本日、朝6時半に都内集合後、一路御殿場へ。
三島と自衛官との出会い、盾の會結成式、学生長交代など
すごいスピードで撮影がすすんでいく
今まで、台本上の文字でしか共有できなかったイメージに
役者たちが次々と息吹を吹き込んでいく。
そして、本日も終日響く監督の怒号。
「幼稚園の芝居するな!」
「本なんてろくなもんじゃないんだ!」
「てめえの頭で考えろ!」
怒りながら、芝居をじっと見つめながら、キャメラのアングルを決めながら、
監督は次々と撮り続けていく。
そして本日も3時過ぎに撮影終了。
あまりのスピードに、目眩を覚えるほどだ。
御殿場ロケ写真は、明後日、東京に戻ってからアップいたします。
2011年4月24日日曜日
2011年4月22日金曜日
三島の心
本日のロケは、剣道場と都内神社境内にて。
相変わらず早撮りの若松監督、その瞬間瞬間の人間を
迷いなく演出し、切り取っていく。
これまで連日、ほぼ予定を数時間巻いて撮影は進行。
午前中の道場では、三島と盾の会学生部代表の森田の思いが
交錯する。
派手な演出や芝居ではなく、
わずかな息遣い、眼差しに、垣間見えるものを
キャメラは丁寧に追いかける。
そうした繊細な表現の現場ではあったが
相変わらず、朝イチから道場に響き渡るのは
監督の怒号…。
ご協力くださった小塚道場のみなさま、ありがとうございました。
続いて午後は、都内の神社境内にて、三島の舞。
ARATAの舞の一挙一動、手の動き、目線、
その細かな一つ一つに、魂が宿っている。
見つめる監督も、思わず手を握りしめている。
「カット!!」
満足げな監督の声が境内に響いた。
三島の精神世界を若松監督が、不思議な手触りで描き出す。
春爛漫の境内で、時空を超えたような、奇妙な錯覚を覚えた。
相変わらず早撮りの若松監督、その瞬間瞬間の人間を
迷いなく演出し、切り取っていく。
これまで連日、ほぼ予定を数時間巻いて撮影は進行。
午前中の道場では、三島と盾の会学生部代表の森田の思いが
交錯する。
派手な演出や芝居ではなく、
わずかな息遣い、眼差しに、垣間見えるものを
キャメラは丁寧に追いかける。
そうした繊細な表現の現場ではあったが
相変わらず、朝イチから道場に響き渡るのは
監督の怒号…。
ご協力くださった小塚道場のみなさま、ありがとうございました。
続いて午後は、都内の神社境内にて、三島の舞。
ARATAの舞の一挙一動、手の動き、目線、
その細かな一つ一つに、魂が宿っている。
見つめる監督も、思わず手を握りしめている。
「カット!!」
満足げな監督の声が境内に響いた。
三島の精神世界を若松監督が、不思議な手触りで描き出す。
春爛漫の境内で、時空を超えたような、奇妙な錯覚を覚えた。
2011年4月21日木曜日
国際反戦デーのその日…
1968年10月21日、ベトナム戦争に反対する学生たちが新宿に集結、
米軍横田基地へのジェット燃料の補給を阻止すべく
新宿駅を実力で占拠した。
いわゆる、新宿騒乱である。
時を同じくして、三島たち楯の会の隊員も
都内某所に集結していた。
自衛隊が治安出動に動き出すその時に備えて…。
楯の会の若者たちも新左翼の若者たちも
今の社会構造に疑問を抱き、よりよい社会を夢見ていた点では
同じ情熱を抱いていたといえよう。
だからこそ三島は、東大全共闘の討論で
「諸君らがひとこと、天皇とさえ言ってくれれば
喜んで安田講堂にともに立て籠もったのに…」と語るのである。
監督が撮りたいのは、三島の人生の再現ではなく
そうした情熱を抱いた人間たちの息づかいである。
そして、昨日も今日も、私たちの目の前に、そんな人間・ミシマが出現した。
人が人を表現する事の奥深さに、思わずため息。
本日の東大全共闘との討論シーンでは、懐かしい「実録・連合赤軍」の
懐かしい元同志たちも数名集結。
100名近いエキストラの方も集まって下さり、熱気でムンムン。
緊張感と熱気と怒号が場内を満たし、1960年代の空気に包まれた。
ご協力くださった皆さま、ありがとうございました。
そして、ネイキッドロフト、ロフトプラスワン、阿佐ヶ谷ロフトと
ロケ場所を提供してくださったロフトの皆さま、ありがとうございました!
ロフト独特の空気であったからこそ、あの熱気が醸し出せたのだと思います。
米軍横田基地へのジェット燃料の補給を阻止すべく
新宿駅を実力で占拠した。
いわゆる、新宿騒乱である。
時を同じくして、三島たち楯の会の隊員も
都内某所に集結していた。
自衛隊が治安出動に動き出すその時に備えて…。
楯の会の若者たちも新左翼の若者たちも
今の社会構造に疑問を抱き、よりよい社会を夢見ていた点では
同じ情熱を抱いていたといえよう。
だからこそ三島は、東大全共闘の討論で
「諸君らがひとこと、天皇とさえ言ってくれれば
喜んで安田講堂にともに立て籠もったのに…」と語るのである。
監督が撮りたいのは、三島の人生の再現ではなく
そうした情熱を抱いた人間たちの息づかいである。
そして、昨日も今日も、私たちの目の前に、そんな人間・ミシマが出現した。
人が人を表現する事の奥深さに、思わずため息。
本日の東大全共闘との討論シーンでは、懐かしい「実録・連合赤軍」の
懐かしい元同志たちも数名集結。
100名近いエキストラの方も集まって下さり、熱気でムンムン。
緊張感と熱気と怒号が場内を満たし、1960年代の空気に包まれた。
ご協力くださった皆さま、ありがとうございました。
そして、ネイキッドロフト、ロフトプラスワン、阿佐ヶ谷ロフトと
ロケ場所を提供してくださったロフトの皆さま、ありがとうございました!
ロフト独特の空気であったからこそ、あの熱気が醸し出せたのだと思います。
2011年4月19日火曜日
磯の香りと監督の怒号
本日は、風と波が吹き付ける岩場にて撮影。
「そうじゃないだろう!台本なんて、こんなものを信じるな!芝居をするな!」
久しぶりに若松節が炸裂。
現場に緊張が走りました。
怒号を響かせつつ、演技指導しつつ、監督自らも少し出演・・・。
どんなシーンかは、作品を観てのお楽しみです!
「そうじゃないだろう!台本なんて、こんなものを信じるな!芝居をするな!」
久しぶりに若松節が炸裂。
現場に緊張が走りました。
怒号を響かせつつ、演技指導しつつ、監督自らも少し出演・・・。
どんなシーンかは、作品を観てのお楽しみです!
2011年4月18日月曜日
早稲田に吹き荒れた嵐
4月17日(日)、三島ロケが本格スタートした。
「よーい、シュート!」
キャメラが回り出す。
クランクアップまで、ついにノンストップの日々が始まった。
この日のファーストカットは日本の未来への熱い思いを語る森田必勝青年。
彼の脳裡には、どのような理想の未来図が描かれていたのだろうか。
森田役の満島真之介は、初の若松組。
これから、若松監督の演出と満島の演技がどのような和音を奏でるのか、楽しみだ。
17日の午後は、早稲田大学の協力のもと、
大隈講堂前で新左翼の学生たちと森田ら保守派の学生の乱闘シーンの撮影。
やり直しのきかない一発勝負、満若のBキャメラのみならず、
照明の大久保キャメラなども総動員。
そして、気合い満タンの大勢のエキストラの皆さんのご協力のおかげで、
迫力ある乱闘シーンが撮影できた。
21日(木)12時からの、阿佐ヶ谷ロフトにおけるエキストラも
ぜひ、皆さま、ご協力をお願い致します!
1966年当時、早稲田は150日間に及ぶバリケード闘争のまっただ中にあった。
学生運動の嵐が吹き荒れる中、これら新左翼の学生のやり方に不満を持った森田らが、
「新民族主義」を掲げ、左翼革命勢力と対決すべく結成したのが、
「日本学生同盟」だったのだ…。
というわけで、夕方からは、河合塾コスモ校の協力で、
日本学生同盟(日学同)の発会式の撮影。
日学同の初代委員長、斎藤英俊の演説が響き渡る。
初日の撮影は、大きなトラブルもなく、
監督の激しい怒号が響き渡ることもほとんどなく、
この日の気候と同じく穏やかに終了した。
そして今日、西荻の小さなアパートにて、
森田ら楯の会の若者たちの心の葛藤を描くシーンの撮影。
撮影現場のアパートが余りに狭く、スタッフは殆ど現場の外で待機。
扉の向こう側から、森田らの歌声が漏れ聞こえてくる。
生き急いだ若者の歌声が、哀しく胸に響いてきた。
2011年4月6日水曜日
クランクイン!2・26の青年将校ら現る
4月1日、新潟県魚沼市六日町にて、ファーストカットの撮影が行われた。
1936年2月、首都東京を震撼させた青年将校らとその下士官たちの決起、
いわゆる2・26事件、ときの首相ら重臣を襲撃、殺害したクーデター未遂事件である。
その日、東京は大雪に見舞われていた。
ザックザックと雪を踏みしめて進む多数の軍靴。
その将校らの姿を見つめる、一人の少年の姿があった。大きく見開かれる少年の目…。
当時11歳であった三島少年の瞳に、脳裡に、
将校たちの決起はどのように焼き付けられたのだろう…。
という感慨にひたる間もなく、終始現場に響き渡る監督の怒号…。
ああ、若松組が再び始動したんだなあ、という別の感慨にひたる。
六日町に到着後すぐ、撮影の辻智彦、制作の大日方教史とともに
ロケハンに出かけた若松監督だったが、すぐにロケ地を決めて戻ってくる。
エキストラの皆さんに集合して頂く予定の13時には、
すでに監督のエンジンはフル回転になっていた。
すぐにでもロケに出発したいけれども、まだ揃わない青年将校たちのフル装備…。
「何モタモタしてるんだ!日が暮れるぞ!」
「明日になるぞ!早くしろ!(いえ、まだ13時15分ですが…)」
窓の外から監督の怒鳴り声が聞こえて来る中、
衣装部、演出部、エキストラの皆さんの総力を結集し、汗だくになって、
大急ぎでゲートルを巻き、コートを着込み、水筒と背嚢を背負い、
銃弾のベルトを締めていく。
みるみるうちに、部屋の中は旧陸軍の青年将校たちで溢れかえっていった。
監督の怒号は、監督流の現場演出術とも言える。
監督の怒鳴り声で現場は締まり、スタッフも出演者も誰もが1点に集中するからだ。
その集中力は長くは続かない。
だから監督は早撮りだ。
現場が一点に集中したその瞬間を、キャメラに素早く切り取っていくのだ。
というわけで、撮影は、あっという間に終了した。
緊張で少し頬を赤らめながら、足早に過ぎゆく将校らを
懸命に見つめる少年役の尾崎康介君。
わざとらしい演技のない、その初々しさが、胸に強く残ったワンシーンとなった。
エキストラにご協力くださった皆さま、魚沼市のFCの皆さま、
本当にありがとうございました。
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