15日(土)からキネカ大森で始まった
「若松孝二 追悼を越えて」特集上映。
初日の夜、「海燕ホテル・ブルー」と「11.25自決の日」
二本立て終了後、井浦新、地曵豪、大西信満、
辻智彦(キャメラマン)4名によるトークイベントが始まった。
監督と共に行った国内外のイベントの思い出、
海外における若松孝二作品の受け止められ方などを
訥々と語り始める4名。
客席からは「三島で記録映像を多様することで
若干物足りなさがある。予算的な問題のためか」
「総選挙前夜のこのイベントは、非常に旬。
三島や連合赤軍など演じて思想的な影響は受けるのか」
といった質問が飛び出す。
右も左も関係なかった若松孝二の作品への姿勢。
常にあった「対権力」という姿勢。
イデオロギーではなく、個として
演じる対象に向かっていったキャストたち。
言葉が次々と語られていった。
途中で1時間のメイキング映像を見ながら
キャストやキャメラマンが語る生オーディオコメンタリーも。
時に罵倒されるキャストやスタッフ、加速していく若松孝二。
それを共に見つめつつ、当時を思い返し、言葉を挟む。
「これ、当日の朝に打ち合わせしたことが、現地に行ったら
監督の頭の中で、何もかも変わっていたんです」
「あさま山荘にみたてた監督の別荘を最初に壊した瞬間
監督、すごく不機嫌になったんですよ、予測はしてましたが」
現場での監督は、ほとんど常に理不尽で、言葉足らずで、
時にみんなを置き去りにして暴走していこうとする。
その背中に、追いつこうと必死になればなるほど
若松組の現場は加速していくのだ。
メイキングを見終わった後も、ティーチインは続いた。
「海燕で演じた3人の男は、それぞれ、自分の内側にあるものなのか」
「監督と飲む時、どんな話しをしていたのか」
「ほかの現場にはない、若松組ならではのエピソードは何か」
次々と、客席から手があがる。
「自分の内側にないものは演じられないから
それは、どこかしら、自分の中にあるものを
デフォルメして演じてるのだ」と地曵が言うと、
「いや、そんなこと、あるわけないでしょ、
あの警官の言動、僕の内面とどこも一致しませんよ」と
大西が返し、場内が沸いた。
「海燕は特別な現場だった。三島が終わった後
アラタ、遊ぶぞ、と声をかけてくれたのだけど
本当に、こっちが本気でやればやるほど
監督は嬉しそうに笑ってたんです。
監督の笑い声が基準になっていた現場は海燕だけ」
と井浦が海燕のロケの特殊性を話すと
地曵が
「三島とレンセキの、いろいろな要素をはずしたら
海燕になる、と言った人がいたんだけど
なるほどな、と思った。
監督はずっとずっと、真面目に一生懸命なんとかしようと
もがいていって、でも、どこにもたどり着けずに
破れていく存在を描いてる。
それは、今の時代、どうにかしたくて、どうにかしようとして
それでも、どうにもできない、というような
その閉塞感を、ずっと描き続けていたんだろう、と」
レンセキや三島と全然違うようにみえる「海燕」も
実は、若松孝二が50年間の監督人生で執拗に描き続けたテーマの
延長にあったことを語った。
若松孝二と飲んだ時の話題の話しをしているとき
「監督は、映画マニアじゃないんです。映画をつくることが好きなんです。
だから、飲んでいる時も、次ぎに何が撮りたいとか
そういう話しをしてます」
「こういうシーンはどうやったら撮れるかな、といった話しもしますね」
と、次々と語られる若松孝二の姿は、全て現在進行形になっていた。
「スタイリストもなく、メイクもなく、役者に自分で衣裳を探させる。
若松監督のそのやり方は、予算の問題ももちろんあるけれど
それ以前に、役者を、そこまで対象にアプローチして
考えていかなければならない状況に置くということ」
「考える前に全てが用意される現場も少なくないけれど
ものを作るという意味で、どちらがスタンダードかと考えると
後者は、ごく最近できたものではないか」
3時間、あっという間だった。
話しは尽きなかった。
若松孝二の姿は見えないし、声は聞こえなかったけれど
話しの端々に出てくる、現在進行形の若松監督のエピソード。
若松監督は、生きている。
時折、耳にしていたその言葉の意味が、
少し腑に落ちた。
監督は、どんな逆風が吹いている時でも、
自分でできることを、地道に続けてきた。
晩年は華やかな舞台が多くなったが、それはほんの数年のこと。
持ち上げた世の中が手のひら返すこともたくさん見て来た。
それだけでしかないのだと、冷静だった。
だから、今の選挙結果には仰天しつつも、
怒りを忘れずに、続けて行けばいいだけだと、監督は言うだろう。
キネカ大森イベントは今月28日まで。
その後は、監督も大好きだった
「旅芸人の記録」を年末年始に上映するという。
「若松孝二 追悼を越えて」特集上映。
初日の夜、「海燕ホテル・ブルー」と「11.25自決の日」
二本立て終了後、井浦新、地曵豪、大西信満、
辻智彦(キャメラマン)4名によるトークイベントが始まった。
監督と共に行った国内外のイベントの思い出、
海外における若松孝二作品の受け止められ方などを
訥々と語り始める4名。
客席からは「三島で記録映像を多様することで
若干物足りなさがある。予算的な問題のためか」
「総選挙前夜のこのイベントは、非常に旬。
三島や連合赤軍など演じて思想的な影響は受けるのか」
といった質問が飛び出す。
右も左も関係なかった若松孝二の作品への姿勢。
常にあった「対権力」という姿勢。
イデオロギーではなく、個として
演じる対象に向かっていったキャストたち。
言葉が次々と語られていった。
途中で1時間のメイキング映像を見ながら
キャストやキャメラマンが語る生オーディオコメンタリーも。
時に罵倒されるキャストやスタッフ、加速していく若松孝二。
それを共に見つめつつ、当時を思い返し、言葉を挟む。
「これ、当日の朝に打ち合わせしたことが、現地に行ったら
監督の頭の中で、何もかも変わっていたんです」
「あさま山荘にみたてた監督の別荘を最初に壊した瞬間
監督、すごく不機嫌になったんですよ、予測はしてましたが」
現場での監督は、ほとんど常に理不尽で、言葉足らずで、
時にみんなを置き去りにして暴走していこうとする。
その背中に、追いつこうと必死になればなるほど
若松組の現場は加速していくのだ。
メイキングを見終わった後も、ティーチインは続いた。
「海燕で演じた3人の男は、それぞれ、自分の内側にあるものなのか」
「監督と飲む時、どんな話しをしていたのか」
「ほかの現場にはない、若松組ならではのエピソードは何か」
次々と、客席から手があがる。
「自分の内側にないものは演じられないから
それは、どこかしら、自分の中にあるものを
デフォルメして演じてるのだ」と地曵が言うと、
「いや、そんなこと、あるわけないでしょ、
あの警官の言動、僕の内面とどこも一致しませんよ」と
大西が返し、場内が沸いた。
「海燕は特別な現場だった。三島が終わった後
アラタ、遊ぶぞ、と声をかけてくれたのだけど
本当に、こっちが本気でやればやるほど
監督は嬉しそうに笑ってたんです。
監督の笑い声が基準になっていた現場は海燕だけ」
と井浦が海燕のロケの特殊性を話すと
地曵が
「三島とレンセキの、いろいろな要素をはずしたら
海燕になる、と言った人がいたんだけど
なるほどな、と思った。
監督はずっとずっと、真面目に一生懸命なんとかしようと
もがいていって、でも、どこにもたどり着けずに
破れていく存在を描いてる。
それは、今の時代、どうにかしたくて、どうにかしようとして
それでも、どうにもできない、というような
その閉塞感を、ずっと描き続けていたんだろう、と」
レンセキや三島と全然違うようにみえる「海燕」も
実は、若松孝二が50年間の監督人生で執拗に描き続けたテーマの
延長にあったことを語った。
若松孝二と飲んだ時の話題の話しをしているとき
「監督は、映画マニアじゃないんです。映画をつくることが好きなんです。
だから、飲んでいる時も、次ぎに何が撮りたいとか
そういう話しをしてます」
「こういうシーンはどうやったら撮れるかな、といった話しもしますね」
と、次々と語られる若松孝二の姿は、全て現在進行形になっていた。
「スタイリストもなく、メイクもなく、役者に自分で衣裳を探させる。
若松監督のそのやり方は、予算の問題ももちろんあるけれど
それ以前に、役者を、そこまで対象にアプローチして
考えていかなければならない状況に置くということ」
「考える前に全てが用意される現場も少なくないけれど
ものを作るという意味で、どちらがスタンダードかと考えると
後者は、ごく最近できたものではないか」
3時間、あっという間だった。
話しは尽きなかった。
若松孝二の姿は見えないし、声は聞こえなかったけれど
話しの端々に出てくる、現在進行形の若松監督のエピソード。
若松監督は、生きている。
時折、耳にしていたその言葉の意味が、
少し腑に落ちた。
監督は、どんな逆風が吹いている時でも、
自分でできることを、地道に続けてきた。
晩年は華やかな舞台が多くなったが、それはほんの数年のこと。
持ち上げた世の中が手のひら返すこともたくさん見て来た。
それだけでしかないのだと、冷静だった。
だから、今の選挙結果には仰天しつつも、
怒りを忘れずに、続けて行けばいいだけだと、監督は言うだろう。
キネカ大森イベントは今月28日まで。
その後は、監督も大好きだった
「旅芸人の記録」を年末年始に上映するという。
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