2011年3月28日月曜日

時代を超えた空気の質感

 東北関東大震災からもうすぐ2週間である。大きな地震。大津波。そして見えない放射性物質の恐怖をまき散らす福島原発の未曾有の事故。
 節電のためといって普段より控えめになった、駅構内やスーパーの照明。この落ち着いた明るさで、ちょうどいい。なぜ今まで、あんなに必要以上に、煌々と照らし続けて、電力会社を儲けさせてきたのだろう。なぜ、口角泡を飛ばして災害の状況を報じているテレビ局のスタジオは、相変わらず眩しい程のライトで照らしているのだろう。大体、連日の自粛の広告は何なんだ。善意の大合唱、個人の努力推奨の裏側でごまかしがあるんじゃないか…というような事を話しながら、ロケハンや本直しの日々を送っている。
 


 

 
24日に訪れたのは、江東区にある昭和初期に立てられた重厚なビル。古き時代の薫りただよう空間に一歩足を踏み入れると、淡く光る玄関のガラスの金色や、入り口脇にしつらえられた木彫りのコート掛けなど、時代を超えた職人技の美しさに息を呑む。どこにも陰ができないまぶしさで照らされた無機質なテレビ局のスタジオの対極だ。そこかしこに、時代を超えて呼吸してきた空間の湿度と温度を感じる。階段を降りていくと、そこから、楯の会の制服に身を包んだ青年が、ふっと現れてきそうな気さえした。

  
 そして翌25日は、御殿場周辺のロケハン。うすく靄のかかった空を、白銀の富士山が切り裂くようにそびえ立っている。御殿場といえば、かつては「処女ゲバゲバ」や「天使の恍惚」、最近では「17歳の風景」など、若松プロのオープンセット?とも言える場所。
 荒野と富士山、乾いた大地にそびえる記号化したようなその風景を見つめる若松監督。三島由紀夫氏の心の渇きに思いを馳せているのだろうか。




  役者さんの衣装合わせも着々と進んでいる。
 不思議なものだが、衣装を身にまとった瞬間、役者さんの表情が一変する(ように感じられる)。人が他人を演じることの奥深さを感じる。
 若松監督は、よく撮影の現場で、役者さんにこう怒鳴る。「モノマネじゃないんだよ!お前だったら、どう感じるんだよ!」
 今回の現場でも、きっと、度々、こうした怒号が響くに違いない。

2011年3月9日水曜日

ロケハンに取材に…監督のエンジン加速中


 
「三島由紀夫」のクランクインまで、あと一ヶ月。
若松監督はロケハンに取材にと、忙しい日々を送っている。
日ごとに、監督の中のエンジンの回転速度が高まりつつあるのを感じる。
ロケハン中の監督は、空間をじっと見つめている。その視線の向こう側に、何が見えるのだろうか。
監督の目がゆっくり動いていく。人物の動きなのか、キャメラの動きなのか。監督の頭の中で、登場人物たちはいきいきと、自在に動き回っているに違いない。そのイメージを、我々スタッフがどう共有し、制作の準備へとつなげていくのか。あまり多くを語ろうとしない若松監督とのもの創りは、こちらの想像力や発想力が常に試される。緊張の糸は常にピンとさせねばならないけれど、心躍るセッションでもある。
6日(日)は相模原にある神刀流の剣舞の道場を取材。三島由紀夫役のARATA氏も同行、張り詰めた様式美の漂う、迫力ある剣舞を見学させて頂いた。日本刀をこよなく愛した三島氏。どのような思いを刀に込めていたのだろう。

一方の若松監督は、かつて、映画製作の資金を捻出するために、日本刀を売る商売をしていた事もあったという。やや懐かしそうに(?)日本刀を見つめていた。

2011年2月18日金曜日

2011年02月18日

2月15日、市ヶ谷の防衛省へ。
かつての陸軍士官学校1号館だった市ヶ谷記念館などを見せてもらう。
 

 
この記念館の1階にある大講堂は
極東国際軍事裁判(東京裁判)の行われた場であり
この記念館の2階にある前陸自東方総監室が、
三島由紀夫と森田必勝が自刃した場である。
まさに、昭和の空気が色濃く充満している建物だ。
若松監督は、総監室から、窓の外のバルコニーに目を転じた。
そのバルコニーこそ、三島が「諸君の中に、一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか?」と
自衛隊員に呼びかけた場所だ。


すでに各地の舞台挨拶などでも公言している通り
監督の次回作の1つが「三島由紀夫」。
今回の見学にはNHKの取材クルーが同行。
「現場を目にして、どのような思いが?」との問いに、
監督は「ますます(「三島」を)撮ろうという思いが強くなりました。
彼らは、どんな思いで、この場所に来たのだろう、と。
僕は、再現ドラマを撮るつもりはありません
人間としての三島をどう描こうかと考えているのです」と語った。


監督の頭の中で、さまざまなイメージが一つの流れとなって渦巻き始めている。
その手応えを感じた一日となった。

2011年2月13日日曜日

海の家に響く怒号

撮影2日目。吹雪いたかと思うと、薄日がさし、また粉雪が舞う。変わりやすい冬空の下で、男が列車に乗り込むシーンの撮影。車内は監督と地曵さん、撮影部2名だけの、ゲリラ撮影。線路の向こうには、強風にうねる日本海が深緑色の波しぶきあげている。監督、キャメラの辻さんに、実景撮りの指示も出す。恐らく、監督の頭の中には、近くクランクイン予定の「三島」があるのだ。
 


その後、バスで北上し、海の家で、男が出所後初めて食事をとるシーンの撮影。到着してわずか数分で準備が整い、あっという間にキャメラが回り始めた。
閑散とした冬の海。どんよりとした灰色の空を見つめながら、湯気の立つお椀をすすり、ご飯を頬張る男。しばらくすると勢いよい咀嚼が止まる。久しぶりのボリュームある食事に、刑務所の食事に馴染んだ胃が過剰反応を起こす…。
その瞬間、監督の怒号が響いた。そんな時、どう感じるんだ、もっと戸惑うだろう、もっとうろたえるだろう、もっと、もっと!!
監督のイメージが、ぐいぐいと役者を追い詰め、表情がますます研ぎ澄まされていく。
あっという間に3カット終了。
昼食を挟んで、男が嘔吐するシーンと海岸を歩くシーンの撮影で、今回の予定は全て終了した。

監督は、あまりこまごまとしたディテールにこだわらない。ただ、そこの芯にあるもの、その瞬間の人間の生の迸りのようなもの、その一点に集中して、そこだけは妥協しない。理屈ではなく、嗅覚のようなものだ。
男の目が見据える先に、その視線の先に、監督はどんな世界を紡ぎ出すのか、これからのロケに静かな興奮を覚えるクランクイン2日目となった。

若松組、始動!

2月9日朝、代々木駅前を出発したロケバスの車内で、若松組クランクイン恒例となった、赤飯のおにぎりが配られた。バスは一路、冬の新潟へ。車内には、程よい緊張がみなぎっていた。
そして、時折粉雪の舞う北国の刑務所前で、ファーストカットの撮影が始まった。灰色のコンクリートの横を歩く、一人の男性の姿。五年の刑期を終えて出所してきたばかりだ。
 


男を演じるのは、「実録・連合赤軍」で森恒夫氏を演じた、地曵豪さん。
船戸与一原作の「ホテル海燕ブルー」が、若松孝二によって、新たに生まれ変わっていく。

その日予定していた撮影は、あっという間に終了。監督の早撮りは健在だ。目の前の役者と風景を、次々にキャメラで切り取っていく。
それにしても、北国の凍てついた風景と監督は、よく似合う。人の心の乾きや熱さを、その風景の中で、巧みに映像にしていく。
四年前の、連合赤軍のロケを思い出した。

2011年2月9日水曜日

早稲田松竹で二本立て、スタート!

 

2月5日(土)、早稲田松竹で「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」の二本立て上映がスタートしました。2作品で4時間半以上もの長丁場ですが、場内は満席、上映終了後の興奮冷めやらぬまま、若松監督のトークイベントが始まりました。
 まず監督は、自身のパレスチナのシャテーラキャンプの大虐殺の経験を語り、「常に女性や子どもの弱者が犠牲になるのが戦争だ」と「正義の戦争も国家のための戦争も、まやかしだ」と話しました。「沖縄の米軍基地問題も、小学生の女の子が3人の米兵にレイプされる事件がきっかけになって、基地問題が大きく取り上げられるようになった。だけど、米軍の一兵士が悪いという問題じゃない。戦争というのは、戦場というのは、それだけ、人間性を破壊するものだということ。日本の特攻隊の若者たちだって、1銭5厘のハガキで召集され、クスリ入りチョコレートを食べさせられて突撃させられた。そういう戦争の実態がある」という監督の話しを受けて、次々と「キャタピラー」や「実録・連合赤軍」の作品について、質問の手が挙がりました。
「寺島さんが、勲章や額縁を倒したシーンで、なぜ、天皇の写真は倒さなかったのか?本当は一番倒したかったのでは?(キャタピラー)」
「高校生です。映画の中で花を食べちゃう人がいましたが、戦時中であれば、ああいう人は村の中でひどいイジメに遭ってしまうのでは(キャタピラー)」
「自分は早稲田の大学生だが、当時、火炎瓶投げて、授業料値上げ反対を叫んでいた人たちが、今や教授になって、僕たちから高い授業料を取って、いい生活をしている。定年になれば、僕らの働いたお金から高い年金をもらうんだろうと思うと、あまりに無責任じゃないかと思うのですが(連合赤軍)」等…。
 実にストレートな質問が続きました。
 天皇の写真については「僕は何も言ったわけではないが、寺島さんは、やっぱり、そこは考えて演じてくれたんじゃないか。もし、天皇の写真までやってたら、それこそ、右翼が黙ってなくて、大変だったんじゃないかな。僕も、そこまで度胸ないですし(笑)、これが上映できなかったら、それこそ無一文ですから…」と答え、場内の笑いを誘いました。
 花を食べていた人物については「昔、戦争に連れて行かれないためには、バカのフリをするか、醤油を飲んで肺病のフリをするかだったんです。あれが、本当の反戦ですよ。なにも、暴力やデモだけが抵抗の方法じゃない。ああいう抵抗の仕方だってあるんです。一人一人が、そういう抵抗の方法を考えればいいと僕は思うんです。思考停止に陥らないことですよ。若い人は、世間にかき回されない方がいいよ」
 早稲田の学生からの団塊の世代の教授批判については「先生に、食ってかかったらどうですか。そりゃ、ずるいよ、みんなを煽動し、運動に走らせて、終わったら、さっさと戻ってのうのうとやっている。それこそ、今の学生たちが、糾弾すればいいんじゃないかと思う」と語り、連合赤軍のあまりにむごたらしい総括についての質問に対して「組織を作ると、必ずそうなるんです。権力が生まれると、邪魔な奴は消していこうとするんです。日本でも、相撲協会でも、会社組織でも、世界でも、同じでしょう。うるさい奴は北海道へ飛ばしてしまえ、というのも同じ。人間の欲、権力の欲。ご飯を食べられて楽しく生きられりゃ、それでいいのに、どうしてか、人間の心はそうなってしまう」と、権力と組織の普遍的な形として、総括を語りました。
「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」、2つの作品が交錯し、組織と個人、男と女、暴力とエロス、濃密な若松ワールドが展開している早稲田松竹、上映は今週いっぱいです。劇場へぜひ、足をお運び下さい!

2010年12月3日金曜日

SARVH賞&アジア太平洋映画賞


12月3日、東京會館にて新藤兼人賞・SARVH賞2010の受賞式がおこなわれ、最優秀プロデューサー賞である「SARVH賞」を若松監督が受賞しました。
作りたい映画を自力で作り上げ、自力で公開してゆく独立系のプロデューサーの原点に根ざしている点、また監督をしながらも長年に渡り最もインディペンデントな形での映画作りをしている若松監督のプロデューサーとしての姿勢が今回の受賞につながりました。
若松監督は「なんで監督賞でないのかな」と照れながらも、「これからも自分の好きな、思い通りの映画を撮っていきたい。私は74歳だが、なるだけ新藤監督に近づこうと思っている。尊敬する新藤監督とこのような形でお会いする事が出来て、本当にうれしい。これからも自分の映画を撮れるように頑張ります」と、挨拶をされました。
新藤監督は98歳ですが、新作が出来たばかりです。新藤監督の年齢を感じさせない、そして志を持って映画を作り続ける姿勢には、本当に圧倒されます。若松監督も元気でお茶目な新藤監督とお話をされて、とてもうれしそうでした。
この後、若松監督は函館イルミナシオン映画祭に出席する為に、函館に飛び立ちました。
 




そして海外からもうれしいお知らせが飛び込んできました。オーストラリアで開催された『第4回アジア太平洋映画賞』で寺島しのぶさんが審査員特別賞を受賞し、2日に豪ブリスベンのマリオットホテルで行われた授賞式に出席されました。「今回審査員の方々の目に留まって、審査員特別賞を頂けるということは、本当に女優として光栄なことだと思っております。ベルリンでは味わえなかった授賞式というものを存分に楽しんで、また次の作品に繋げていきたいと思っています」と、寺島さんは喜びの挨拶をされました。寺島さんは受賞が急遽決まり、前日にオーストラリアに飛び立たれたそうです。

そしてシネマテークでの旧作40本上映に沸くパリでは、12/1(水)にパリの映画館で「キャタピラー」が封切されました。色々な雑誌、新聞でとりあげられ、批評や反応もとても良いとの事です。寺島さんの受賞、そしてパリでの封切と、今週はうれしいお知らせがたくさんありました。