会ったら、これがヘンなおじさんだから
 ますます好きになって。若松さんって、俺の中で、特殊な人間なんだよね。
 尊敬でもない、何だろう、心の中に若松孝二がいるんだよ」
町田「一度、紀伊國屋ホールで「新宿のイベントやるぞ」って言って
 よばれた事があるんですけども。かつての新宿が面白かったっていって
 唐さんとか原田芳雄さんとか出ていて、僕もなぜか詩の朗読をして
 楽屋ではみんな、待ちの間からガンガンに飲んでて、
 結局あれは何のイベントだったんだろうっていう(笑)
 映画監督って高学歴の人が多くて、大抵、マルクス主義とかってなるけど
 若松さんだけ、毛色が違ってましたよね。
 暴力革命、それだけ知ってりゃいいっていう」
山本「思想関係ない。心情的なものなんだわ」
町田「連合赤軍もそうですね。思想じゃなくて心情」
山本「虐げられてるところへのまなざしははっきりしてるっていう。
 若松さんは、自分の中でほんとに特別な存在。
 まさしくインディーズで、ケンカ売りながら生きていた。
 若松さんに会えたのは幸せな時間だったし、自分の中には
 まだ若松さんがいるし。それで、「政志、何してるんだ!」って
 言われるんだろうな、でも言われたら「うるせえ」って思うだろうな、
 でも、それを励みにするだろうな、と」

会場からいくつかの質問が出た。
ー若松孝二とのなれそめは?
町田「山本監督の「熊楠KUMAGUSU」の現場で会った。
 若松監督たち全員が映画監督という宴会シーンの撮影で。
 その時、僕が礼儀正しくて、ちゃんと挨拶して
 飲み物を運んだりしたんで、「あ、コイツはいいな」と思ったって。
 (それで、エンドレスワルツ出演につながる)
 挨拶はした方がいいんだな、という事で(笑)」

ー「連合赤軍」「三島由紀夫」政治的な題材が気になって観ていた。
 最近のこうした題材とかつてのピンクにこめられたものとの共通点は。
町田「若松さんは政治的題材を扱っているけれども
 現実の政治というモノと政治的なモノは、違うんだろう、と。
 若松さんは、現実の政治、主義を描くのではなく
 詩的でロマンチック。人間が持っている根本のところで腑に落ちる。
 やっぱり、神話のようなものを描いてると思う」
山本「『キャタピラー』は反戦映画って言ってたけど
 あれ、ウソだからね。やってることは同じだよ。
 時々ウソもつくから、若松さんは。
 そこがチャーミングなところなんだけど」
町田「捕捉すると、ウソはいけないか、と。
 本にはオビってあるでしょ。あそこには、売るために
 ちょっと違うかなーって事を書いたりもする。
 宣伝のためであって、中身は別にちゃんと存在してるわけで。
 僕は、言ってる事がウソだとか、矛盾があるとか
 そういう事が良くないって言うのは、そんな事ないよ
 そんなもんだよ、というのがあるんですね」

山本監督プロデュースの実践映画塾「シネマインパクト」から
生まれた映画作品も、これから続々と公開。
山本監督も自身の監督作品「水の声を聞く」
「ちょっと真面目な映画をちゃんとやろう、と。
 9月までには撮影を終えようと思っています」との事。
未完の「熊楠KUMAGUSU」についても
主演の町田康さんと、時折、酒とともに思いを語り継いで
今も懐の中で温め中である。

いつだって、ものづくりをせずにはいられない人
思いにつきうごかされて表現へとひた走る人たちの言葉は
現在進行形だから、ヒリヒリじりじりと響いてくる。

若松孝二の形はいなくても、
「自由なんだよ!決まったやり方なんてないんだよ!
 想像だけは、最後で最高の自由なんだよ!」と吠え続けた
若松孝二が、そこかしこに充ち満ちていた。
空気が入った夜だった。

会場に来て下さったたくさんのお客さま
ありがとうございました!

2013年5月18日土曜日

ポレポレ東中野速報。佐野史郎さん、原田麻由さん!

本日はカラリと晴れた初夏の陽気。
「千年の愉楽」上映中のポレポレ東中野にて、
トークイベント第2弾が行われました。
本日のゲストは佐野史郎さんと原田麻由さん。
若松監督とは状況劇場時代から32年の付き合いになるという佐野さんと
若松作品に多く出演してくださった原田芳雄さんの愛娘の麻由さん。
中上作品を家族で愛読し、中上健次さんとも親交があり
新宮とも深くつながっていた芳雄さんは、
中上作品の映画化にも強い思いを抱いていた事。

 
そして、こうして若松孝二が中上さんの作品の映画化を果たし、
芳雄さんの遺伝子の麻由さんがミツに配役された事、
三好のコートやオバの袢纏などに芳雄さんの衣裳が使われていた事などを
二人が楽しげに語りました。



「若松監督も中上さんも、状況劇場にもよく来ていたけれど
 あの二人は双子みたいによく似ていて…大げんかの後に仲良しになったのは
 若松監督は中上作品をそんなには読んでいなかったと思うけれども
 活字ではなく身体で丸ごと中上さんの作品が伝わっていると感じていた」
と佐野史郎さんが振り返りました。
「残念ながら、『千年の愉楽』ロケが実現したときには
 芳雄さんはすでに亡くなれていて、ワンカットも登場はしていないけれど
 僕は、彦之助の父親、タツに芳雄さんの存在を感じていて
 台詞の中でタツの事を語る時は、芳雄さんの顔を思い浮かべていました」
「芳雄は若松監督と長い付き合いがありましたが、
 私自身は、この作品が若松監督の一作目でした。
 現場では激しく檄を飛ばされましたけれども、
 直談判をすれば、必ず次回作にも何とか出してくれる
 そういう監督でしたから、次が必ずあると信じていたのに
 次がなくなってしまったという事が、本当に残念で仕方がない」
と麻由さんが語ると
「若松孝二の新作が撮られる事はないという事実は受け止めねばならない。
 でも、今も、どこの現場でも、監督だったらこう言うだろう
 こうするだろう……と考えながら表現を続けている。
 身体はなくなっても、まだ存在があるという事を強く感じている。
 監督のまなざしに恥じないように、1つ1つ演じあげていくしかない。
 そして、これまでの若松作品を改めて見なおして行く事
 作品と新たに出会っていくという事も
 また別の若松作品の『新作』のありようだろうと思っています」
と佐野さんがまとめました。



濃く深く、そして静かで暖かなトークでした。
作品への真摯な向き合い方、現場での真剣勝負。
若松孝二とセッションを繰り返してきた佐野史郎さんの言葉の中にも
そして、最後の若松組の現場で新しい息吹を見せてくれた麻由さんの中にも
確かに若松孝二は生きているのだと、実感するトークとなりました。
さて、トークの追加第5弾!
5月20日(月)12:40上映終了後/15:10上映前
今回、直一郎役を演じた岩間天嗣さんがトークに駆け付けます!
明日は高岡蒼佑さんがポレポレ東中野にいらっしゃいます。
高岡さん演じる三好は、現場でも監督を唸らせる事度々。
スクリーンに現れる三好の生き様を堪能し、
そして、高岡さんの語る若松組の言葉をぜひお聞きのがしなく!

2013年5月14日火曜日

ポレポレ東中野トーク第1弾終了!

本日、ポレポレ東中野にてのトークイベント第1弾。
清二役の地曵豪さんと、初枝役の安部智凛さんが
舞台挨拶に駆け付けました。

 
平日の午後という事もあって
客席は大入りという訳にはいきませんでしたが
来て下さったお客さまに最大の感謝を込めて
二人がスクリーンの前に立ちました。




「実録・連合赤軍」以来の若松組同志の二人。
レンセキの現場で初日からいかに怒られ
いかに怒りの中に監督の愛情を感じたか。
現場でヘコみ、役者同士のダメだしや支え合いで
日々進んでいった怒涛の現場。
話題は尽きず、あっという間の20分でした。
終始、笑いに溢れつつも、
二人の言葉の中には、若松監督への愛情があり
そして、変化球織り交ぜてエピソードが加速する
安部智凛さんの会話を全て受け止めて
お客さんへ届けようとする地曵さんの配慮もあり
ああ、そうだそうだ、こうやって役者さん同士が
支え合って、予定調和ゼロの現場が動いていっていたなあと
もう二度と戻って来ない若松組の現場を
懐かしく思い出したのでした。
 

 
 
次々と新たなトークが決まっています。
次は18日(土)佐野史郎さんと原田麻由さん。
その前に、もしかしたらスペシャルサプライズがあるかもしれません。
決まり次第、ブログとツイッターにて告知して参ります。

2013年4月17日水曜日

「千年の愉楽」舞台挨拶レポート(広島サロンシネマ)

4月13日(土)「千年の愉楽」10:00の回上映終了後、舞台挨拶に佐野史郎さんと高岡蒼佑さんが来て下さいました。
電車に遅れがあり、佐野さんは上映が終わる少し前にギリギリ到着。
落ち着く時間もないまま控室から場内へ入っていただき、登壇後も佐野さんのマイク第一声は息切れでした。
そんな佐野さんが作ってくださった雰囲気に場内では笑いも起き、すぐにお客様も和んでいました。
実は舞台挨拶で場内に入る直前に、扉の傍でカメラを手に待っていたお客様を見かけ、まだ息切れされていた佐野さんは立ち止まって「写真ですか、いいですよ」と快く応じてくだったりしていました。
高岡さんは監督作品が初めてで、監督からこういう事を学んだというのはすぐには言えないかもしれないが、あの時経験したことを噛みしめながら役者を続けていくとおっしゃってくださいました。
またお客様からの質問にあったご自身の名前の漢字が変わった理由などにも触れてくださりなかなか聞けない内容だったので質問されたお客様も喜ばれたと思います。
佐野さんからは「そろそろ監督の等身大の姿の話もしていかないと供養にならないんじゃないかと思って…」と以前あったテレビ撮影時のお話し等をしてくださいました。
佐野さんはテレビドラマがヒットして、ドラマ撮影時には控室も用意される程の待遇に、若松監督もその時テレビ撮影をされていた事があり、たまたま隣のスタジオだったことがあったそうです。
若松監督は佐野さんに「いいなー佐野は控室があって…」と少しひがんでいる姿だった事や、佐野さんの演技に「佐野さんはテレビっぽい演技ですね」と、そのよそよそしい言い方にも場内は笑いに包まれました。




そして若松監督と佐野さんが(結果的には最後の)お酒を飲んだ時の話で、滅多にない昔を振り返る話をしたそうです。その時に高岡さんの事をとにかく褒めていたよと、佐野さんから高岡さんに伝えていたのが印象的でした。

最後はパンフレットにサインもしてくださり、ご購入されるたくさんの方の列ができました。佐野さんは事前に書く時間がなかったので終わった後にたくさん書いていただき、高岡さんも売り切れたので追加で書いてくださいました。
短い時間でしたがお二人の舞台挨拶にお客様も大変喜んでくださいました。

広島サロンシネマにて絶賛公開中です。

「千年の愉楽」シネマ尾道舞台挨拶レポート

●シネマ尾道舞台挨拶レポート

4月13日(土)。
広島市を後にし、午後より尾道市のシネマ尾道にて佐野史郎さんと高岡蒼佑さん
による舞台挨拶が行われました。
満席を越える120名近くのお客様にご来場いただき、普段なかなか見れない光景
に、支配人・河本、スタッフ一同テンションがあがります。




盛大な拍手でゲストのお二人を迎え、いよいよ舞台挨拶開始。
登壇してすぐに、「今回初尾道ですが、わずか45分しかいれないのが本当に残念
です」と、佐野史郎さん。
「映画の話もしますが、尾道について語っていいですか?」と、マイクを握り映
画の聖地・尾道への思いを語り始めました。
「「東京物語」をはじめとする小津安二郎作品が、私自身の役者人生の軸になっ
ています。「東京物語」の舞台でもあるここ尾道は、役者や映画人 にとって憧
れの地で、いつか必ず行ってみたいと思っていました。今回映画の仕事で来るこ
とができ、すごく嬉しいです。」と、原田芳雄さんへの 思いやご自身の役者論
に至るまで、幅広く語っていただきました。
続いて高岡蒼佑さん。
若松孝二監督への思いや、三好という役柄について熱く語っていただきました。
「今日、テレビの取材が来ているようですが、ワイドショーネタは話しませんの
で(笑)」と笑顔で話す高岡さんのキラキラした瞳に、最前列の若 い女性達の
みならず、常連の年配の女性もうっとりとし…。

後半は、質疑応答。
僅か30分足らずの舞台挨拶は、あっとゆう間に終了。

「また必ず尾道に来ます!」と、佐野史郎さん。
客席から「ぜひ!」と歓声が上がり、尾道のお客様も大満足のアットホームな舞
台挨拶になりました。

佐野史郎さんは、「う~ん。尾道いいなぁ~。」とつぶやきながら尾道駅や劇場
を、カメラでパチパチと。


佐野史郎さん、高岡蒼佑さん。
映画の聖地・尾道へ、ぜひまたゆっくりとお越しください!




「千年の愉楽」は、シネマ尾道にて5月3日まで上映しています。

2013年4月8日月曜日

映像化できない世界の映画化/テアトル新宿最終イベント終了

前日の悪天候から一転、カラリと晴れ渡った日曜日。
テアトル新宿にて『千年の愉楽』のトークイベントが行われた。
「この作品上映する時は、路地の事とかいろいろ
 話していかないとならないな」と話してた若松監督。
それならば!と、企画した、テアトル新宿のファイナルイベントは
「路地の背景に広がるもの」として、
脚本の井出真理氏と評論家の菅孝行氏をお呼びして
わずか30分という時間の中で、
<路地>とは何ぞや。若松孝二は何を描きたかったのか。
シナリオが出来上がるまでに、どのように手探りしたのか…
みっちりと語って頂いた。
井出氏は、若松孝二に「半蔵と三好の物語を軸に
全て、オリュウに還っていくように描いて欲しい」と依頼された事を語り
「〝差別〟は、してる側はその事実をないものとして生きていけるけど
 されている側は、〝ないもの〟として扱われたまま生きていかねばならない。
 それに対していかに抵抗していくか、という物語だと考えた。
 そして、オリュウの抵抗の方法は、力ではなく
 ずっとそこに〝存在し続ける事〟であると考えたんです」と話した。
菅氏は、「中上健次と関わりのあった編集者に
『千年の愉楽』が映画化されるらしい、と話したら
「映像化不可能だろう」という反応だった。
 確かに、あの文学をそのまま縦に映像化したら
 単なる笑い話にもならない作品になっただろう。
 その事を若松さんも井出さんも十分承知で
 だからこそ、原作の骨格は残しつつも、
 全く異なる、極めて論理だった物語に生まれ変わった。
 これの好き嫌いは分かれるだろうけれども」と話した。

さらに、菅氏は、〝高貴で汚れた血〟という言葉が表すもの、
命の入り口と出口を司る存在は最も高貴であるか
最も穢れたものとして扱われるかしかなかった事。
極めて近いその存在が、光と影につくりかえられた事などを
明快に語った。
井出氏は、<路地>の人たちの日常をいかに描くかに腐心し
臓物で油かすを作って行商するミツの存在を作りだした事や
漁業にも加われない状況を三好の一言に込めた事などを語った。
そして、極めて神話的な小説である原作を映像化する象徴として
シナハンで見出した花の窟を語った。
30分はあっという間。
でも、きっと、監督が語りたくて語りたくてしょうがなかった事を
二人が作品を語る事を通して話してくれた30分に
監督はニンマリとしたはず、と思えたテアトル新宿の最終イベントは
無事、そして静かに終了した。
足をお運びくださったお客さま、ありがとうございました。
いよいよテアトル新宿での上映は今週金曜まで。
熱狂的でもなく、淡々と続いている『千年の愉楽』全国公開である。
でも、淡々の内側に沸々と沸き上がっているのである。