若松孝二追悼”時代を撃ち続けた男、人生最後の5本”特集として
「千年の愉楽」と近作2本だて続行中の下高井戸シネマ。
13日(日)は『キャタピラー』との2本立て。
上映後には、若松監督の熱烈ラブコールに応えて
近作2本の主演を果たした女優、寺島しのぶさんが、
共演者の大西信満さん、カメラマン辻智彦さんとともにトークに登壇した。
「下高井戸シネマは初めてですが、監督ゆかりの劇場と聞いて
足を運ばせて頂きました。私の中では、1年前から時が止まっているようですが…」
と寺島さんが冒頭の挨拶を述べ、大西さんも
「ここは、監督と何度も一緒に足を運んだ思い出のある劇場です」と
しんみりとトークが始まった……と思いきや、
「(カメラマン)辻さんがどうしても監督の作品をやりたくて、
一杯も飲まずに朝まで飲み屋につきあって監督を落とした」
というエピソードが、実は監督の調子のよい思い込みだった事が判明し
「劇映画もやった事のない僕には思いも寄らない事で
監督はドキュメンタリーのカメラマンを探していたみたいで
いきなり『お前、やれ』と。嬉しかったですが、それはびっくりしましたよ」と。
さらには、レバノンで監督とともに拘束された当時のエピソードまで飛び出した。
「最初は強気でいたけれども、手錠を外され、靴ひもを取れ、と言われた時は、
一気に元気がなくなり、しょぼーんとしてました。
拘置所経験のある監督は、紐を取れ、という事が
何を意味するか(ブタ箱の中で自殺しないように、という意味)分かったんですね」
当時は、監督から「入院したから、チョンジュ映画祭には一人で行ってくれ」
と連絡をもらって一人韓国入りしていた大西さんは
ヤフーニュースで「若松孝二レバノンで拘束」というニュースを見て
びっくり仰天したという。
笑いとともに次から次へと飛び出すエピソード。
『キャタピラー』では、錯乱状態になった久蔵が頭を畳にうちつけて
血まみれになるシーンがある。
あの血は、じつは仕込みではなく、大西さん自身の流血である。
芝居の中で、自分の頭を激しく打ち付け、頭が割れてしまったのだ。
若松組らしい、あの時のエピソードにも花が咲いた。
カット割りもしない、仕込みをするそぶりもない。
でも、ト書きには、血まみれの久蔵と書いてある。
どうしよう…と思い悩んだ末の大西さんの身体を張った演技であったが、
カットがかかった瞬間、寺島さんが大西さんを叱りつけたという。
「私もあの時、どこかハイテンションになって、尋常じゃなくなっていたから
大西君を怒ったなんて、覚えていない。
でも、血がどんどん出てくるし、監督はカットかけないでずっと回しているし
もう、どうしようどうしようって…」
最後は頭の傷をホチキスで簡易止めしてクランクアップまで耐えた大西さん。
実は『実録・連合赤軍』の現場でも最終日に足首をひどく捻挫して病院に運ばれた。
その時、監督が怒ったのは、自分の身体を心配してではなく
「保険の掛け金が次回から上がっちゃうだろ!って(笑)」
カネに厳しい若松監督だったが、監督として作品を引き受けるのみならず
「自由に自分で表現を続けるためには、カネが必要だ、という事。
ものをつくる、という事において、その部分は見えづらいけれども
その見えづらい部分でも闘っている人だったと思う」と
辻さんが監督の事を振り返った。
寺島さんも「和やかな『キャタピラー』の打ち上げの時に
ホテル代が高いって、いきなり制作の人を怒りだした若松監督。
普通、俳優の前では言わないような事だけど、
私がそこにいる事すら気づかないほど必死なんです。
あの瞬間の監督は、もうプロデューサーですよね。
ものをつくるって、こういう事なんだなあって思いました」
「実は、あれを見て制作の人を気の毒に思ったホテル側が
少し値引きしてくれたんですよ。
だから、監督、半分本気、半分はホテル向けの芝居だったかも」(辻さん)
語り始めると、話は尽きない。
どこまでもお茶目で我がままでふざけながら本気になって
いつも作品づくりの事ばかり考えていた若松監督。
そして同じ日、函館では、
赤煉瓦倉庫のスクリーンでも『千年の愉楽』追悼上映が。
ゲストの篠原勝之さんが、若松監督との北海道の旅の事、
映画の事、ものづくりの事、作品の事、飲み屋の事
なんと一日に4回ものトークに立ってくださっていた。
そして本日の下高井戸シネマ。
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」との2本だて。
トークゲストは、森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊の富士学校校長を演じた篠原勝之さん。
毎回、毎回、出色のトークが繰り広げられる。
本日は、どのようなエピソードが飛び出すか。
悪天候になりそうですが、どうぞぜひ、劇場に足をお運びください。
若松監督の葬儀の時。
思えば、お通夜の日は午後から雷鳴轟く嵐の日だった。
あれから、1年なのである。
「千年の愉楽」と近作2本だて続行中の下高井戸シネマ。
13日(日)は『キャタピラー』との2本立て。
上映後には、若松監督の熱烈ラブコールに応えて
近作2本の主演を果たした女優、寺島しのぶさんが、
共演者の大西信満さん、カメラマン辻智彦さんとともにトークに登壇した。
「下高井戸シネマは初めてですが、監督ゆかりの劇場と聞いて
足を運ばせて頂きました。私の中では、1年前から時が止まっているようですが…」
と寺島さんが冒頭の挨拶を述べ、大西さんも
「ここは、監督と何度も一緒に足を運んだ思い出のある劇場です」と
しんみりとトークが始まった……と思いきや、
「(カメラマン)辻さんがどうしても監督の作品をやりたくて、
一杯も飲まずに朝まで飲み屋につきあって監督を落とした」
というエピソードが、実は監督の調子のよい思い込みだった事が判明し
「劇映画もやった事のない僕には思いも寄らない事で
監督はドキュメンタリーのカメラマンを探していたみたいで
いきなり『お前、やれ』と。嬉しかったですが、それはびっくりしましたよ」と。
さらには、レバノンで監督とともに拘束された当時のエピソードまで飛び出した。
「最初は強気でいたけれども、手錠を外され、靴ひもを取れ、と言われた時は、
一気に元気がなくなり、しょぼーんとしてました。
拘置所経験のある監督は、紐を取れ、という事が
何を意味するか(ブタ箱の中で自殺しないように、という意味)分かったんですね」
当時は、監督から「入院したから、チョンジュ映画祭には一人で行ってくれ」
と連絡をもらって一人韓国入りしていた大西さんは
ヤフーニュースで「若松孝二レバノンで拘束」というニュースを見て
びっくり仰天したという。
笑いとともに次から次へと飛び出すエピソード。
『キャタピラー』では、錯乱状態になった久蔵が頭を畳にうちつけて
血まみれになるシーンがある。
あの血は、じつは仕込みではなく、大西さん自身の流血である。
芝居の中で、自分の頭を激しく打ち付け、頭が割れてしまったのだ。
若松組らしい、あの時のエピソードにも花が咲いた。
カット割りもしない、仕込みをするそぶりもない。
でも、ト書きには、血まみれの久蔵と書いてある。
どうしよう…と思い悩んだ末の大西さんの身体を張った演技であったが、
カットがかかった瞬間、寺島さんが大西さんを叱りつけたという。
「私もあの時、どこかハイテンションになって、尋常じゃなくなっていたから
大西君を怒ったなんて、覚えていない。
でも、血がどんどん出てくるし、監督はカットかけないでずっと回しているし
もう、どうしようどうしようって…」
最後は頭の傷をホチキスで簡易止めしてクランクアップまで耐えた大西さん。
実は『実録・連合赤軍』の現場でも最終日に足首をひどく捻挫して病院に運ばれた。
その時、監督が怒ったのは、自分の身体を心配してではなく
「保険の掛け金が次回から上がっちゃうだろ!って(笑)」
カネに厳しい若松監督だったが、監督として作品を引き受けるのみならず
「自由に自分で表現を続けるためには、カネが必要だ、という事。
ものをつくる、という事において、その部分は見えづらいけれども
その見えづらい部分でも闘っている人だったと思う」と
辻さんが監督の事を振り返った。
寺島さんも「和やかな『キャタピラー』の打ち上げの時に
ホテル代が高いって、いきなり制作の人を怒りだした若松監督。
普通、俳優の前では言わないような事だけど、
私がそこにいる事すら気づかないほど必死なんです。
あの瞬間の監督は、もうプロデューサーですよね。
ものをつくるって、こういう事なんだなあって思いました」
「実は、あれを見て制作の人を気の毒に思ったホテル側が
少し値引きしてくれたんですよ。
だから、監督、半分本気、半分はホテル向けの芝居だったかも」(辻さん)
語り始めると、話は尽きない。
どこまでもお茶目で我がままでふざけながら本気になって
いつも作品づくりの事ばかり考えていた若松監督。
そして同じ日、函館では、
赤煉瓦倉庫のスクリーンでも『千年の愉楽』追悼上映が。
ゲストの篠原勝之さんが、若松監督との北海道の旅の事、
映画の事、ものづくりの事、作品の事、飲み屋の事
なんと一日に4回ものトークに立ってくださっていた。
そして本日の下高井戸シネマ。
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」との2本だて。
トークゲストは、森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊の富士学校校長を演じた篠原勝之さん。
毎回、毎回、出色のトークが繰り広げられる。
本日は、どのようなエピソードが飛び出すか。
悪天候になりそうですが、どうぞぜひ、劇場に足をお運びください。
若松監督の葬儀の時。
思えば、お通夜の日は午後から雷鳴轟く嵐の日だった。
あれから、1年なのである。
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