2007年1月19日金曜日

ファースト・カット……、地吹雪 !!

1月19日
 
今日から、本格的な第二次ロケが始まった。昨日の夕方到着した出演者は、今朝いきなり風速20メートル近くの地吹雪のなかに放り出された。追い詰められた連合赤軍の9人が、警察の包囲網を脱出する場面だ。
 群馬県妙義山の籠沢の近くで刑事から職務質問を受けた坂口らは、厳冬の妙義山を越えて、長野県へ脱出を試みる。それは地元の登山家でさえ尻込みするようなルートだった。この作品では場所の設定を変えているが、描かれる自然の厳しさに変わりはない。





 目も開けていられないような地吹雪のなかを、出演者たちは「毛沢東語録」の一説を斉唱しながら進んだ。連合赤軍のメンバーが実際に「毛沢東語録」を斉唱したかどうかが問題なのではない。この映画は事実を再現することを目的としているのではなく、その事実を通してメッセージを伝えることにある。つまり、かつて、中国の革命家毛沢東に心酔した日本の若者たちがいて、その一部が連合赤軍を作った事実を、まさに映画的に表現するのが、この映画の目的だ。 
撮影終了後、出演者たちはロケバスのなかで、放心状態に陥った。その光景を残そうとしたスチール・カメラが、たちまち結露したことでも、ロケバスの外の厳しさがわかろうというもの。だが、彼らは満足気でもあった。1972年日本で起きた《長征》の幻が、2007年1月、ここ鬼首に出現した。

                                      

いくら雪が少ないとはいえ、本格的な冬が始まった宮城県と山形・秋田県境の山の中で、「実録・連合赤軍」の最後の撮影は進む。









2007年1月18日木曜日

ロケ本隊、到着

1月18日
今日のロケ地は、午前中から雪が舞っていた。
午後2時過ぎ、助監督・照明・録音などの後発スタッフが到着。午後5時頃、出演者が到着。午後6時半から宿舎の国民宿舎で、若松監督や先乗りスタッフを含め、全員で夕食。それぞれに明日からの撮影を思い、緊張に満ちた空気が漂っていた。

                                                                                     
                        


    昨年11月の鬼首ロケでは最大29人いた出演者も、今回は9人。その人数が、追い詰められた連合赤軍を表している。「あさま山荘」で銃撃戦を展開するのは、さらにそのなかの5人だ。連合赤軍は、12人の同志粛清、永田や森など指導者やメンバーの相次ぐ逮捕の果てに、ようやく彼らが掲げていた「銃による殲滅戦」に行き着いた。
夕食後、「毛沢東語録」の斉唱を録音。録音は、ロッジの玄関先、建物の外で行われた。しんしんと冷える闇の中で、雪が降る。明朝は一面の雪景色の中で、撮影開始。



2007年1月17日水曜日

到着報告

1月17日
若松監督と辻カメラマンたちは昨日、この日記担当者は今夕、ロケ現場へ入った。出演者、スタッフなどの撮影本隊は明日、到着する。撮影は、いよいよ最終コーナーに入る。
今年の鬼首(おにこうべ)は雪が少ない。去年の同時期にロケハン時に比べ、積雪量は半分以下だ。昨年11月の前回ロケに続き、地球温暖化がこの作品の撮影にも影響を与えている。
しかし、どんな状況でも、その現実のなかで撮影を実現してゆくのが、若松流。明日も、撮影の準備にかけずり回る。


2007年1月14日日曜日

川崎のセット発山奥のロケ現場行き「撮影快速」

今日の撮影は、ハードだった。
午前8時に撮影を開始、午後8時過ぎに終了。予定していたシーンをすべて撮り終えた若松監督も、さすがに「今日は疲れた」とつぶやいて椅子に腰を下ろす。川崎5スタジオでの撮影が終わった。
 スタジオの中には、かつて大学で起きた『バリケード封鎖』の光景が出現した。1968年~'70年にかけて、全国各地の大学では不正経理や学生の誤認処分など様々な問題が噴出し、その問題を追及する学生たちが全共闘(全学共闘委員会)を結成。彼らは、授業をボイコットするために机や椅子などでバリケードを造り、校舎を使用不能にした。のちに連合赤軍を結成する赤軍派は、そんな騒然とした時代のなかで誕生したのだ。
 発端は、当時高揚する学生運動の一角を占めた政治組織ブント(共産主義者同盟)の内部対立だった。武装部隊による蜂起を目指す関西派と、大衆的な闘争を主張する関東派は、それぞれの指導者に対する内ゲバによって分裂。武装闘争を掲げ、塩見孝也(坂口拓)を中心とする関西派が共産同赤軍派を名乗った。この映画の主人公のひとり、遠山美枝子は親友の重信房子とともにその赤軍派に所属していた。
 今日のおもな撮影は、関東派のリーダーさらぎ徳二と関西派のリーダー塩見孝也が、交互に襲われるシーン。襲撃は、当時バリケード封鎖中だった大学の構内で起きた。そのバリケード封鎖を再現したのが、川崎5スタジオの3階と4階に組まれたセットだった。

      



 若松監督の友人、佐野史郎がさらぎ徳二役として出演。60人以上のエキストラを動員する大がかりな撮影になった。エキストラで出演する若者たちは、もちろん当時の大学の状況など知るよしもない。だが、ヘルメットを被り、タオルで覆面をし、ゲバ棒と呼ばれる角材を手にした青年たちが机や椅子で作られたバリケードの中に現れると、そこに40年近く前の時代が現実となって浮上してきた。
若松監督の作品は、その時代の若者に圧倒的に支持された。当時の若松作品を高く評価するミュージシャンのジム・オルークも、今日、撮影現場を訪れた。すると、ジムのファンだという佐野史郎が大感激。この意外な遭遇の一方、出番を終えた出演者たちは今日も次々に現場を去ってゆく。映画の撮影現場は、人が出会い別れる場でもある。

  


                   
川崎5スタジオでの撮影は、関東派に囚われた塩見孝也たちが、監禁されていたバリケード封鎖中の中央大学の学部長室から、消火ホースを使って脱出するシーンで終了。
スタッフと出演者は、来週再び宮城県大崎市の鬼首のロケ地へ戻り、この映画のクライマックスでもある「あさま山荘」の銃撃戦を撮影する。

2007年1月12日金曜日

すべてのシーンが、「あさま山荘」へ

1月12日

川崎のセットでの撮影は、順調に進む。若松監督は、この作品のシナリオに書かれたシーンを順番に撮る「順撮り」をしていない。シナリオを一度バラバラに分解して、必要最低限のシーンを、ロケ場所やセットに合わせて縦横無尽に撮影する方法をとっている。形になったコンテがあるわけではなく、イメージとしてのコンテが若松監督の頭のなかにあるだけだ。したがって、この映画の撮影現場は、そのイメージをスタッフや出演者がドックレースのように追いかけてゆく。

 
 
 




















撮影現場で、彼はまず最初に、出演者たちに自由に演技させる。そして、その演技によってカメラの位置やアングルを決め、出演者への注文を出す。つまり、コンテ通りに撮影するのではなく、現実に合わせてコンテを創り出してゆくのだ。これが若松流早撮りの秘密だ。
今日撮影されたシーンは、のちに日本赤軍のリーダーとして名を馳せる重信房子が、のちに連合赤軍のメンバーとして榛名の山岳ベースで殺される親友の遠山美枝子に別れを告げる場面。重信は当時京大生だった奥平剛士と入籍してパスポートを取得し、警察の目を盗んでレバノンへ脱出した。それは、連合赤軍による「あさま山荘」の銃撃戦が終結する、まさに一年前だった。
 さらに、赤軍派の植垣康博や進藤隆三郎たちが、森から処刑を命じられた持原好子を離脱させる場面や、革命左派の吉野雅邦たちが逃亡した向山茂徳を処刑する場面も撮影された。両派は処刑に対する対応の矛盾を抱えたまま、連合赤軍としてやがて山岳ベースでの大量粛清を引き起す。

















そして、すべてのシーンが雪の「あさま山荘」の銃撃戦へと続いているのだ。
撮影が進み、出番を終えた多くの出演者が現場を去ってゆく。





 

2007年1月11日木曜日

時代と向き合った者たち

1月11日
 今日から、川崎のセットで撮影。学生運動の拠点となった自治会室などが作り込まれた「川崎5スタジオ」は、広大なJFE(旧日本鋼管)の工場の端にある、かつて日本鋼管の組合事務所などが入っていた4階建てのビルだ。『夢見るように眠りたい』の林海象監督が、インターネットシネマ『探偵事務所5』撮影のために長期間借りている。足立正生監督の『幽閉者』もここで撮影された。
 今日の撮影シーンは、おもに連合赤軍幹部の森恒夫、永田洋子、坂口弘らが登場する場面。
1970年12月31日に、赤軍派の森、板東国男と、革命左派(京浜安保共闘)の永田、坂口、寺岡恒一は、埼玉県の旅館で初めて顔を会わせた。それからちょうど一年後の'71年の大晦日には、連合赤軍を結成した彼らは、榛名の山岳ベースで総括による最初の犠牲者を出す。寺岡も殺された。約一ヶ月後、粛清が続く山岳ベースから森とともに一時下山した永田は、恋人の坂口を捨て、森と一緒になる道を選ぶ。永田とともに逮捕された森は、さらに一年後の'73年元旦、東京拘置所で自ら命を絶つ。坂口は「あさま」山荘の銃撃戦で逮捕され、死刑を宣告される。永田にも死刑判決が下ったが、板東は日本赤軍に奪還されアラブに渡る……。
連合赤軍は歴史の一つの事実だが、1971年~'72年、連合赤軍という事実を通して時代と向き合った者たちには、一人の人間としての様々な生と死のドラマがあった。この映画は、そのドラマを描いてゆく。

   
           
           
 















  板東国男(大西信満)   
 
 
 
 
 永田洋子(並木愛枝)      
 
森恒夫(地曳豪)

 

 
 
 

 

2007年1月8日月曜日

'07年の撮影、始まる

1月7日
年末年始の休みを終えて、撮影再開。
 今日の撮影シーンは、赤軍派議長塩見孝也が、逮捕されるシーン。
塩見は、じつは赤軍派による日航機ハイジャック('70年3月)の実行予定日の10日ほど前に逮捕される。しかし、警察は、彼らに「よど」号を乗っ取って北朝鮮に向かう計画があるとは、まったく気がつかなかった。虚を突かれた警察は、面目を失い、その後赤軍派のメンバーに対して、「赤軍罪」とも呼ばれた人権無視の逮捕を繰り広げてゆく。
塩見を追い詰めたのは、彼自身の著書によれば、警官とともに、たまたま通りかかった小・中学生たちだった、という。その状況を再現すべく、子供たちのエキストラも登場。撮影は順調に進み、アップ後、スタッフは11日から川崎のセットで行われる撮影の準備に取りかかった。