「逝去」「享年」「追悼」「故人」
これらの言葉と「若松孝二」が
いまだにつながらないまま
「追悼を越えて」第二弾が走り出した。
若松孝二in池袋
Underground&Independent1966−1979
12月9日〜14日 池袋・新文芸坐にて。
「餌食」「聖母観音大菩薩」から「犯された白衣」
「ゆけゆけ二度目の処女」「新宿マッド」そして
「赤軍-PFLP世界戦争宣言」「天使の恍惚」まで
60年代70年代の若松作品を一挙に12本、上映する。
毎回、様ざまなゲストが登壇予定。
若松孝二は、フィルムの中で、今も、怒りの歌を歌い続けている。
追悼を越えて 若松孝二in池袋
詳しくは、新文芸坐のHPにて近日告知。
2012年11月9日金曜日
2012年11月7日水曜日
「千年の愉楽」公開決定!2013年3月9日全国公開。
今月23日にテアトル新宿で行われる
「追悼を越えて 若松孝二in新宿」オールナイトイベントを皮切りに
12月9日〜文芸坐にて
12月15日〜キネカ大森にて
監督の旧作・近作の特集上映が「追悼を越えて」part2、part3として
次々にスタートする。
そして、最新作『千年の愉楽』の全国公開が
来年3月9日に決定した。
都内はテアトル新宿にて。
この全国公開に向けて、さらなる「追悼を越えて」の思いをつないだ
各地でのイベントが予定されている。
若松孝二は、私たちに、立ち止まることを許さない。
現場では、キャストの演技にダメだしをしながら
後ろ側でもたつくスタッフのわずかな動きも見逃さなかった。
頭の後ろにも目がついているのか!?というような若松孝二の眼力。
ヒリつくような現場の緊張感が、今も皮膚に生々しく蘇ってくる。
そうだ。追悼を越えていかねばならない。
「千年の愉楽」という、監督人生最期の大勝負を
きちんと、やり遂げねばならないのだ。
「追悼を越えて 若松孝二in新宿」オールナイトイベントを皮切りに
12月9日〜文芸坐にて
12月15日〜キネカ大森にて
監督の旧作・近作の特集上映が「追悼を越えて」part2、part3として
次々にスタートする。
そして、最新作『千年の愉楽』の全国公開が
来年3月9日に決定した。
都内はテアトル新宿にて。
この全国公開に向けて、さらなる「追悼を越えて」の思いをつないだ
各地でのイベントが予定されている。
若松孝二は、私たちに、立ち止まることを許さない。
現場では、キャストの演技にダメだしをしながら
後ろ側でもたつくスタッフのわずかな動きも見逃さなかった。
頭の後ろにも目がついているのか!?というような若松孝二の眼力。
ヒリつくような現場の緊張感が、今も皮膚に生々しく蘇ってくる。
そうだ。追悼を越えていかねばならない。
「千年の愉楽」という、監督人生最期の大勝負を
きちんと、やり遂げねばならないのだ。
2012年11月2日金曜日
追悼を越えて! 若松孝二in新宿、始動!
めそめそし続けるわけにはいかない。
若松孝二の背中は、もう遙か先にある。
追いかけていかなければ、ならない。
歩かなければ、ならない。
「映画に時効はない」が口癖だった若松は、
「怒りが俺の映画作りの原動力」
「俺が死んでも、作品は50年、100年と残るんだ」と、
作品で世の中に勝負を挑み続けていた。
来年3月の『千年の愉楽』公開に向けて、
新宿及びその周辺で、「追悼を越えて」と銘打って、
今後、各劇場での特集上映や『千年の愉楽』先行特別上映などが相次ぐ。
単なる「追悼」ではなく、
常にサインに「心」と書き添えていた若松孝二の
「心」を受け止め、つないでいく。
このイベント第一弾が『若松孝二オールナイト』inテアトル新宿
11月23日(金)開場22:15 開演22:30(5:00終了予定)
今年のカンヌ国際映画祭正式招待作品ともなった
『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』と、
三島氏の自決を受けて急遽台本を書き直して撮影された
『死にたい女』(1970)の新旧2本を上映し、若松孝二の映画人生に迫る。
トークは二部構成で
part1「映画監督・若松孝二を語る」では足立正生、平沢剛(聞き手)ほか。
part2「現在進行形の若松孝二」では、キャストの井浦新、満島真之介、
大西信満、地曵豪、渋川清彦、岡部尚、キャメラマン辻智彦ら
近作の若松組を支えた面々が登壇する。
『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』
『海燕ホテル・ブルー』のメイキングに加え、
未公開の『千年の愉楽』メイキング上映も。
若松孝二が「差別をしない街」と愛した新宿の地で
濃く深く、「若松孝二」と語り合うオールナイトである。
若松孝二の背中は、もう遙か先にある。
追いかけていかなければ、ならない。
歩かなければ、ならない。
「映画に時効はない」が口癖だった若松は、
「怒りが俺の映画作りの原動力」
「俺が死んでも、作品は50年、100年と残るんだ」と、
作品で世の中に勝負を挑み続けていた。
来年3月の『千年の愉楽』公開に向けて、
新宿及びその周辺で、「追悼を越えて」と銘打って、
今後、各劇場での特集上映や『千年の愉楽』先行特別上映などが相次ぐ。
単なる「追悼」ではなく、
常にサインに「心」と書き添えていた若松孝二の
「心」を受け止め、つないでいく。
このイベント第一弾が『若松孝二オールナイト』inテアトル新宿
11月23日(金)開場22:15 開演22:30(5:00終了予定)
今年のカンヌ国際映画祭正式招待作品ともなった
『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』と、
三島氏の自決を受けて急遽台本を書き直して撮影された
『死にたい女』(1970)の新旧2本を上映し、若松孝二の映画人生に迫る。
トークは二部構成で
part1「映画監督・若松孝二を語る」では足立正生、平沢剛(聞き手)ほか。
part2「現在進行形の若松孝二」では、キャストの井浦新、満島真之介、
大西信満、地曵豪、渋川清彦、岡部尚、キャメラマン辻智彦ら
近作の若松組を支えた面々が登壇する。
『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』
『海燕ホテル・ブルー』のメイキングに加え、
未公開の『千年の愉楽』メイキング上映も。
若松孝二が「差別をしない街」と愛した新宿の地で
濃く深く、「若松孝二」と語り合うオールナイトである。
2012年10月27日土曜日
追悼を越えて
昨日、東京国際映画祭にて
「追悼・若松孝二」として
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が上映された。
急遽決まって、2日前から告知をした特別上映。
終了時間が夜中24時という遅い時間にも関わらず
場内にはたくさんのお客様が集まってくださった。
そして、若松組からのたっての希望で、
井浦新、大西信満、地曵豪、そしてスタッフを代表して
キャメラマンの辻智彦が、上映前に舞台挨拶に立った。
「この連合赤軍は、監督との出会いとなった作品。
監督は、怒りをモチベーションに、この作品を作り上げた。
監督が、いかにこの作品に情熱を注いでいたか、その情熱は
そのまま映像に焼き付いています。若松孝二を感じてください」
と井浦新が挨拶した通り、「実録・連合赤軍」は
およそ3ヶ月近くという若松組異例の長さをかけて撮影された。
監督が私財を投げ打って、プロデューサーとしての計算を越えて
若松孝二の人生の「落とし前」として取り組んだ作品だった。
猪突猛進に進んでいく監督の背中は、
時に猛吹雪の向こうにかき消されそうになったが
それでも、キャストもスタッフも、よろよろよろめきながら
必死にくらいついて、作り上げた作品だった。
若松孝二の声なき叫びが響き続けた現場だった。
(実際に毎日、リアルな怒号も響いていたわけだが)
今回の上映前の挨拶には、5分しか時間がとれないという
映画祭側からの説明もあったけれど
井浦らは登壇して挨拶することにこだわった。
それは、どんな小さな劇場であっても
頼まれれば舞台挨拶に出向いて行き、
自分の言葉で作品を語ろうとする若松孝二の背中を見続けていたからだ。
「北は北海道から南は沖縄まで、全国を監督とともに回った。
作品はお客さんに見てもらって完成する。
自分の声できちんと作品の事を語る。その事を監督に叩き込まれた。
だから、今回は急な事ではあったけれど、ここに立って皆さんに挨拶できたことを
感謝しています」と大西信満が語り、
地曵豪も「遅い時間にも関わらず、こんなにたくさんのお客様が見に来てくださって
本当に、心からお礼を申し上げます」と頭を下げた。
最後に、キャメラの辻智彦が
「キャストもスタッフも、表も裏も垣根を越えて作り上げたのがレンセキ。
スタッフを代表して挨拶をします。
若松孝二の肉体はなくなりましたが、若松孝二の魂、精神は
映画の中に生きています。魂と、作品を通してふれあってください」と
短い言葉の中に、追悼を越えた万感の思いを込めて挨拶をした。
上映後には、場内から自然と拍手がわき起こった。
若松孝二の「落とし前」を、多くのお客様が目撃し、共有した瞬間だった。
一週間前の下高井戸シネマでの舞台挨拶の時には
若松孝二の姿をどこかに探し求めるような
ただただ深い「哀しみ」の中にあったが
昨日の舞台挨拶では、若松孝二の存在が放ち続けたエネルギーが
それぞれの中で、それぞれに形を変えて、芽吹いていた。
生きて、死ぬ。
人と関わり、別れる。
作品が生まれ、作品と出会う。
哀しさも嬉しさもいっしょくたになったようだった。
若松孝二のまなざしをどこかに感じた。
「追悼・若松孝二」として
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が上映された。
急遽決まって、2日前から告知をした特別上映。
終了時間が夜中24時という遅い時間にも関わらず
場内にはたくさんのお客様が集まってくださった。
そして、若松組からのたっての希望で、
井浦新、大西信満、地曵豪、そしてスタッフを代表して
キャメラマンの辻智彦が、上映前に舞台挨拶に立った。
「この連合赤軍は、監督との出会いとなった作品。
監督は、怒りをモチベーションに、この作品を作り上げた。
監督が、いかにこの作品に情熱を注いでいたか、その情熱は
そのまま映像に焼き付いています。若松孝二を感じてください」
と井浦新が挨拶した通り、「実録・連合赤軍」は
およそ3ヶ月近くという若松組異例の長さをかけて撮影された。
監督が私財を投げ打って、プロデューサーとしての計算を越えて
若松孝二の人生の「落とし前」として取り組んだ作品だった。
猪突猛進に進んでいく監督の背中は、
時に猛吹雪の向こうにかき消されそうになったが
それでも、キャストもスタッフも、よろよろよろめきながら
必死にくらいついて、作り上げた作品だった。
若松孝二の声なき叫びが響き続けた現場だった。
(実際に毎日、リアルな怒号も響いていたわけだが)
今回の上映前の挨拶には、5分しか時間がとれないという
映画祭側からの説明もあったけれど
井浦らは登壇して挨拶することにこだわった。
それは、どんな小さな劇場であっても
頼まれれば舞台挨拶に出向いて行き、
自分の言葉で作品を語ろうとする若松孝二の背中を見続けていたからだ。
「北は北海道から南は沖縄まで、全国を監督とともに回った。
作品はお客さんに見てもらって完成する。
自分の声できちんと作品の事を語る。その事を監督に叩き込まれた。
だから、今回は急な事ではあったけれど、ここに立って皆さんに挨拶できたことを
感謝しています」と大西信満が語り、
地曵豪も「遅い時間にも関わらず、こんなにたくさんのお客様が見に来てくださって
本当に、心からお礼を申し上げます」と頭を下げた。
最後に、キャメラの辻智彦が
「キャストもスタッフも、表も裏も垣根を越えて作り上げたのがレンセキ。
スタッフを代表して挨拶をします。
若松孝二の肉体はなくなりましたが、若松孝二の魂、精神は
映画の中に生きています。魂と、作品を通してふれあってください」と
短い言葉の中に、追悼を越えた万感の思いを込めて挨拶をした。
上映後には、場内から自然と拍手がわき起こった。
若松孝二の「落とし前」を、多くのお客様が目撃し、共有した瞬間だった。
一週間前の下高井戸シネマでの舞台挨拶の時には
若松孝二の姿をどこかに探し求めるような
ただただ深い「哀しみ」の中にあったが
昨日の舞台挨拶では、若松孝二の存在が放ち続けたエネルギーが
それぞれの中で、それぞれに形を変えて、芽吹いていた。
生きて、死ぬ。
人と関わり、別れる。
作品が生まれ、作品と出会う。
哀しさも嬉しさもいっしょくたになったようだった。
若松孝二のまなざしをどこかに感じた。
2012年10月24日水曜日
追悼・若松孝二 「実録・連合赤軍」上映
本日、晴れ男の監督らしいピーカンの青空の下、
参列者の拍手に見送られて監督は旅立った。
生前、「旅芸人の記録」(アンゲロプロス監督)で
権力に殺された青年を、家族が静かな拍手で見送った
あのシーンについて、繰り返し語っていた監督。
その監督の棺を見送る参列者から、拍手や声援が自然にわき起こった。
監督は、いつも、現場の先頭に立って、
少々理不尽でも言葉足らずでも、がむしゃらに進んでいた。
連合赤軍のロケは若松組としては異例の3ヶ月という長期間に及び
「若松塾」ともいうべきキャストの連帯も生まれた。
いくつもの修羅場を生還してきた監督だから
今回も、医学の数値を踏み越えて、起き上がってくると信じていた。
今も、何かがかみ合わない。
よく飲み込めないカタマリが喉につかえている。
それでも、状況は動いて行く。
今回、第25回東京国際映画祭で、若松孝二の追悼として、
2007年同映画祭「日本映画・ある視点」部門に出品された
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を
上映することになった。
上映前に、わずかな時間ではあるが、監督と作品の思いを
観客の皆さまと共有すべく、井浦新、大西信満、地曵豪の3名が
舞台挨拶に立つ。
参列者の拍手に見送られて監督は旅立った。
生前、「旅芸人の記録」(アンゲロプロス監督)で
権力に殺された青年を、家族が静かな拍手で見送った
あのシーンについて、繰り返し語っていた監督。
その監督の棺を見送る参列者から、拍手や声援が自然にわき起こった。
監督は、いつも、現場の先頭に立って、
少々理不尽でも言葉足らずでも、がむしゃらに進んでいた。
連合赤軍のロケは若松組としては異例の3ヶ月という長期間に及び
「若松塾」ともいうべきキャストの連帯も生まれた。
いくつもの修羅場を生還してきた監督だから
今回も、医学の数値を踏み越えて、起き上がってくると信じていた。
今も、何かがかみ合わない。
よく飲み込めないカタマリが喉につかえている。
それでも、状況は動いて行く。
今回、第25回東京国際映画祭で、若松孝二の追悼として、
2007年同映画祭「日本映画・ある視点」部門に出品された
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を
上映することになった。
上映前に、わずかな時間ではあるが、監督と作品の思いを
観客の皆さまと共有すべく、井浦新、大西信満、地曵豪の3名が
舞台挨拶に立つ。
2012年10月22日月曜日
若松孝二がそこにいた夜
昨日、下高井戸シネマにて、予定通り
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」上映後に
トークイベントが行われた。
補助椅子も座布団も総動員、立ち見で作品を観てくださった方たちも
多くいらした中で、上映後に、井浦新、満島真之介、大西信満が
トークに立った。
若松孝二が、他の監督と違う点は何か。
劇映画でありながら、実際に起きていることのようなリアリティを感じるのはなぜか。
連合赤軍の後に、なぜ三島由紀夫を題材にしたのか。
若松孝二から言われた言葉で、強く思いに残っているものは何か。
時間ぎりぎりまで、お客様からの挙手は続いた。
「ものづくり、映画作りに対する、自由さと純粋さ。
若松監督ほど自由で純粋な監督は他にいないと感じる」
「役者を言葉で徹底的に追いつめていきながら
内面の何物かをえぐり出していく、その演出は若松監督ならでは」
「大人に対して、あそこまで真正面から
言葉をぶつけてくる人は、他にいない」
「再現ドラマを撮るのではないから。その瞬間、芝居をしたら怒られますから」
「監督が描きたかったのは、「三島由紀夫」そのものではなく、
彼を通して、命がけで何かをしようとする若い人間の生き様だった」
ここに、実体として立っていない、若松孝二の
その思いを、作品を、情熱を、なんとか伝えようと
3人が懸命に言葉を紡いだ。
舞台挨拶では、作品を一人でも多くのお客さんに見てもらうために
時につたない言葉になりながらも、懸命にしゃべり続けた若松監督が
今も、3人の横に仁王立ちしているのではないか、とさえ思えた。
そこには、何もかも、言葉と思いがかみ合わないような
ここ数日の出来事を、ともに受け止めて、前に向かおうとする
同志がいた。
下高井戸シネマでの上映は、今週金曜まで。
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」上映後に
トークイベントが行われた。
補助椅子も座布団も総動員、立ち見で作品を観てくださった方たちも
多くいらした中で、上映後に、井浦新、満島真之介、大西信満が
トークに立った。
若松孝二が、他の監督と違う点は何か。
劇映画でありながら、実際に起きていることのようなリアリティを感じるのはなぜか。
連合赤軍の後に、なぜ三島由紀夫を題材にしたのか。
若松孝二から言われた言葉で、強く思いに残っているものは何か。
時間ぎりぎりまで、お客様からの挙手は続いた。
「ものづくり、映画作りに対する、自由さと純粋さ。
若松監督ほど自由で純粋な監督は他にいないと感じる」
「役者を言葉で徹底的に追いつめていきながら
内面の何物かをえぐり出していく、その演出は若松監督ならでは」
「大人に対して、あそこまで真正面から
言葉をぶつけてくる人は、他にいない」
「再現ドラマを撮るのではないから。その瞬間、芝居をしたら怒られますから」
「監督が描きたかったのは、「三島由紀夫」そのものではなく、
彼を通して、命がけで何かをしようとする若い人間の生き様だった」
ここに、実体として立っていない、若松孝二の
その思いを、作品を、情熱を、なんとか伝えようと
3人が懸命に言葉を紡いだ。
舞台挨拶では、作品を一人でも多くのお客さんに見てもらうために
時につたない言葉になりながらも、懸命にしゃべり続けた若松監督が
今も、3人の横に仁王立ちしているのではないか、とさえ思えた。
そこには、何もかも、言葉と思いがかみ合わないような
ここ数日の出来事を、ともに受け止めて、前に向かおうとする
同志がいた。
下高井戸シネマでの上映は、今週金曜まで。
若松孝二監督逝去の経緯について
若松孝二が急逝した経緯について、
様々な情報が流れておりますので、
若松監督の家族より、下記の通り説明をさせて頂きます。
若松孝二は、10月12日夜、新宿区内でタクシーにはねられ重傷を負いました。
救急車が到着した時には意識があり、自分で名前を言えるほどでしたが、
病院に到着した時にはすでに意識がありませんでした。
17日朝、脈が弱まり、終日、声をかけ続けましたが、
脈も弱まり、血圧も下降し、あらゆる反応が徐々に下降しました。
大きくみんなの声に反応する様子を見せたその直後、23時5分に息を引き取りました
家族が病院に駆け付けてからは、一度も会話はできず、
眼も開くこともありませんでした。
死因は、多発外傷との診断でした。
以上、簡単ながら、経緯をご説明させて頂きました。
様々な情報が流れておりますので、
若松監督の家族より、下記の通り説明をさせて頂きます。
若松孝二は、10月12日夜、新宿区内でタクシーにはねられ重傷を負いました。
救急車が到着した時には意識があり、自分で名前を言えるほどでしたが、
病院に到着した時にはすでに意識がありませんでした。
17日朝、脈が弱まり、終日、声をかけ続けましたが、
脈も弱まり、血圧も下降し、あらゆる反応が徐々に下降しました。
大きくみんなの声に反応する様子を見せたその直後、23時5分に息を引き取りました
家族が病院に駆け付けてからは、一度も会話はできず、
眼も開くこともありませんでした。
死因は、多発外傷との診断でした。
以上、簡単ながら、経緯をご説明させて頂きました。
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