2008年2月16日土曜日

速報!

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ベルリンでダブル受賞
ベルリン国際映画祭で、「実録・連合赤軍」がCICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)とNETPAC賞(NETWORK FOR THE PROMOTION OF ASIAN CINEMA賞)をダブル受賞しました。
詳細は"ベルリン国際映画祭 報告06”をお待ちください。まずは、応援くださった皆さまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

2008年2月15日金曜日

ベルリン国際映画祭 報告04

同じ志の者
「実録・連合赤軍」の今日の上映は、クーダムにある DELPHI劇場で行われました。その上映を終え、館外で観客の感想を聞いているときです。黒いコートを着た男が、若松監督に話しかけてきました。彼は、かつてのドイツ赤軍、バーダー&マインホフ・グループの活動家でした。刑期を終え、現在は貧しい子供たちや失業者を支援する社会活動をしているそうです。
「私には、この映画が非常に重く胸に突き刺さりました。若い世代には、この映画が表すものを、ちゃんと受け止めて欲しい。そして、それらを伝えてゆくのも、私たちの義務だと思います」
 事情があって、現時点では彼の顔も名前も明らかにできませんが、そこには、日本の連合赤軍の兵士たちと同じ時代を闘った者が持つ、風貌がありました。



 ドイツでドイツ赤軍をテーマにしたドキュメンタリー作品を撮った、アンドレアス・パウエル監督とも、再会しました。若松監督は、昨年秋、パウエル監督の作品が日本で上映されたとき、一度トークショーをしています。彼はいま、ドイツ赤軍の始まりを描くドラマ・フィルムを制作しようとしています。その作品が完成したら、日本に持ってゆくから必ず観てください、とパウエル監督は言いました。若松監督とパウエル監督は、親子ほども年が離れていますし、育った文化も異なりますが、あの頃の青年たちが突きつけた問題を、彼らを通して描こうとする姿勢に違いはありません。
 映画「実録・連合赤軍」には、どこかに同じ想いを持つ者たちが集まってきます。



 フィルム・マーケットと呼ばれる商談場が、1860年に造られた商工会議所で開かれていました。壮麗な建物の中には、各国映画の展示ブースがあります。ベルリン映画祭は、様々な国の様々な作品が上映される映画祭典だけではなく、映画の配給などを巡るビジネスの場でもあります。壮麗な建物の中で繰り広げられるのは、この映画祭のあまり知られていない一面です。









2008年2月14日木曜日

ベルリン国際映画祭 報告03

いよいよ、
「実録・連合赤軍
あさま山荘への道程

上映!


 2月13日午後7時から、ベルリン・ポツダム広場ソニーセンターの「シネスター8」で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の上映が始まりました。ベルリン国際映画祭では、上映館を変えながら合計4回上映されます。その記念すべき第1回目の上映場所は、鉄とガラスの建物が深い円形の広場を作るソニーセンターの地下にある巨大なシネコン「シネスター」の第8スタジオでした。


















 シネスター8の前には、上映10分ほど前には50人を超す人が集まっています。そして、上映開始時には、座席の前列数列を除き、800人入るという館内は、約8割埋まっていました。まず、拍手に迎えられた若松監督の舞台挨拶。その舞台挨拶のあと、主催者から43年前の「壁の中の秘め事」を出品したときの写真が手渡されました。このサプライズには、監督も大喜び。











 そして、照明が落とされ、上映開始。この闇が創り出す非日常的空間こそが、劇場で観る映画の醍醐味です。トップシーンの雪化粧した浅間山が、日本から遠く離れたベルリンの巨大なスクリーンに映し出されると、この映画に関わった万感の思いが湧き上がります。若松監督には、それは8、000キロ距離だけではなく、43年の時間を映画によって超えた一瞬でした。
 ベルリン居住中の友人によると、こちらの観客は上映作品が気に入らないと、遠慮容赦なく席を立つそうです。作品感想の第一声は、「席を立つ人が少なくて、驚いた」でした。多くの日本の観客だけではなく、ここベルリンの観客にも、3時間を越える上映時間が、けして長くなかったようです。



 上映後、永田洋子を演じた並木愛枝さんも交えたテーチインは、観客の質問に会場から拍手が湧き、監督の答えにも拍手が湧くほど、ヒートアップします。「43年前に上映されたぼくの作品が今年また上映されたように、この作品がまたいつか、このベルリン映画祭で上映される機会があることを願っています」、と監督。しかし、次の作品の上映時間が迫り、質疑応答は止むを得ず終了しなければなりませんでした。時間切れで質問ができなかった観客から、館外の人混みの中で次々に直接若松監督へ飛ぶ質問……。
 冬のベルリンの、熱い夜でした。

2008年2月13日水曜日

ベルリン国際映画祭 報告02


42年前の参加作品、
「壁の中の秘事」上映

 リアルタイムで報告をお届けするなんて言いながら、これで二日遅れになってしまい、申し訳ありません。取り急ぎ、12日の模様をお伝えします。

 午前中、若松監督は映画祭の本部があるポツダム広場の事務局へ出かけました。「フォーラム部門」に招待された各国の人で熱気があふれる事務局では、若松監督へのインタビューの申し込みなどが相次ぎ、スケジュールが決められてゆきます。
 ポツダム広場は、「ベルリンの壁」があった頃には、建物がない野原でした。東西ドイツの統合後は、ここをかつての繁華街にしようという都市計画が進み、いまではソニーやベンツが手がけた現代的なビル群が立ち並ぶ新都心になっています。そのポツダム広場には、映画祭のIDカードをぶら下げた人達が行き交い、シンボルマークの熊の像が描かれ、映画祭の雰囲気で溢れかえっていました。



 午後は、ベルリン最大の繁華街、かつての西ベルンの中心地・クーダムにある DELPHI劇場で、42年前の出展作品「壁の中の秘め事」が上映されました。上映後は、監督と観客のデスカッション。お客さんたちからは、活発な質問が溢れます。その後、ベルリン在住の友人たちと、かつて「壁の中の秘め事」が上映されたツォー劇場へ出かけました。友人たちの会話では、今回の「実録・連合赤軍」にまつわる人たちの話題が、次々に飛び出します。その祝杯には、懐かしさよりも、その思い出を巡る「いま」がこぼれていました。

ベルリン国際映画祭 報告01


















若松監督は、成田を飛び立ってベルリン国際映画祭に出かけました。
 出発地の東京は、快晴。日本からヨーロッパに向かう空路が延々と越えてゆくシベリアの大地も、果てしなく快晴が広がり、神秘的な表情を見せていました。
 





じつは、このベルリン国際映画祭は、若松監督にとって曰く付きの映画祭です。1966年に出品された「壁の中の秘事」が、日本ではスキャンダルとして受け止められ、作品は国辱映画とまで言われたのです。
 42年後の今年、そのベルリン国際映画祭の「フォーラム部門」に、若松監督渾身の一作「実録・連合赤軍」が、招聘されたのです。若松監督が越えてゆく眼下の白い大地は、その年月を思わせるように濃密でした。


 日本からベルリンへは直行便がなく、フランクフルトやロンドンなどで乗り換えて、最短でも13時間以上かかります。ベルリン・ティーゲル空港降り立ったときには、もうすっかり夜のとばりが降りていました。空港に出迎えてくれたのは、国際映画祭事務局の日本人女性がと青年2人。三人とも、ボランティアだそうです。そのまま、宿泊先のホテルに向かい、翌日からの打ち合わせ。その後、もちろんビールで乾杯。さすがに、ビールの宝庫だけあって、長時間のフライトに疲れた体に、染み通るのでした。
 永田洋子を演じた並木愛枝さんも、ロンドン経由で到着。いよいよ映画祭での若松監督の活動が始まります。


















(お詫び:ベルリンと日本の時差は8時間。ホテルの部屋からダイアルアップが使えないなど、アクセスがなかなか上手く行かず、すでに夜が明けて12日の活動が始まろうとしています。なるべくリアルタイムでUPしてゆきますが、遅れが出る場合もあります。ご容赦ください)

2008年2月12日火曜日

雪まじりのオールナイト最終回も無事終了 監督はベルリンへ!

再び、更新が途絶えましてすみません。
 今年に入ってから、外国人特派員クラブでの試写会と
会見、阿佐ヶ谷ロフトでのイベント参加、マスコミの取
材など、監督も忙しさを増しています。東京での公開ま
でに、もっともっと、この映画の存在が知れ渡っていく
よう、全力で頑張っております。
 さて、先週土曜日の夜中は、テアトル新宿にて最後の
オールナイトイベントでした。あいにく、夕方から東京
は本格的な雪。お客様の出足にどう響くか、というこち
らの予想に反して、0時には、集まったお客様で劇場ロ
ビーが溢れかえりました。
 しかもこの日、印刷屋さんから直行で届いたばかりの、
映画本「若松孝二 実録・連合赤軍」を、限定先行販売
したので、新作映画について書かれたこの本を、ひと目
見ようというお客様たちの熱気で、ロビーはむせかえる
ようでした。

 お陰さまで、書籍はあっというまに完売! お買い求め頂けなかった方たち、
申し訳ありませんでした。2月20日より、全国書店にて発売です。また、上映劇
場でもお求め頂けます。
 映画と同じく1960年から72年という時代と連合赤軍の歩みの全記録、あさま山
荘に立てこもった吉野雅邦さんからの書簡ほか当事者の声、映画を観られた方達
の寄稿、撮影日記に、監督インタビュー、出演者の声など盛りだくさん。巻末に
は完成台本も付いています。
 
 さて、イベントは、前回と同様、ジム・オルークさん、大友良英さん、勝井祐
二さんのライブでスタート。これまでは多くても2曲だったのですが、今回は3
曲。小さく繊細な音のセッションや、ストリングスが情緒豊かに響き渡る瞬間な
ど、いろいろな表情の音楽に、会場は酔いしれました。演奏の後は、演奏に感動
したお客さんからのかけ声も飛び出しました。
 続いてのメイキング最終章。いよいよ山岳アジトでの粛清が終わり、包囲網に
追いつめられた9人が雪山を越えていきます。そして、4人が逮捕、残った5人
はあさま山荘へ……。
 ますますヒートアップしていく監督、容赦なく役者さんやスタッフを怒鳴りつ
け、みんなを極限まで追いつめていきます。少年兵士を、グサグサ来る言葉で怒
鳴りつける監督、唇をかみしめて、芝居を続ける役者たち。監督を先頭に、全員
がボロボロになりながら駆け抜けた撮影現場、その空気を、メイキングのキャメ
ラは追い続けました。
  メイキングの後は、豪華ゲストによるトークです。崔洋一監督、井筒和幸監
督、阪本順治監督が壇上に上がり、若松監督とのなれそめや、右翼や新左翼など
幅広い監督人脈、絶妙の商売センス、飲み屋でからむ相手のおでこを灰皿でぱっ
くり割ったエピソードなど、抱腹絶倒の秘話を次々披露しました。その中で、崔
監督がもらした言葉。
「さっきのメイキングで、久しぶりに若ちゃんの現場を見ることができて思わず
目頭が熱くなったんだけど、現場での若ちゃんの迫力は、なんか、神々しくさえ
あったね」
 井筒監督はこんなことを言いました。
「25歳の頃の無名の僕のフィルムを、全く面識もない若松さんが、国映で試写を
見てくれて、見終わったらすぐに電話をかけて『面白いのがあるから、買ってや
れ』って、売ってくれた。だから、僕はもう、頭が上がらないんですわ」
 阪本監督が、若松監督が大絶賛している阪本監督のデビュー作について、
「すごくうれしいんですけど、でも、監督は、タイトルを、一度も正しく『どつ
いたるねん』って言ってくれたことがないんです。もう20年、ずっと『どついて
やるねん』って…」と言うと、崔監督も、
「僕もですよ。『月はどこから出た』とか『月は落ちた』とかね」といって会場
は大笑い。
「そういえば、僕のも『ガキ天国』『ガキ天国』言うてたわ」とすかさず井筒監督。
 トークの途中からは、若松監督も参戦。パレスチナ支援の話から、「実録・連
合赤軍」の映画に賭ける思いまでを語りました。
「僕は人が好きだから。右翼も左翼も、何も関係ないの。パレスチナだって、ヤ
クザのシマと同じだよ。自分とこが狭いからちょっと貸してくれって言われて、
ああ、どうぞ、と貸したら、2000年前はここはうちんとこだったなんて言い出し
て、どんどんシマを勝手に広げて、こっちを追い出そうとしてきたら、誰だっ
て、闘うだろ?」
 見ず知らずの若い井筒監督の作品を「面白いから買ってやれ」と連絡した監督
も、パレスチナの闘争にエールを贈る監督も、右翼の集会に単身乗り込んでいく
監督も、筋の通った、若松孝二という人間の生き様だと、改めて思ったのでした。
 トークの後は、『処女ゲバゲバ』と『17歳の風景』の上映でした。母親を殺
し、北へ北へと自転車を走らせる少年のロードムービー。改めて見ると、風景の
中で、どんどん存在が純化していくような少年の姿が、友川カズキさんの音楽と
ともに胸に突き刺さってきました。監督が、今回の連合赤軍の少年兵と、そし
て、今後撮りたいという山口二矢少年の、少年3部作。
 あの、爆発しそうな若い精神、危うく、脆く、純粋な若者の、疾走する生を撮
りたい、という若松監督を動かすものは、17歳でひとり上野へと家出してきた頃
の自分の魂なのかもしれません。
 さて、今日から若松監督はベルリン国際映画祭へ。現地の11日夜に、第一回目
の上映です。ベルリンの地で、「実録・連合赤軍」がどのように受け止められる
のか。現地からのレポートをお楽しみに!
 また、2月28日は、あさま山荘での銃撃戦が終結した日。この同じ日に、テア
トル新宿にて、「実録・連合赤軍」公開直前特別先行上映を行います。21時から
の上映で、24時15分に終了予定です。チケットぴあにて、2月16日からチケット
販売スタートです。一足先に本編を見たい!という方はぜひ!

2008年1月11日金曜日

新たな年も、濃密なオールナイトで幕開け

 
 
東京公開が近づき、慌ただしくなって参りました。イベントレポートが遅くな
り、すみません。
 1月5日、車も人も少ないお正月の新宿でのオールナイトイベント第三弾。テ
アトル新宿は再び、濃密な空気に満たされました。
 まず、壇上に上がったのは、シャンソン歌手の和田山奈緒さん。劇中、遠山さ
んと重信さんの別れのシーンで流れる「さくらんぼの実るころ」は、彼女の歌声
です。この歌は、パリ・コミューンの5月革命のとき、バリケードの中で若者た
ちによって口ずさまれたと言われています。この、愛しく哀しい歌声に、生きて
再び会うことのかなわなかった若い二人の姿がまぶたに浮かびました。
 続いて、無事ビザを取得し来日したジム・オルークさんが、大友良英さんと、
第一回に出演した勝井祐二さんとのセッションを聴かせてくれました。大友さん
が指で弦をこすれば、ジムさんは木琴のバチで弦を揺らします。勝井さんのバイ
オリンの響きがそこにかぶさります。3人の音が、自由にくっついたり離れたり
しながらの個性的なセッションでした。1曲が終わった後も、思いがけず、もう
一曲のプレゼント。お客さんはたっぷりと堪能してくださったことでしょう。

 













続いて「実録・連合赤軍」のメイキングVol.3の上映。いよいよ、撮影は総括
のクライマックスに。仲間の総括は凄まじい勢いで進み、粛清された同志たちは
次々と現場を去っていきます。どこまでが現実でどこまでがお芝居なのか。どこ
までの意識が自分のもので、どこからが演じている役の意識なのか。山岳ベース
で繰り広げられる総括。それを時に怒り、時に励ましながら(ほとんどの場合、
怒り、の方でしたが)演出をつけていく監督。役者さんと監督とのガチンコの勝
負が続きました。
 休憩を挟んで、トークが始まりました。今回は、右翼の鈴木邦男さんと、元右
翼で、今は非正規雇用の労働運動などに取り組む雨宮処凛さんがゲストです。司
会は今回も平岡正明さん。
「映画はやばかった。打ちのめされて、見終わった後、立ち上がれなかったくら
いショックだった」と、当時まだ生まれていなかった雨宮さんが、まず、映画の
感想を話しました。さらに、「自己批判、総括のシーンと、現代のネット上の自
傷グループの姿とが重なって見えた。革命が禁じられた21世紀、政治への回路が
絶たれた結果、自傷系に行き、同じような総括をしていることが、興味深かった
ですね」と話す一方で「これまで、あの当時の話を聞いていても、いまいちピン
とこなかったのが、本当に革命を起こせると確信できた激動の時代だったのだ、
とリアルに感じることができました」とコメント。
 鈴木邦男さんは「映画を観ただけではわからなかったが、メイキングを見て、
ああやって監督は俳優を追いつめていたのか、と思いましたよ。これだけ役者さ
んが変わっていくのならば、これは映画なんだ!と騙して集めて、実際に革命が
できてしまうのでは(笑)」と話しました。
「プレカリアートの運動(今の非正規雇用の若者たちの労働運動)は、思想では
ないです。60年代70年代は思想から入ってますよね。でも、今の運動は、本当に
食えない、生きていけない、という怒りから来ていますから。それが大きな違い
かな」と話す雨宮さんに「特別変わった人間ではない。普通に正義感から怒りに
駆り立てられてやったんです。あなたがあの時代にいれば、間違いなくやってま
すよ」と鈴木さん。
 話は、監督のガサ入れの事にまで及び、トークは盛り上がりました。「私も、
よど号の人と北朝鮮で会った後、ガサ入れされましたよ。しかも、有本さんの拉
致事件がらみってことで。当時私8歳ですよ。関係してるわけないじゃないです
か」と雨宮さんの思いがけないエピソードも。

  濃密なトークの後、65年のベルリン国際映画祭で上映され「国辱映画」と大騒
ぎになった『壁の中の秘事』と、足立正生さんがモデルだという『餌食』の2本
立てと続きました。
 前者は、終わらない戦後、団地の窒息しそうな空間、爆発しそうな浪人生。
 後者、は、レゲエをひっさげて日本へ帰ってきた男性を待ち受けていた、高度
成長に浮かれる日本。
「革命」を「音楽」に置き換えて作ったのだ、と監督が語るこの作品を貫くの
は、陽気に哀しい、乾いたレゲエのサウンド。どちらも、衝撃のラストです。
 今回は、全体に時間が長く、終了したのはすでに6時近く。東の空が明るんで
いました。
 空気の中に、どこか春のなま暖かさを感じました。
 いよいよ次回がラストです。皆さま、ぜひテアトル新宿でお会いしましょう!