2013年11月12日火曜日

佐賀の愛すべきミニシアターにて若松孝二と再会

作品は永遠に残るからな、と言い続けた若松監督の言葉を
そのままに辿る時間となった。
佐賀。なかなか、強烈なイメージを喚起しにくい土地ではある。
でも、この市内で、熱い思いと軽やかなフットワークで
ミニシアターの文化と空間をつくりあげる挑戦が続いている。
「シアター・シエマ」by 69'ners Film(シックスナイナーズフィルム)
若松監督も、渚ようこさん通じてのご縁で、「キャタピラー」以降
いくつもの作品を上映して頂き、監督も自ら舞台挨拶に訪れている。
「なかなか、いい映画館なんだよ。
 だけど、お客がそんなに集まってないんだよ。もったいないんだよ」
そんな言葉を監督から聞いていた。
11月10日(日)、佐賀BOOKマルシェという地元のイベントの一環で
69'ners Filmの企画で、「言葉と映画」というテーマのトークイベントが
佐賀の商店街の一角のコミュニティスペースにて行われた。
トークゲストは、若松孝二の映画を語らせたら
とどまる事を知らない熱き思いが溢れ出す社会学者の宮台真司さん。
そして若松作品と言葉(あるいは書籍)という観点から、
近作の制作及び書籍を編集してきた大友麻子もご一緒させていただいた。
司会は、この企画の仕掛人、69'ners Filmの松瀬理恵さん。
時にシャープな論戦で他者の頭脳の追随を許さない宮台さんだが
今回は、実に穏やかに言葉豊かに、そして真摯に、
暗闇のスクリーンで映画を見るという事そのものの「映画性」、
突き抜けられない現実を、突き抜けられない故にその中にとどまるのでなく
そのさらに外側にある「なにか」の輝きを求めて、しかし求めるが故に挫折していく
自分たちの今の日常を生きる中で、そうした作品に出会う事の意味を語り
佐賀のミニシアターへの強いエールを送った。
若松監督が言葉とどう格闘し、そこから映像を紡ぎだしていったか。
近作の思い、さらには遺作となった「千年の愉楽」も
おそらく、母性の映画という側面も指摘されるけれども
路地から出たい、ここから出て生きたいと求めるが故に挫折していく
あの青年たちを描くための題材であったはずである事、
作品を語りながら、いつのまにか、若松監督その人を語るトークとなった。
作品は、常にそこにあり、見るものが、扉を押し開けて入ってくるのを待っている。
夜には、シアターシエマにて「理由なき暴行」(1969年)の上映。
上映前に宮台さんによる短いトークが行われた。

トークは上映後に限る、と思っていたが、宮台さんのトークを聞いて
その考えはくつがえされた。
1969年という時代がどのような時代であったか。
当時の新宿という空間がどのような意味を持っていたか。
電車とは、小田急線とは、網走番外地とは。
映像の中に、脚本の中に、密やかに織り込まれた作り手の意図を
(意識したものも無意識のものも含めて)
ノイズにならない範囲で、前提のものとして共有する事によって
世代を超えて、作品に向き合う素地が作られて行く。
その様子を目の前で実感する事ができた。
そして、スクリーンの中に立ち現れて来た青年たちのつぶやき
彼らをとりまく風景、それら全ての中に
ヒリヒリとした行き場のない思いを抱えていた
あの頃の若松孝二を、しかと目撃する事ができた。
シアターシエマ、若松監督が絶賛していただけあって
密やかに静かな時間の流れる小さなたまり場的なカフェがあり
劇場内の椅子にもソファあり寝椅子あり。
休日の遊び場といえばショッピングモール、という町の中で
ひときわ、その存在感を際立たせていたのである。
そのシエマにて、今週金曜日まで
「若松孝二追悼特集」上映がレイト枠で続いている。
http://ciema.info/index.php?itemid=3255
「理由なき暴行」「欲望の血がしたたる」「水のないプール」を
日替わりで上映している。
少し足を踏み入れるのを躊躇しているとしても。
そこに、日常をぐにゃりとねじまげてくれるような
不思議な時間が待っているかもしれない。
劇場という空間は、お客と劇場と作品の作り手が
それぞれにコミットしながらつくりあげていく場所だと
実感させてくれたシエマでの一日であった。

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