1月17日、テアトル新宿の夜。
ムービーからスチールから、群れなすマスコミで
ごった返すロビー。
監督の定位置に、その姿がないとか
真っ先にマイクを握ってトークを席捲してしまう
監督がいないとか、何だとか、もう感じる余裕すらない
疾風怒涛の先行上映会の幕開けだった。
急遽決まった、ロビーでのマスコミ囲み取材一回追加。
数日間に膨れあがったマスコミからの問い合わせ。
こちらの意図とは別のところで、何かがスルスルと動いて行った。
「段取りなんか、決めたって、それ通りになんて
絶対にいきっこないんだから!」
あれこれと考え続けるこちらの脳裡に、監督の常套句が甦ってくる。
撮影現場もそう。人との関係もそう。何かの取材もイベントもそう。
監督は、段取りを決める事にすごく抵抗していた。いつも。
その瞬間の空気、人との距離、そうしたものを大切にした。
若松監督の最後の作品、若松組らしく、送りだそう。
言葉で確認しなくても、そこにいる誰もが、
無言のうちに、その思いを共有しているようだった。
キャストたちも全力で、作品を支えるべく奔走した。
囲み取材のマスコミのマイクに向かい、キャメラに向かって
この作品の熱を伝えるべく、言葉を紡ぎ続けた。
みんなで作りあげた作品、
みんなで送り出していく作品だ。
劇場内からエンドロールの音楽が漏れ聞こえてくる。
もうすぐ、舞台挨拶だ。
ロビー通路で待つ私たちの耳に飛び込んできたのは場内の拍手。
その瞬間に、頭の中で何かが吹っ切れた。
監督、聞こえましたか?
お客様が、作品を受け止めて、
お客様の中で、作品が新たな命となって生まれ変わった音。
そうだ、作品は観た一人ひとりのもの。
向かうべきは、スクリーンの前のお客さまたち。
あとは、いつもの通りだった。
寺島しのぶ、高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新が壇上へ。
自分の言葉で、作品を語り、監督を語る。
「今、ここにいない事が不思議で仕方がない。でも、
きっと今、監督はとても喜んでる」と寺島が語り、
「監督不在の中で、監督から教わった事を受け継いでいく事は
厳しい仕事になる」と佐野が語る。
「仕事のオファーをくれた時、監督は、自分に、何も言わず、何も聞かず
ただ、僕の居場所を作ってくれた。失敗したと周りに思われている事も
そうではないんだと思わせてくれた」と高岡が語り、
「クランクイン前、爆発しそうな自分を抱えて監督と会った。
少年時代からの自分のことを監督がずっと何時間も語ってくれて
勇気とエネルギーをもらって、歩いて帰った」と高良が語った。
「100本以上つくり続けて来た監督の、自分は監督の作品の一部になった」と
井浦が語った、監督への思いが充満した第一回目の上映後トーク。
そして二回目上映後。
すでに23時半を回ったが場内は相変わらず満席状態で
キャストたちの登壇を待ち受ける。
今回のトークは、一言ずつの挨拶のあと、すぐに
若松組恒例、お客さまとのティーチインへ。
わずか20分という限られた時間であっても
作品と出会った観客の余韻をできる限り受け止めたいという
キャストたちの心意気である。
作品が伝えたかった事は何か、という問いに
「作品は、見た人のものだから、どう読み取るのも自由」と
それぞれが前置きしつつ、時間と空間の中に積み重なったもの
日本の原風景、生まれて死んでいく営みへの眼差し
一人一人が、自分の言葉で作品と向き合い演じた思いを語った。
予定調和はどこにもない。
いつも、剥き出しの作品がそこにあり
スクリーンと対峙する剥き出しの存在がそこにある。
答えは、どこにもない。
ただ、作品が、観客によって、新たな命を吹き込まれた。
いくつもの姿に変わって、飛びたって行った。
全てが終わって、夜の新宿を歩いた。
佐野が取材の時、言っていた言葉を思い出す。
「ほんとなら、今夜は後で、監督と二丁目の店に
行くはずなんだけどな」
新宿のネオンの中に、監督と行きたい店が
何軒も、浮かんでは消えた。
次に向けて、気を引き締める。
次は、2月9日の尾鷲市、2月10日の新宮市。
尾鷲はロケ地となった須賀利の集落のある場所。
懐かしい風景が待っている。
どちらの会場でも、高良健吾、高岡蒼佑、井浦新が各回トークを行う。
2月9日(土)尾鷲市民文化会館(せぎやまホール)
12:00/15:30
当日券のみ(11:30よりホール入り口にて販売)全席自由1000円
各回上映終了後にキャストトーク。
共催:財団法人尾鷲文化振興会
2月10日(日)新宮市民会館大ホール
12:30/16:00 全席自由1000円(前売りも1000円)
12:30の回は上映終了後に、16時の回は上映前にトーク。
前売り券の販売場所は以下。
新宮市観光協会/文具センターツツ井/荒尾成文堂
勝浦観光協会/TSUTAYA WAY新宮仲之町店
共催:熊野しんぐうフィルムコミッション
ムービーからスチールから、群れなすマスコミで
ごった返すロビー。
監督の定位置に、その姿がないとか
真っ先にマイクを握ってトークを席捲してしまう
監督がいないとか、何だとか、もう感じる余裕すらない
疾風怒涛の先行上映会の幕開けだった。
急遽決まった、ロビーでのマスコミ囲み取材一回追加。
数日間に膨れあがったマスコミからの問い合わせ。
こちらの意図とは別のところで、何かがスルスルと動いて行った。
「段取りなんか、決めたって、それ通りになんて
絶対にいきっこないんだから!」
あれこれと考え続けるこちらの脳裡に、監督の常套句が甦ってくる。
撮影現場もそう。人との関係もそう。何かの取材もイベントもそう。
監督は、段取りを決める事にすごく抵抗していた。いつも。
その瞬間の空気、人との距離、そうしたものを大切にした。
若松監督の最後の作品、若松組らしく、送りだそう。
言葉で確認しなくても、そこにいる誰もが、
無言のうちに、その思いを共有しているようだった。
キャストたちも全力で、作品を支えるべく奔走した。
囲み取材のマスコミのマイクに向かい、キャメラに向かって
この作品の熱を伝えるべく、言葉を紡ぎ続けた。
みんなで作りあげた作品、
みんなで送り出していく作品だ。
劇場内からエンドロールの音楽が漏れ聞こえてくる。
もうすぐ、舞台挨拶だ。
ロビー通路で待つ私たちの耳に飛び込んできたのは場内の拍手。
その瞬間に、頭の中で何かが吹っ切れた。
監督、聞こえましたか?
お客様が、作品を受け止めて、
お客様の中で、作品が新たな命となって生まれ変わった音。
そうだ、作品は観た一人ひとりのもの。
向かうべきは、スクリーンの前のお客さまたち。
あとは、いつもの通りだった。
寺島しのぶ、高良健吾、高岡蒼佑、佐野史郎、井浦新が壇上へ。
自分の言葉で、作品を語り、監督を語る。
「今、ここにいない事が不思議で仕方がない。でも、
きっと今、監督はとても喜んでる」と寺島が語り、
「監督不在の中で、監督から教わった事を受け継いでいく事は
厳しい仕事になる」と佐野が語る。
「仕事のオファーをくれた時、監督は、自分に、何も言わず、何も聞かず
ただ、僕の居場所を作ってくれた。失敗したと周りに思われている事も
そうではないんだと思わせてくれた」と高岡が語り、
「クランクイン前、爆発しそうな自分を抱えて監督と会った。
少年時代からの自分のことを監督がずっと何時間も語ってくれて
勇気とエネルギーをもらって、歩いて帰った」と高良が語った。
「100本以上つくり続けて来た監督の、自分は監督の作品の一部になった」と
井浦が語った、監督への思いが充満した第一回目の上映後トーク。
そして二回目上映後。
すでに23時半を回ったが場内は相変わらず満席状態で
キャストたちの登壇を待ち受ける。
今回のトークは、一言ずつの挨拶のあと、すぐに
若松組恒例、お客さまとのティーチインへ。
わずか20分という限られた時間であっても
作品と出会った観客の余韻をできる限り受け止めたいという
キャストたちの心意気である。
作品が伝えたかった事は何か、という問いに
「作品は、見た人のものだから、どう読み取るのも自由」と
それぞれが前置きしつつ、時間と空間の中に積み重なったもの
日本の原風景、生まれて死んでいく営みへの眼差し
一人一人が、自分の言葉で作品と向き合い演じた思いを語った。
予定調和はどこにもない。
いつも、剥き出しの作品がそこにあり
スクリーンと対峙する剥き出しの存在がそこにある。
答えは、どこにもない。
ただ、作品が、観客によって、新たな命を吹き込まれた。
いくつもの姿に変わって、飛びたって行った。
全てが終わって、夜の新宿を歩いた。
佐野が取材の時、言っていた言葉を思い出す。
「ほんとなら、今夜は後で、監督と二丁目の店に
行くはずなんだけどな」
新宿のネオンの中に、監督と行きたい店が
何軒も、浮かんでは消えた。
次に向けて、気を引き締める。
次は、2月9日の尾鷲市、2月10日の新宮市。
尾鷲はロケ地となった須賀利の集落のある場所。
懐かしい風景が待っている。
どちらの会場でも、高良健吾、高岡蒼佑、井浦新が各回トークを行う。
2月9日(土)尾鷲市民文化会館(せぎやまホール)
12:00/15:30
当日券のみ(11:30よりホール入り口にて販売)全席自由1000円
各回上映終了後にキャストトーク。
共催:財団法人尾鷲文化振興会
2月10日(日)新宮市民会館大ホール
12:30/16:00 全席自由1000円(前売りも1000円)
12:30の回は上映終了後に、16時の回は上映前にトーク。
前売り券の販売場所は以下。
新宮市観光協会/文具センターツツ井/荒尾成文堂
勝浦観光協会/TSUTAYA WAY新宮仲之町店
共催:熊野しんぐうフィルムコミッション
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