「実録・連合赤軍」ロケ佳境、あさま山荘放水シーンが始まった日。
一人の写真家が現地に訪れました。
その名は、グレート・ザ・歌舞伎町さん。
井浦さん(当時ARATA)のお知り合いという事でした。
そして、粉雪と怒号が飛び交う壮絶な現場で
シャッターを切り続けました。
歌舞伎町さんは、「11.25自決の日」のロケでも
バルコニーでの絶叫演説シーンと、
御殿場の自衛隊演習場でのゲリラ撮影の場に現れました。
この2作品の、クライマックスシーンの日にふらりと現れ
その日の若松孝二をファインダーに焼き付けて行きました。
その作品たちが、11月2日〜14日まで、
新宿のBEAMSギャラリーにて展示されます。
題して
GREAT THE KABUKICHO 写真展
若松孝二
11/2(sat)〜11/14(thu) 11:00〜20:00
11月3日には17時〜18時30分まで、
アーティストトークが行われ、
ゲストに井浦新さん、大西信満さんが登壇するそうです。(予約制)
http://www.beams.co.jp/news/detail/2464
若松孝二監督の写真展。
メイキング映像とはまた違った
若松監督の表情たちに会える事でしょう。
ぜひ、BEAMS JAPAN 6FのB GALLERYに足をお運びください。
2013年10月30日水曜日
2013年10月23日水曜日
高円寺フェスにて「胎児…」上映と宮台さん足立さんトーク!
怒濤の一周忌が終わりました。
すっかり秋が深まっています。
台風が次々と太平洋を北上する晩秋です。
今週末も空模様が怪しい中、高円寺フェスが開催されます。
そして、このイベントの一環「本とアートの産直市」の企画として
座・高円寺にて、「胎児が密猟する時」の上映&トークイベントが行われます。
若松監督初期傑作の1本を観て、
若松作品をこよなく愛してくださる宮台真司さんと
同作の脚本・助監督をされた足立正生さんをお招きしてのトーク。
密室での監禁劇、密室の外側の巨大な密室、調教は抑圧なのか解放なのか。
秋の一日、若松監督の作品に、ぜひ会いにいらしてください。
すっかり秋が深まっています。
台風が次々と太平洋を北上する晩秋です。
今週末も空模様が怪しい中、高円寺フェスが開催されます。
そして、このイベントの一環「本とアートの産直市」の企画として
座・高円寺にて、「胎児が密猟する時」の上映&トークイベントが行われます。
若松監督初期傑作の1本を観て、
若松作品をこよなく愛してくださる宮台真司さんと
同作の脚本・助監督をされた足立正生さんをお招きしてのトーク。
密室での監禁劇、密室の外側の巨大な密室、調教は抑圧なのか解放なのか。
秋の一日、若松監督の作品に、ぜひ会いにいらしてください。
2013年10月18日金曜日
若松孝二一周忌!
秋晴れの気持ちよい十三夜の夜。若松孝二一周忌を迎えた。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」に引き続き近作メイキング上映。
上映後の場内は、汗ばんでいるような、呼吸しているような
湿った熱で満たされていた。
その熱をじんわりと漂わせて、ジム・オルークさんの演奏が始まった。
「『海燕ホテル・ブルー』では、実際はギターをあまり使わなかったけれど
今日は、『海燕ホテル・ブルー』を演奏するのがいいでしょう」と語り、
ジムの手がギターをなでると、
静かに、黒砂漠と波しぶきが場内の空気を揺さぶり始めた…。
続く、渚ようこさんは、若松監督に時に厳しく鋭くアドバイスされながら
コマ劇単独リサイタルに挑んだ事などを話しながら
『実録・連合赤軍』劇中歌として歌って頂いた『ここは静かな最前線』。
そして、監督も大好きで、阿部薫さんが亡くなった時に聴いていたという
『Summer time』を、子宮に戻って行った監督に寄り添う子守唄のように。
そしてラストに『天使の恍惚』より『ウミツバメ』。
椅子から立ち上がって歌う渚さんの声に、高橋ピエールさんのギターがからみつく。
静かに熱く、闘い続けた監督への鎮魂歌。
空間を満たす音の中に、震える空気の中に
まるで映像のように思いや存在が立ち昇ってくる。
それは、各自の心の中にいる若松孝二の姿であるかもしれないし
その個的な姿を越えたなにものだったのかもしれない。
音を奏でる事は、太古より、彼方との道をつなぐ一つの方法だったのだと
全身で感じた瞬間だった。
ライブのラストは、若松監督も熱望していた
『千年の愉楽』の中村瑞希さんによる奄美の島唄と三線。
「最初にお話を頂いた時は、なぜ奄美の島唄なのかなと思ったのですが
小説を読み、脚本を読んで、ああ、通じている、と。
奄美は薩摩や琉球の支配という歴史を歩んで来て、
自分たちは口にする事もできないサトウキビを育てて献上してきた。
そして、その辛さや苦しさを島唄に込めていました。
監督に、奄美の言葉はわからなくても、その心の叫びが聴こえていたのでしょうか」
そして、マイクを通さない、中村さんの肉声の島唄のライブが始まった。
「糸繰り唄」「うけくま饅女節」
半蔵の、三好の、達男の、生きて死にゆく様を描く度に
ずっとこの節を監督が聴いていた、あの現場を思い出す。
時間も場所も、全てが一つの弧のようにつながっているようだった。
そして最後に『千年の愉楽』オリジナルの『バンバイ』を唄ってライブは終了した。
引き続き、井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんが
壇上に並んでトークが始まった。
「常に、いつも監督の視線を感じる」とカメラマンの辻さんが語ると、
「近くにいてくれると感じずにはいられない」と井浦さん。
「一周忌だからいいことを言おうとかそういう事ではなく
間違いなく、今、自分たちがここに立って、こうして表現しているのは
若松さんのおかげである事を、役者もスタッフも感じている。
であればこそ、言葉でどうこう言うより、
きちんと仕事をやり続ける事でしか恩返しはできない」と大西さんが言葉をつなぎ
「僕は、監督との現場で初めてカメラの前に立った。
今も、どうやって闘えば、ああいう背中になれるのか、と追い求めている。
時間が経つと、罵倒の言葉も愛に変わっている。それを実感してきた1年だった」
と満島さんが語った。
しんみりと言葉をつないでいたが、後半、
大西さんが大森監督にカメラマンの辻さんを紹介しようとしたら、
実は独占欲の強い若松監督が
「俺が育てた辻君をなんで紹介するんだ!俺のもんだ!」と烈火の如く怒った話など
若松監督の素顔が垣間見えるトークで場内に笑いも。
濃密な時間が凝縮された空間は
ポレポレ東中野のレイトイベントへと移動して続けられた。
ポレポレ東中野では、若松監督デビュー作『甘い罠』が上映されるとあって
満員の場内は上映前から静かな熱気で満ちていた。
そして60分ほどの短いデビュー作が……。
「世の中には、甘い罠が満ちている……」というナレーションのもとで
60年代の東京の町並み、人間たちの姿が映し出される。
若い男のモヤモヤ、言葉、仕草、風景、女性の描き方。
不思議な事に、オーソドックスな画面の随所から
若干26歳の若松監督の姿が見えてくる。
あの時、この絵を切り取ろうとして、はち切れんばかりの負けず嫌いな思いで
現場に挑んでいた監督が見えてくるようで……。
あれよあれよと展開していく、物語の果てに
唐突に現れた「終」の文字。
灯りの付いた場内は、着地しきれない観客の気持ちが充満しつつ
再び、ジム・オルークさん、渚ようこさん&高橋ピエールさん、中村瑞希さんの
ライブが始まって行くのだった……。
そして、再びの4人のキャストスタッフトーク。
「……甘い罠……」と井浦さんが言葉を切り出すが
会話が回っていかない。これは『甘い罠』のトラップか。
「……『終』マークにこれほど驚愕したのは初めてで…」と大西さん。
「僕も前につんのめりました」と井浦さん。場内笑い。
辻さんが「僕は、ちょっと違う見方をしてました。
若い助監督から叩き上げの監督が、ここに至るまで
どんな思いをしてきたんだろう、と思うと、
違う意味で、涙がこみ上げて来ました」
「若松監督は、乱暴で乱暴で残酷な作り方をする、
あの100本以上の作品の最初の一滴、その源流なんだとしみじみ感じましたね。
最初の作品は技術スタッフもベテランばかりで、
若い監督は言葉でうまく伝えられずに
新聞の写真などを100カット切り抜いてスクラップブックに貼って
それで、「次はこの絵で」と説明したんだと話してくれた事を思い出しました」
と井浦さんも監督のデビュー作のエピソードを披露した。
「最後の唐突さは、海燕を思い出した」(辻さん)
「刺されて死ぬボス、地曵君(『海燕』主演)に似てたよね」(井浦さん)
「芝居も似てたね」(大西さん)
「監督、ブレてないんだよ…」(井浦さん)
「……」
「甘い罠のせいで、言葉少なくなったね。真之介はどうなの」(大西さん)
「甘い罠には、気をつけようと思います」(満島さん)
と、若松監督デビュー作でカウンターパンチをくらった4名は
かろうじて言葉をつなぎ、客席にいた若松監督の盟友・足立正生さんに
コメントを求める一幕も。
最後は、「どんなにこれからいくつもの現場をやっていくとしても
自分たちは、どこの出身か、と聞かれたら
『若松組です』って、そう答えだろうと思うんです」と大西さんが語り
「若松監督の現場で学んだ事は、身体の奥で原動力になってる。
監督が旅立ってから、若松監督の遺志を継いで…と言ってる人たちを
僕は反吐が出そうな思いで見ていました。
若松監督の映画は若松監督にしかできない。遺志を継ぐ事はできない。
監督の新しい作品はもう見る事はできないけれども
監督が遺してくれた作品たちとの出会いがこれから待っている。
時間をさかのぼるようにして観るのもいいと思います。
様々な場所で上映される折に、監督の作品を心ゆくまで楽しんでください」
と井浦さんが、11月に開催される「若松孝二写真展」や
12月に奄美大島で予定されている「千年の愉楽」ライブと上映とトークイベントなど
これからの事を告知して、トークイベントは終了した。
慌ただしくも濃密だった一周忌当日に引き続き
本日も下高井戸シネマにて『実録・連合赤軍』『11.25自決の日』2本立て。
そして、名古屋のシネマスコーレでも
『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』上映と
各上映後に井浦さん大西さんのトークが行われている。
名古屋では、明日も
『若松孝二を語るシンポジウム』が行われ、スコーレ支配人の木全さんと
井浦さん、大西さんがじっくり若松孝二と作品を語る1時間半。
午後には『海燕ホテル・ブルー』の上映と舞台挨拶も。
さらに、夜には大阪『第七藝術劇場』にて
『実録・連合赤軍』『海燕ホテル・ブルー』上映と
こちらも井浦さんと大西さんのトークが行われる。
若松孝二、一周忌キャラバンは、続く。
たくさんの方に支えて頂いて実現できた一周忌を巡るイベント、
心より、感謝を申し上げます。
監督逝去直後に、予定通りに行った下高井戸シネマでの
『11.25自決の日』の上映とトークイベントや
急遽決まった東京国際映画祭での『実録・連合赤軍』追悼上映と
トークの時を思い出します。
打ち拉がれて、現実が飲み込めないままに、呆然としながらも
登壇してくださったキャストやカメラマンの辻さんの姿が一年前にはありました。
そして、今、遺作を全国に届けた後に、再び一年後に
このような形で登壇して頂けた事、劇場にたくさんの方に足を運んで頂いた事
このイベント実現のためにお骨折りくださった皆様に
心より、感謝申し上げます。
遠くの地から心を届けてくださった皆さまも、ありがとうございました。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」に引き続き近作メイキング上映。
上映後の場内は、汗ばんでいるような、呼吸しているような
湿った熱で満たされていた。
その熱をじんわりと漂わせて、ジム・オルークさんの演奏が始まった。
「『海燕ホテル・ブルー』では、実際はギターをあまり使わなかったけれど
今日は、『海燕ホテル・ブルー』を演奏するのがいいでしょう」と語り、
ジムの手がギターをなでると、
静かに、黒砂漠と波しぶきが場内の空気を揺さぶり始めた…。
続く、渚ようこさんは、若松監督に時に厳しく鋭くアドバイスされながら
コマ劇単独リサイタルに挑んだ事などを話しながら
『実録・連合赤軍』劇中歌として歌って頂いた『ここは静かな最前線』。
そして、監督も大好きで、阿部薫さんが亡くなった時に聴いていたという
『Summer time』を、子宮に戻って行った監督に寄り添う子守唄のように。
そしてラストに『天使の恍惚』より『ウミツバメ』。
椅子から立ち上がって歌う渚さんの声に、高橋ピエールさんのギターがからみつく。
静かに熱く、闘い続けた監督への鎮魂歌。
空間を満たす音の中に、震える空気の中に
まるで映像のように思いや存在が立ち昇ってくる。
それは、各自の心の中にいる若松孝二の姿であるかもしれないし
その個的な姿を越えたなにものだったのかもしれない。
音を奏でる事は、太古より、彼方との道をつなぐ一つの方法だったのだと
全身で感じた瞬間だった。
ライブのラストは、若松監督も熱望していた
『千年の愉楽』の中村瑞希さんによる奄美の島唄と三線。
「最初にお話を頂いた時は、なぜ奄美の島唄なのかなと思ったのですが
小説を読み、脚本を読んで、ああ、通じている、と。
奄美は薩摩や琉球の支配という歴史を歩んで来て、
自分たちは口にする事もできないサトウキビを育てて献上してきた。
そして、その辛さや苦しさを島唄に込めていました。
監督に、奄美の言葉はわからなくても、その心の叫びが聴こえていたのでしょうか」
そして、マイクを通さない、中村さんの肉声の島唄のライブが始まった。
「糸繰り唄」「うけくま饅女節」
半蔵の、三好の、達男の、生きて死にゆく様を描く度に
ずっとこの節を監督が聴いていた、あの現場を思い出す。
時間も場所も、全てが一つの弧のようにつながっているようだった。
そして最後に『千年の愉楽』オリジナルの『バンバイ』を唄ってライブは終了した。
引き続き、井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんが
壇上に並んでトークが始まった。
「常に、いつも監督の視線を感じる」とカメラマンの辻さんが語ると、
「近くにいてくれると感じずにはいられない」と井浦さん。
「一周忌だからいいことを言おうとかそういう事ではなく
間違いなく、今、自分たちがここに立って、こうして表現しているのは
若松さんのおかげである事を、役者もスタッフも感じている。
であればこそ、言葉でどうこう言うより、
きちんと仕事をやり続ける事でしか恩返しはできない」と大西さんが言葉をつなぎ
「僕は、監督との現場で初めてカメラの前に立った。
今も、どうやって闘えば、ああいう背中になれるのか、と追い求めている。
時間が経つと、罵倒の言葉も愛に変わっている。それを実感してきた1年だった」
と満島さんが語った。
しんみりと言葉をつないでいたが、後半、
大西さんが大森監督にカメラマンの辻さんを紹介しようとしたら、
実は独占欲の強い若松監督が
「俺が育てた辻君をなんで紹介するんだ!俺のもんだ!」と烈火の如く怒った話など
若松監督の素顔が垣間見えるトークで場内に笑いも。
濃密な時間が凝縮された空間は
ポレポレ東中野のレイトイベントへと移動して続けられた。
ポレポレ東中野では、若松監督デビュー作『甘い罠』が上映されるとあって
満員の場内は上映前から静かな熱気で満ちていた。
そして60分ほどの短いデビュー作が……。
「世の中には、甘い罠が満ちている……」というナレーションのもとで
60年代の東京の町並み、人間たちの姿が映し出される。
若い男のモヤモヤ、言葉、仕草、風景、女性の描き方。
不思議な事に、オーソドックスな画面の随所から
若干26歳の若松監督の姿が見えてくる。
あの時、この絵を切り取ろうとして、はち切れんばかりの負けず嫌いな思いで
現場に挑んでいた監督が見えてくるようで……。
あれよあれよと展開していく、物語の果てに
唐突に現れた「終」の文字。
灯りの付いた場内は、着地しきれない観客の気持ちが充満しつつ
再び、ジム・オルークさん、渚ようこさん&高橋ピエールさん、中村瑞希さんの
ライブが始まって行くのだった……。
そして、再びの4人のキャストスタッフトーク。
「……甘い罠……」と井浦さんが言葉を切り出すが
会話が回っていかない。これは『甘い罠』のトラップか。
「……『終』マークにこれほど驚愕したのは初めてで…」と大西さん。
「僕も前につんのめりました」と井浦さん。場内笑い。
辻さんが「僕は、ちょっと違う見方をしてました。
若い助監督から叩き上げの監督が、ここに至るまで
どんな思いをしてきたんだろう、と思うと、
違う意味で、涙がこみ上げて来ました」
「若松監督は、乱暴で乱暴で残酷な作り方をする、
あの100本以上の作品の最初の一滴、その源流なんだとしみじみ感じましたね。
最初の作品は技術スタッフもベテランばかりで、
若い監督は言葉でうまく伝えられずに
新聞の写真などを100カット切り抜いてスクラップブックに貼って
それで、「次はこの絵で」と説明したんだと話してくれた事を思い出しました」
と井浦さんも監督のデビュー作のエピソードを披露した。
「最後の唐突さは、海燕を思い出した」(辻さん)
「刺されて死ぬボス、地曵君(『海燕』主演)に似てたよね」(井浦さん)
「芝居も似てたね」(大西さん)
「監督、ブレてないんだよ…」(井浦さん)
「……」
「甘い罠のせいで、言葉少なくなったね。真之介はどうなの」(大西さん)
「甘い罠には、気をつけようと思います」(満島さん)
と、若松監督デビュー作でカウンターパンチをくらった4名は
かろうじて言葉をつなぎ、客席にいた若松監督の盟友・足立正生さんに
コメントを求める一幕も。
最後は、「どんなにこれからいくつもの現場をやっていくとしても
自分たちは、どこの出身か、と聞かれたら
『若松組です』って、そう答えだろうと思うんです」と大西さんが語り
「若松監督の現場で学んだ事は、身体の奥で原動力になってる。
監督が旅立ってから、若松監督の遺志を継いで…と言ってる人たちを
僕は反吐が出そうな思いで見ていました。
若松監督の映画は若松監督にしかできない。遺志を継ぐ事はできない。
監督の新しい作品はもう見る事はできないけれども
監督が遺してくれた作品たちとの出会いがこれから待っている。
時間をさかのぼるようにして観るのもいいと思います。
様々な場所で上映される折に、監督の作品を心ゆくまで楽しんでください」
と井浦さんが、11月に開催される「若松孝二写真展」や
12月に奄美大島で予定されている「千年の愉楽」ライブと上映とトークイベントなど
これからの事を告知して、トークイベントは終了した。
慌ただしくも濃密だった一周忌当日に引き続き
本日も下高井戸シネマにて『実録・連合赤軍』『11.25自決の日』2本立て。
そして、名古屋のシネマスコーレでも
『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』上映と
各上映後に井浦さん大西さんのトークが行われている。
名古屋では、明日も
『若松孝二を語るシンポジウム』が行われ、スコーレ支配人の木全さんと
井浦さん、大西さんがじっくり若松孝二と作品を語る1時間半。
午後には『海燕ホテル・ブルー』の上映と舞台挨拶も。
さらに、夜には大阪『第七藝術劇場』にて
『実録・連合赤軍』『海燕ホテル・ブルー』上映と
こちらも井浦さんと大西さんのトークが行われる。
若松孝二、一周忌キャラバンは、続く。
たくさんの方に支えて頂いて実現できた一周忌を巡るイベント、
心より、感謝を申し上げます。
監督逝去直後に、予定通りに行った下高井戸シネマでの
『11.25自決の日』の上映とトークイベントや
急遽決まった東京国際映画祭での『実録・連合赤軍』追悼上映と
トークの時を思い出します。
打ち拉がれて、現実が飲み込めないままに、呆然としながらも
登壇してくださったキャストやカメラマンの辻さんの姿が一年前にはありました。
そして、今、遺作を全国に届けた後に、再び一年後に
このような形で登壇して頂けた事、劇場にたくさんの方に足を運んで頂いた事
このイベント実現のためにお骨折りくださった皆様に
心より、感謝申し上げます。
遠くの地から心を届けてくださった皆さまも、ありがとうございました。
2013年10月17日木曜日
若松孝二監督の一周忌の一日
若松監督一周忌の日がきた。
ちょうど一年前に監督が逝去。
一年かけて、遺作「千年の愉楽」を全国で上映してきた。
監督が自ら作品を語る事はかなわなかったけれども
それぞれの上映の地で、作品は、見てくださった一人一人の方のものとなった。
本日も、引き続き、下高井戸シネマにて追悼特集が、
そしてポレポレ東中野ではレイトでのイベントが行われる。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」に引き続いて
「メイキング」60分バージョンの上映、
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ、
井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんのトーク。
ポレポレ東中野では21時10分〜
若松監督デビュー作「甘い罠」上映、
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ、
井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんのトーク。
若松監督が遺した一つ一つを辿って、一周忌という日を過ごす。
そして、昨夜も、下高井戸シネマにて、新たなトークの時間が刻まれた。
「海燕ホテル・ブルー」上映後のトークに、ヒロイン片山瞳さんと
「千年の愉楽」後家の初枝役の安部智凛さんが登壇した。
「これまでのトークでは常に、
大西さんや地曵さん、男たちに頼っていたと痛感してます…」と
安部さんが浮遊トークをスタートさせた。
片山さんが、安部さんが若松組初参加となった
「実録・連合赤軍」当時のエピソードを引き出そうと試みるも、
キャッチボールが時に横に飛ばされたり、静かに通過したりしながら
それでも2人の真摯さが会場内に伝わる、暖かなトーク。
「11.25自決の日」では、男役しかないところを
懸命に手紙を書いて、人形焼きに貼付けてポストに入れたら
全共闘の学生役を女性にして配役してもらえたエピソード。
安部さんも受けた「海燕」でのオーディションが
安部さんの時と片山さんの時では、微妙に状況が異なっていた事。
2人が訥々と語る若松組のエピソードの合間には、
15分ほどのメイキング上映も挟まれ、若松組の空気が会場内ににじんでくる。
場内からは「千年での後家の濡れ場が割とあっさり描かれたが、その理由は?」
との問いも。
「半蔵の目がとても奇麗なんだ、奇麗な若者なんだ。
その半蔵にあまり汚らしい事をさせたくないんだよ」と、
本番の5分前に台本が大幅に変わった事などを安部さんが明かした。
若松監督からの言葉で自分の中で大切にしているものは、との問いに
片山さんが「”お前ならどうする”という問いかけ。
監督を喪ってから、それぞれがずっと、
この問いを自分自身に投げかけてきた一年だった気がするんです」
安部さんは、「今まで怖くてまともにはなせなかった監督」が
『千年の愉楽』の打ち上げの前に、こっそり牡蠣とビールを堪能しご機嫌で帰って来て
いきなり「お前、飲み会好きか?」と聞いてきた時のエピソードを語った。
「好きですって答えたら、そうか。お前に足りないのは人間観察だ。
こうやって人が飲み食いしているところをよく観察してみろ。
いろんな人間がいるんだよ、それを観察する事だ、と言われまして…」
監督は人を観察するのが好きだった。
電車にずっと乗っていても、人をあれこれ観察していると
ちっとも飽きないのだ、と言っていた。
だから、若松プロに居る時は、いつも緊張するのだった。
一挙手一投足、じーっと観察する監督が、いつも事務所の真ん中に座っていた。
片山さんが、最後にまとめた。
「『海燕』を、私の地元の福岡で上映するために監督が手を尽くしてくださって
私の家族を招いて挨拶してくださった。
その時に、『人はね、人を愛するべきなんだよ』と。
そして、『どうしても許せないものとは闘うべきなんだよ。
だから、僕は原発とは闘うんだ』と言われた事を覚えてます」
「監督、恋愛ネタ好きでしたよね」と安部さんの一言コメントで
笑いの余韻を残し、トークは終了した。
毎回、毎回、その瞬間ならではの言葉が飛び出し、空気が色づく。
そんな連日トークも本日が最後である。
澄んだ秋晴れの一日に。
ちょうど一年前に監督が逝去。
一年かけて、遺作「千年の愉楽」を全国で上映してきた。
監督が自ら作品を語る事はかなわなかったけれども
それぞれの上映の地で、作品は、見てくださった一人一人の方のものとなった。
本日も、引き続き、下高井戸シネマにて追悼特集が、
そしてポレポレ東中野ではレイトでのイベントが行われる。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」に引き続いて
「メイキング」60分バージョンの上映、
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ、
井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんのトーク。
ポレポレ東中野では21時10分〜
若松監督デビュー作「甘い罠」上映、
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ、
井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんのトーク。
若松監督が遺した一つ一つを辿って、一周忌という日を過ごす。
そして、昨夜も、下高井戸シネマにて、新たなトークの時間が刻まれた。
「海燕ホテル・ブルー」上映後のトークに、ヒロイン片山瞳さんと
「千年の愉楽」後家の初枝役の安部智凛さんが登壇した。
「これまでのトークでは常に、
大西さんや地曵さん、男たちに頼っていたと痛感してます…」と
安部さんが浮遊トークをスタートさせた。
片山さんが、安部さんが若松組初参加となった
「実録・連合赤軍」当時のエピソードを引き出そうと試みるも、
キャッチボールが時に横に飛ばされたり、静かに通過したりしながら
それでも2人の真摯さが会場内に伝わる、暖かなトーク。
「11.25自決の日」では、男役しかないところを
懸命に手紙を書いて、人形焼きに貼付けてポストに入れたら
全共闘の学生役を女性にして配役してもらえたエピソード。
安部さんも受けた「海燕」でのオーディションが
安部さんの時と片山さんの時では、微妙に状況が異なっていた事。
2人が訥々と語る若松組のエピソードの合間には、
15分ほどのメイキング上映も挟まれ、若松組の空気が会場内ににじんでくる。
場内からは「千年での後家の濡れ場が割とあっさり描かれたが、その理由は?」
との問いも。
「半蔵の目がとても奇麗なんだ、奇麗な若者なんだ。
その半蔵にあまり汚らしい事をさせたくないんだよ」と、
本番の5分前に台本が大幅に変わった事などを安部さんが明かした。
若松監督からの言葉で自分の中で大切にしているものは、との問いに
片山さんが「”お前ならどうする”という問いかけ。
監督を喪ってから、それぞれがずっと、
この問いを自分自身に投げかけてきた一年だった気がするんです」
安部さんは、「今まで怖くてまともにはなせなかった監督」が
『千年の愉楽』の打ち上げの前に、こっそり牡蠣とビールを堪能しご機嫌で帰って来て
いきなり「お前、飲み会好きか?」と聞いてきた時のエピソードを語った。
「好きですって答えたら、そうか。お前に足りないのは人間観察だ。
こうやって人が飲み食いしているところをよく観察してみろ。
いろんな人間がいるんだよ、それを観察する事だ、と言われまして…」
監督は人を観察するのが好きだった。
電車にずっと乗っていても、人をあれこれ観察していると
ちっとも飽きないのだ、と言っていた。
だから、若松プロに居る時は、いつも緊張するのだった。
一挙手一投足、じーっと観察する監督が、いつも事務所の真ん中に座っていた。
片山さんが、最後にまとめた。
「『海燕』を、私の地元の福岡で上映するために監督が手を尽くしてくださって
私の家族を招いて挨拶してくださった。
その時に、『人はね、人を愛するべきなんだよ』と。
そして、『どうしても許せないものとは闘うべきなんだよ。
だから、僕は原発とは闘うんだ』と言われた事を覚えてます」
「監督、恋愛ネタ好きでしたよね」と安部さんの一言コメントで
笑いの余韻を残し、トークは終了した。
毎回、毎回、その瞬間ならではの言葉が飛び出し、空気が色づく。
そんな連日トークも本日が最後である。
澄んだ秋晴れの一日に。
2013年10月16日水曜日
嵐の中、トークまで残ってくださったお客さまたち
昨夜は大型台風接近、しかし追悼特集の続く下高井戸シネマでは
「千年の愉楽」と「11.25自決の日」の二本立て上映。
そして森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊富士学校校長を演じたKUMAさんこと篠原勝之さんが
風雨強まる中、劇場に駆けつけてくださった。
上映後、トーク前に帰ろうとするお客さんに向かってKUMAさんが
「これからトークだぞ」
「台風だから…」
「台風なんて、まだ来ないぞ、台風とトークとどっちが大事だ」
と、よく考えると、よく分からない会話を交わした後に
「じゃ、聞いて行きます」と劇場内に戻られたお客様も。
そして、KUMAさん×満島真之介さんという
今回初の顔合わせコンビによるトークが始まった。
「11.25自決の日」では、KUMAさんとの共演シーンがほとんどなかった満島さん
ゆっくり話をするのは、この日が初めてだった。
「クマ、お前はダラ幹なんだから、適当にやればいいから」
と監督に託されたKUMAさんは、その時に他の出演者たちが交わした
事前の打ち合わせを一切飛び越えて、カメラが回るや否やいきなり盃に口をつけて
乾杯の前に「あ、飲んじゃった!」
そのまま、全員がそれぞれの芝居を続け、KUMAさんは
三島の熱き防衛論も馬耳東風で、一人巻貝をほじくって美味しそうに食べ続け…。
「僕の事は、いつも容赦なく怒っていた監督だったけど
あの時は、もう何も口も挟めない、という様子でKUMAさんの芝居見てましたね」
と、監督の横で小さくなって現場を見学していた満島さんが振り返った。
「俺はよ、役者じゃねえんだから、いいんだよ、あれで。
監督はそんなものを俺には求めてないんだからよ。
でも、お前さんは、ずっと怒られていたんだってね?」とKUMAさん。
監督に追いつめられて追いつめられて、人生で初めて感じた反抗心。
若松監督との出会いで引きずり出された感情を語った満島さんは
KUMAさんに、監督との出会いについて尋ねた。
「1970年代、新宿騒乱なんかが終わって少しぼやけた時代に
行き場のない若者やら小説家やら音楽家やら映画監督が
新宿ゴールデン街にはたむろしていたんだな。
そこでは、言葉で自分を主張していても、それがうまくいかないと
違う方法で触れ合う事がしょっちゅうあってな。
その触れ合いって、ちょっと痛いんだ。時々、血が出たりもするんだ。
その上、お巡りからも逃げなくちゃいけないから、忙しいんだ。
気づいたら、若松組対状況劇場で、殴り合いになったりしてネ。
若松さんとは、そういう触れ合いをしてたんだな」
場内からは、笑いが漏れる。
「そういう触れ合いに、僕はすごく憧れるんです。
僕らの時代はメールだのネットだのが触れ合いだと思ってる。
そんな中で、年齢もうんと上の監督と、現場で最後まで
ケンカをやり遂げる事ができたんだと思ってます」と満島さんが語った。
「今も心のどこかで、ずっと、あの時感じた監督との瞬間を求めている。
あの時の熱を、また得られるものだろうかと、ずっと探し求めているんです」
話題は、満島さんの彫りの深い顔立ち、父方の祖父のルーツにさかのぼり
さらには、カンヌ映画祭での出来事にまで及んだ。
「僕、前に大西さんや新さんから、
『初めての映画の現場を若松組で経験したなんて、
お前は本当に幸せな若者だけど、同時に不幸せなやつだと思うよ』と言われたんです。
こんな現場をデビューの時に経験してしまう事の幸せと不幸せ。
僕はその狭間にいるように感じてます」
すると、KUMAさんが言った。
「お前さんの、ヨーロッパの血もひっくるめた特権的な肉体を持って
若松さんから直接の圧力を受けながらやり遂げて、火がついたもの、
その先鋭的なものを丸くしたりせず失わずにずっとやっていけば
いつかまた、出会うんじゃないか。
俺は、ワカマツイズムというのは、若松さんみたいなスタイルで
映画を撮る人の事であって、若松さんといくら一緒に仕事をやって
ワカマツイズムなんて言っても、真似できるものじゃない、
ワカマツイズムを引き継ぐなんて、そんな事ができるわけないと思ってる。
全てをなげうってでも、自分の怒りを映像にしていこうとする
映画をやりたいばっかりに、サメ軟骨でも怪しいものでもなんでも売る。
映画のためのカネだったら、なんだっていいんだ。
そういう怒りを、なんとかして表現しようという奴が、
今の原発だとか世の中を怒りを持って見つめている中学生くらいの子らの中から
いつか出てくるんじゃないかと思っているんだよ。
それこそがワカマツイズムだよ。
きっとまた、いつか出てくるだろうと思ってるんだよ」
少なくとも、若松監督の現場で直接にその圧力を全身で体感した事。
それによって満島さんの身体に遺されたものが、いつか出会う現場で
表現の渦に巻き込まれ、立ち現れてくる時が来る。
そんな事を想像し、胸が熱くなる。
「それにしたって、あれだけ脳梗塞やら前立腺やら肺がんやらを
やっつけてきた人が、うっかりタクシーとケンカして負けちゃうんだから
それが、やっぱり残念なんだよな、ね」
トーク終了後、会場から拍手が。
また、最近、三島の「豊穣の海」一巻を読んで
劇場に足を運んだというお客様からも
真之介君の演技に圧倒された、素晴らしかった、との発言も。
トーク後のサイン会では、トーク前に帰ろうとして
KUMAさんに止められて話を聞いて行ってくださった青年が
「残って話を聞いて本当に良かったです!」と
パンフレットにサインを求めてくださった。
満島さんの若い輝きと、KUMAさんの行間からさまざまがにじみだす言葉。
外は風雨激しさが増し、監督のお通夜の日、
あるいは監督が逝去した夜の冷たい雨を思い出しながら
しかし、胸の内側にフツフツと暖かなものが沸き上がる夜だった。
本日は、「海燕ホテル・ブルー」との2本だて。
そして、ヒロイン片山瞳さんと、「千年」後家役の安部智凛さんの女子トーク。
「海燕」のロケ地、伊豆大島は昨夜の台風で大きな被害を受けたとの事。
2年半前のロケを思い出しつつ、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
そして、明日はいよいよ監督の一周忌のその日です。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」「近作メイキング」上映。
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ。
そして、トークに満島真之介さんの飛び入り参加が決まりました!
トーク:井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さん(カメラマン)
さらに、ポレポレ東中野では監督のデビュー作「甘い罠」上映と
下高井戸シネマと同じラインナップによるライブ・トークを行います。
長い夜を過ごしたいと思います。
ぜひ、劇場に足をお運びください。
「千年の愉楽」と「11.25自決の日」の二本立て上映。
そして森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊富士学校校長を演じたKUMAさんこと篠原勝之さんが
風雨強まる中、劇場に駆けつけてくださった。
上映後、トーク前に帰ろうとするお客さんに向かってKUMAさんが
「これからトークだぞ」
「台風だから…」
「台風なんて、まだ来ないぞ、台風とトークとどっちが大事だ」
と、よく考えると、よく分からない会話を交わした後に
「じゃ、聞いて行きます」と劇場内に戻られたお客様も。
そして、KUMAさん×満島真之介さんという
今回初の顔合わせコンビによるトークが始まった。
「11.25自決の日」では、KUMAさんとの共演シーンがほとんどなかった満島さん
ゆっくり話をするのは、この日が初めてだった。
「クマ、お前はダラ幹なんだから、適当にやればいいから」
と監督に託されたKUMAさんは、その時に他の出演者たちが交わした
事前の打ち合わせを一切飛び越えて、カメラが回るや否やいきなり盃に口をつけて
乾杯の前に「あ、飲んじゃった!」
そのまま、全員がそれぞれの芝居を続け、KUMAさんは
三島の熱き防衛論も馬耳東風で、一人巻貝をほじくって美味しそうに食べ続け…。
「僕の事は、いつも容赦なく怒っていた監督だったけど
あの時は、もう何も口も挟めない、という様子でKUMAさんの芝居見てましたね」
と、監督の横で小さくなって現場を見学していた満島さんが振り返った。
「俺はよ、役者じゃねえんだから、いいんだよ、あれで。
監督はそんなものを俺には求めてないんだからよ。
でも、お前さんは、ずっと怒られていたんだってね?」とKUMAさん。
監督に追いつめられて追いつめられて、人生で初めて感じた反抗心。
若松監督との出会いで引きずり出された感情を語った満島さんは
KUMAさんに、監督との出会いについて尋ねた。
「1970年代、新宿騒乱なんかが終わって少しぼやけた時代に
行き場のない若者やら小説家やら音楽家やら映画監督が
新宿ゴールデン街にはたむろしていたんだな。
そこでは、言葉で自分を主張していても、それがうまくいかないと
違う方法で触れ合う事がしょっちゅうあってな。
その触れ合いって、ちょっと痛いんだ。時々、血が出たりもするんだ。
その上、お巡りからも逃げなくちゃいけないから、忙しいんだ。
気づいたら、若松組対状況劇場で、殴り合いになったりしてネ。
若松さんとは、そういう触れ合いをしてたんだな」
場内からは、笑いが漏れる。
「そういう触れ合いに、僕はすごく憧れるんです。
僕らの時代はメールだのネットだのが触れ合いだと思ってる。
そんな中で、年齢もうんと上の監督と、現場で最後まで
ケンカをやり遂げる事ができたんだと思ってます」と満島さんが語った。
「今も心のどこかで、ずっと、あの時感じた監督との瞬間を求めている。
あの時の熱を、また得られるものだろうかと、ずっと探し求めているんです」
話題は、満島さんの彫りの深い顔立ち、父方の祖父のルーツにさかのぼり
さらには、カンヌ映画祭での出来事にまで及んだ。
「僕、前に大西さんや新さんから、
『初めての映画の現場を若松組で経験したなんて、
お前は本当に幸せな若者だけど、同時に不幸せなやつだと思うよ』と言われたんです。
こんな現場をデビューの時に経験してしまう事の幸せと不幸せ。
僕はその狭間にいるように感じてます」
すると、KUMAさんが言った。
「お前さんの、ヨーロッパの血もひっくるめた特権的な肉体を持って
若松さんから直接の圧力を受けながらやり遂げて、火がついたもの、
その先鋭的なものを丸くしたりせず失わずにずっとやっていけば
いつかまた、出会うんじゃないか。
俺は、ワカマツイズムというのは、若松さんみたいなスタイルで
映画を撮る人の事であって、若松さんといくら一緒に仕事をやって
ワカマツイズムなんて言っても、真似できるものじゃない、
ワカマツイズムを引き継ぐなんて、そんな事ができるわけないと思ってる。
全てをなげうってでも、自分の怒りを映像にしていこうとする
映画をやりたいばっかりに、サメ軟骨でも怪しいものでもなんでも売る。
映画のためのカネだったら、なんだっていいんだ。
そういう怒りを、なんとかして表現しようという奴が、
今の原発だとか世の中を怒りを持って見つめている中学生くらいの子らの中から
いつか出てくるんじゃないかと思っているんだよ。
それこそがワカマツイズムだよ。
きっとまた、いつか出てくるだろうと思ってるんだよ」
少なくとも、若松監督の現場で直接にその圧力を全身で体感した事。
それによって満島さんの身体に遺されたものが、いつか出会う現場で
表現の渦に巻き込まれ、立ち現れてくる時が来る。
そんな事を想像し、胸が熱くなる。
「それにしたって、あれだけ脳梗塞やら前立腺やら肺がんやらを
やっつけてきた人が、うっかりタクシーとケンカして負けちゃうんだから
それが、やっぱり残念なんだよな、ね」
トーク終了後、会場から拍手が。
また、最近、三島の「豊穣の海」一巻を読んで
劇場に足を運んだというお客様からも
真之介君の演技に圧倒された、素晴らしかった、との発言も。
トーク後のサイン会では、トーク前に帰ろうとして
KUMAさんに止められて話を聞いて行ってくださった青年が
「残って話を聞いて本当に良かったです!」と
パンフレットにサインを求めてくださった。
満島さんの若い輝きと、KUMAさんの行間からさまざまがにじみだす言葉。
外は風雨激しさが増し、監督のお通夜の日、
あるいは監督が逝去した夜の冷たい雨を思い出しながら
しかし、胸の内側にフツフツと暖かなものが沸き上がる夜だった。
本日は、「海燕ホテル・ブルー」との2本だて。
そして、ヒロイン片山瞳さんと、「千年」後家役の安部智凛さんの女子トーク。
「海燕」のロケ地、伊豆大島は昨夜の台風で大きな被害を受けたとの事。
2年半前のロケを思い出しつつ、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
そして、明日はいよいよ監督の一周忌のその日です。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」「近作メイキング」上映。
ジム・オルークさん、渚ようこさん、中村瑞希さんのライブ。
そして、トークに満島真之介さんの飛び入り参加が決まりました!
トーク:井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さん(カメラマン)
さらに、ポレポレ東中野では監督のデビュー作「甘い罠」上映と
下高井戸シネマと同じラインナップによるライブ・トークを行います。
長い夜を過ごしたいと思います。
ぜひ、劇場に足をお運びください。
2013年10月15日火曜日
若松監督に再会するディープな一週間、続行中。
若松孝二追悼”時代を撃ち続けた男、人生最後の5本”特集として
「千年の愉楽」と近作2本だて続行中の下高井戸シネマ。
13日(日)は『キャタピラー』との2本立て。
上映後には、若松監督の熱烈ラブコールに応えて
近作2本の主演を果たした女優、寺島しのぶさんが、
共演者の大西信満さん、カメラマン辻智彦さんとともにトークに登壇した。
「下高井戸シネマは初めてですが、監督ゆかりの劇場と聞いて
足を運ばせて頂きました。私の中では、1年前から時が止まっているようですが…」
と寺島さんが冒頭の挨拶を述べ、大西さんも
「ここは、監督と何度も一緒に足を運んだ思い出のある劇場です」と
しんみりとトークが始まった……と思いきや、
「(カメラマン)辻さんがどうしても監督の作品をやりたくて、
一杯も飲まずに朝まで飲み屋につきあって監督を落とした」
というエピソードが、実は監督の調子のよい思い込みだった事が判明し
「劇映画もやった事のない僕には思いも寄らない事で
監督はドキュメンタリーのカメラマンを探していたみたいで
いきなり『お前、やれ』と。嬉しかったですが、それはびっくりしましたよ」と。
さらには、レバノンで監督とともに拘束された当時のエピソードまで飛び出した。
「最初は強気でいたけれども、手錠を外され、靴ひもを取れ、と言われた時は、
一気に元気がなくなり、しょぼーんとしてました。
拘置所経験のある監督は、紐を取れ、という事が
何を意味するか(ブタ箱の中で自殺しないように、という意味)分かったんですね」
当時は、監督から「入院したから、チョンジュ映画祭には一人で行ってくれ」
と連絡をもらって一人韓国入りしていた大西さんは
ヤフーニュースで「若松孝二レバノンで拘束」というニュースを見て
びっくり仰天したという。
笑いとともに次から次へと飛び出すエピソード。
『キャタピラー』では、錯乱状態になった久蔵が頭を畳にうちつけて
血まみれになるシーンがある。
あの血は、じつは仕込みではなく、大西さん自身の流血である。
芝居の中で、自分の頭を激しく打ち付け、頭が割れてしまったのだ。
若松組らしい、あの時のエピソードにも花が咲いた。
カット割りもしない、仕込みをするそぶりもない。
でも、ト書きには、血まみれの久蔵と書いてある。
どうしよう…と思い悩んだ末の大西さんの身体を張った演技であったが、
カットがかかった瞬間、寺島さんが大西さんを叱りつけたという。
「私もあの時、どこかハイテンションになって、尋常じゃなくなっていたから
大西君を怒ったなんて、覚えていない。
でも、血がどんどん出てくるし、監督はカットかけないでずっと回しているし
もう、どうしようどうしようって…」
最後は頭の傷をホチキスで簡易止めしてクランクアップまで耐えた大西さん。
実は『実録・連合赤軍』の現場でも最終日に足首をひどく捻挫して病院に運ばれた。
その時、監督が怒ったのは、自分の身体を心配してではなく
「保険の掛け金が次回から上がっちゃうだろ!って(笑)」
カネに厳しい若松監督だったが、監督として作品を引き受けるのみならず
「自由に自分で表現を続けるためには、カネが必要だ、という事。
ものをつくる、という事において、その部分は見えづらいけれども
その見えづらい部分でも闘っている人だったと思う」と
辻さんが監督の事を振り返った。
寺島さんも「和やかな『キャタピラー』の打ち上げの時に
ホテル代が高いって、いきなり制作の人を怒りだした若松監督。
普通、俳優の前では言わないような事だけど、
私がそこにいる事すら気づかないほど必死なんです。
あの瞬間の監督は、もうプロデューサーですよね。
ものをつくるって、こういう事なんだなあって思いました」
「実は、あれを見て制作の人を気の毒に思ったホテル側が
少し値引きしてくれたんですよ。
だから、監督、半分本気、半分はホテル向けの芝居だったかも」(辻さん)
語り始めると、話は尽きない。
どこまでもお茶目で我がままでふざけながら本気になって
いつも作品づくりの事ばかり考えていた若松監督。
そして同じ日、函館では、
赤煉瓦倉庫のスクリーンでも『千年の愉楽』追悼上映が。
ゲストの篠原勝之さんが、若松監督との北海道の旅の事、
映画の事、ものづくりの事、作品の事、飲み屋の事
なんと一日に4回ものトークに立ってくださっていた。
そして本日の下高井戸シネマ。
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」との2本だて。
トークゲストは、森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊の富士学校校長を演じた篠原勝之さん。
毎回、毎回、出色のトークが繰り広げられる。
本日は、どのようなエピソードが飛び出すか。
悪天候になりそうですが、どうぞぜひ、劇場に足をお運びください。
若松監督の葬儀の時。
思えば、お通夜の日は午後から雷鳴轟く嵐の日だった。
あれから、1年なのである。
「千年の愉楽」と近作2本だて続行中の下高井戸シネマ。
13日(日)は『キャタピラー』との2本立て。
上映後には、若松監督の熱烈ラブコールに応えて
近作2本の主演を果たした女優、寺島しのぶさんが、
共演者の大西信満さん、カメラマン辻智彦さんとともにトークに登壇した。
「下高井戸シネマは初めてですが、監督ゆかりの劇場と聞いて
足を運ばせて頂きました。私の中では、1年前から時が止まっているようですが…」
と寺島さんが冒頭の挨拶を述べ、大西さんも
「ここは、監督と何度も一緒に足を運んだ思い出のある劇場です」と
しんみりとトークが始まった……と思いきや、
「(カメラマン)辻さんがどうしても監督の作品をやりたくて、
一杯も飲まずに朝まで飲み屋につきあって監督を落とした」
というエピソードが、実は監督の調子のよい思い込みだった事が判明し
「劇映画もやった事のない僕には思いも寄らない事で
監督はドキュメンタリーのカメラマンを探していたみたいで
いきなり『お前、やれ』と。嬉しかったですが、それはびっくりしましたよ」と。
さらには、レバノンで監督とともに拘束された当時のエピソードまで飛び出した。
「最初は強気でいたけれども、手錠を外され、靴ひもを取れ、と言われた時は、
一気に元気がなくなり、しょぼーんとしてました。
拘置所経験のある監督は、紐を取れ、という事が
何を意味するか(ブタ箱の中で自殺しないように、という意味)分かったんですね」
当時は、監督から「入院したから、チョンジュ映画祭には一人で行ってくれ」
と連絡をもらって一人韓国入りしていた大西さんは
ヤフーニュースで「若松孝二レバノンで拘束」というニュースを見て
びっくり仰天したという。
笑いとともに次から次へと飛び出すエピソード。
『キャタピラー』では、錯乱状態になった久蔵が頭を畳にうちつけて
血まみれになるシーンがある。
あの血は、じつは仕込みではなく、大西さん自身の流血である。
芝居の中で、自分の頭を激しく打ち付け、頭が割れてしまったのだ。
若松組らしい、あの時のエピソードにも花が咲いた。
カット割りもしない、仕込みをするそぶりもない。
でも、ト書きには、血まみれの久蔵と書いてある。
どうしよう…と思い悩んだ末の大西さんの身体を張った演技であったが、
カットがかかった瞬間、寺島さんが大西さんを叱りつけたという。
「私もあの時、どこかハイテンションになって、尋常じゃなくなっていたから
大西君を怒ったなんて、覚えていない。
でも、血がどんどん出てくるし、監督はカットかけないでずっと回しているし
もう、どうしようどうしようって…」
最後は頭の傷をホチキスで簡易止めしてクランクアップまで耐えた大西さん。
実は『実録・連合赤軍』の現場でも最終日に足首をひどく捻挫して病院に運ばれた。
その時、監督が怒ったのは、自分の身体を心配してではなく
「保険の掛け金が次回から上がっちゃうだろ!って(笑)」
カネに厳しい若松監督だったが、監督として作品を引き受けるのみならず
「自由に自分で表現を続けるためには、カネが必要だ、という事。
ものをつくる、という事において、その部分は見えづらいけれども
その見えづらい部分でも闘っている人だったと思う」と
辻さんが監督の事を振り返った。
寺島さんも「和やかな『キャタピラー』の打ち上げの時に
ホテル代が高いって、いきなり制作の人を怒りだした若松監督。
普通、俳優の前では言わないような事だけど、
私がそこにいる事すら気づかないほど必死なんです。
あの瞬間の監督は、もうプロデューサーですよね。
ものをつくるって、こういう事なんだなあって思いました」
「実は、あれを見て制作の人を気の毒に思ったホテル側が
少し値引きしてくれたんですよ。
だから、監督、半分本気、半分はホテル向けの芝居だったかも」(辻さん)
語り始めると、話は尽きない。
どこまでもお茶目で我がままでふざけながら本気になって
いつも作品づくりの事ばかり考えていた若松監督。
そして同じ日、函館では、
赤煉瓦倉庫のスクリーンでも『千年の愉楽』追悼上映が。
ゲストの篠原勝之さんが、若松監督との北海道の旅の事、
映画の事、ものづくりの事、作品の事、飲み屋の事
なんと一日に4回ものトークに立ってくださっていた。
そして本日の下高井戸シネマ。
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」との2本だて。
トークゲストは、森田必勝を演じた満島真之介さんと
自衛隊の富士学校校長を演じた篠原勝之さん。
毎回、毎回、出色のトークが繰り広げられる。
本日は、どのようなエピソードが飛び出すか。
悪天候になりそうですが、どうぞぜひ、劇場に足をお運びください。
若松監督の葬儀の時。
思えば、お通夜の日は午後から雷鳴轟く嵐の日だった。
あれから、1年なのである。
2013年10月13日日曜日
下高井戸シネマにて追悼上映スタート!
10月12日(土)下高井戸シネマにて
特集 若松孝二監督一周忌特別企画
"時代を撃ち続けた表現者 人生最後の5本"
「千年の愉楽」と近作の二本立て上映がスタートした。
初日の昨夜は「海燕ホテル・ブルー」との2本だて。
「海燕」のヒロインかつ「千年」で遊女蘭子を演じた片山瞳さん、
「海燕」で仲間を裏切った過去を持つ男を演じたウダタカキさん、
「千年の愉楽」で後家の初枝を演じた安部智凛さんの3名が
上映後トークを行った。
実はウダさんと安部さんは、「実録・連合赤軍」で
内縁上の夫婦、吉野雅邦さんと金子みちよさんを演じている事もあり
気心の知れた同志との再会、事前の打ち合わせも何もせず
いきなり壇上にて、3人のトークセッションがスタートした。
「海燕」ではヒロインとしてとても大切に扱われたという片山さん
一方、初の若松組の現場で、撮影初日から怒られ続けて
役を降ろされるのではないか、と追いつめられたという安部さん。
ウダさんも、女優2人から若松監督のエピソードや印象を引き出そうと
質問を重ねつつ、自身の体験を語った。
次第に会話は、いかに現場での監督が理不尽だったかというエピソードに花が咲く。
監督の意見に沿って使っていた衣装や髪型や小道具について
2ヶ月以上に及ぶロケの後、クランクアップ直前になって
「かっこつけてこんな色の服着やがって!」
「なんだ、こんな坊ちゃん刈りしやがって!」
「眼鏡でお前の目が見えねえんだよ!なんで眼鏡なんかしてんだよ!」
「ああいうのが、僕は本当にいやだった!」と苦笑しつつ、ウダさんは
「レンセキも三島も、作品となったものを見た時に
青春映画になっている事を感じて、ものすごい違和感が残ったんです。
この事を、青春の物語にしてしまっていいのか、と。
僕自身の中に、それは未だに解消できないものとして残されている。
それでも、監督は結局、常に、お前らはそれでいいんだ、という事を
言い続けていたんじゃないか、と。善とか悪とか関係なくて、
お前らがそれをやりたいと思ったんだったら、それでいいんだ、と
若い奴らの全面的な理解者であろうとしたんじゃないかと思った」と語った。
「そういう一面もあるし、『海燕』や『千年』では
監督は母性的なもの、女性へのあこがれや優しさを全面的に描いていて
それも若松監督だったと思う」と片山さん。
「男だったな、と思うんです。若松さんは。
理不尽さも含めて、ほおっておけなくなるような男の人でした。
昨年の釜山映画祭を監督と共に行って、それから1週間後にいなくなってしまった。
今年も釜山映画祭は、あの時の監督との時間をたどる旅でした」
人生を賭ける程の意気込みで「実録・連合赤軍」から
若松作品に挑み続けて来た安部さんは
監督の死後、その事を乗り越えられずにもがいていた時
共演者から「お前、今は辛くてたまらないだろうけれども
3年は続けろ、それが、若松監督への仁義じゃないか」といわれ
今、自分が投げ出してしまったら若松監督から学んだ事は無になる
それであれば、役者を今は続けて行くべきだと決意した事を明かした。
お客さんになんとか楽しんでもらおうと
3者3様に頑張ったトークは、臨場感たっぷり
聞き手も語り手と一体になってハラハラしたり泣き笑いしたり
あっという間の50分だった。
若松監督がこの場にいたら、決して口からは語られる事のなかった
エピソードの数々が飛び出した。
理不尽で、かんしゃく持ちで、でも、美味しいものを作って食べさせたり
みんなの喜ぶ顔を見るのが大好きだった監督。
思い出す事は美しい話ばかりではない。
笑い話、腹が立った現場でのあの瞬間この瞬間。
それでも、残した作品、私たち一人一人に突きつけた監督の思い
それらを、スクリーンを通して、あるいは作品を共有した人との再会を通して
若松孝二は、昨夜も確かに、あの場にいた。
本日は「キャタピラー」との二本立て。
寺島しのぶさん、大西信満さん、カメラマン辻智彦さんのトークです。
15時20分〜上映スタート。
劇場にて、お待ちしております。
また、本日は函館映画祭主催「若松孝二追悼上映」
赤煉瓦倉庫にて上映中。
トークゲストは若松監督の盟友で北海道出身の
鉄のゲージツ家KUMAさんこと篠原勝之さん。
先ほど、無事、一回目の上映トーク終了しました。
本日、合計4回上映予定です。
若松孝二という人を世界が喪って1年。
若松孝二に託された最後の現場、というような思いを抱え
それぞれの地で一周忌追悼上映が行われています。
特集 若松孝二監督一周忌特別企画
"時代を撃ち続けた表現者 人生最後の5本"
「千年の愉楽」と近作の二本立て上映がスタートした。
初日の昨夜は「海燕ホテル・ブルー」との2本だて。
「海燕」のヒロインかつ「千年」で遊女蘭子を演じた片山瞳さん、
「海燕」で仲間を裏切った過去を持つ男を演じたウダタカキさん、
「千年の愉楽」で後家の初枝を演じた安部智凛さんの3名が
上映後トークを行った。
実はウダさんと安部さんは、「実録・連合赤軍」で
内縁上の夫婦、吉野雅邦さんと金子みちよさんを演じている事もあり
気心の知れた同志との再会、事前の打ち合わせも何もせず
いきなり壇上にて、3人のトークセッションがスタートした。
「海燕」ではヒロインとしてとても大切に扱われたという片山さん
一方、初の若松組の現場で、撮影初日から怒られ続けて
役を降ろされるのではないか、と追いつめられたという安部さん。
ウダさんも、女優2人から若松監督のエピソードや印象を引き出そうと
質問を重ねつつ、自身の体験を語った。
次第に会話は、いかに現場での監督が理不尽だったかというエピソードに花が咲く。
監督の意見に沿って使っていた衣装や髪型や小道具について
2ヶ月以上に及ぶロケの後、クランクアップ直前になって
「かっこつけてこんな色の服着やがって!」
「なんだ、こんな坊ちゃん刈りしやがって!」
「眼鏡でお前の目が見えねえんだよ!なんで眼鏡なんかしてんだよ!」
「ああいうのが、僕は本当にいやだった!」と苦笑しつつ、ウダさんは
「レンセキも三島も、作品となったものを見た時に
青春映画になっている事を感じて、ものすごい違和感が残ったんです。
この事を、青春の物語にしてしまっていいのか、と。
僕自身の中に、それは未だに解消できないものとして残されている。
それでも、監督は結局、常に、お前らはそれでいいんだ、という事を
言い続けていたんじゃないか、と。善とか悪とか関係なくて、
お前らがそれをやりたいと思ったんだったら、それでいいんだ、と
若い奴らの全面的な理解者であろうとしたんじゃないかと思った」と語った。
「そういう一面もあるし、『海燕』や『千年』では
監督は母性的なもの、女性へのあこがれや優しさを全面的に描いていて
それも若松監督だったと思う」と片山さん。
「男だったな、と思うんです。若松さんは。
理不尽さも含めて、ほおっておけなくなるような男の人でした。
昨年の釜山映画祭を監督と共に行って、それから1週間後にいなくなってしまった。
今年も釜山映画祭は、あの時の監督との時間をたどる旅でした」
人生を賭ける程の意気込みで「実録・連合赤軍」から
若松作品に挑み続けて来た安部さんは
監督の死後、その事を乗り越えられずにもがいていた時
共演者から「お前、今は辛くてたまらないだろうけれども
3年は続けろ、それが、若松監督への仁義じゃないか」といわれ
今、自分が投げ出してしまったら若松監督から学んだ事は無になる
それであれば、役者を今は続けて行くべきだと決意した事を明かした。
お客さんになんとか楽しんでもらおうと
3者3様に頑張ったトークは、臨場感たっぷり
聞き手も語り手と一体になってハラハラしたり泣き笑いしたり
あっという間の50分だった。
若松監督がこの場にいたら、決して口からは語られる事のなかった
エピソードの数々が飛び出した。
理不尽で、かんしゃく持ちで、でも、美味しいものを作って食べさせたり
みんなの喜ぶ顔を見るのが大好きだった監督。
思い出す事は美しい話ばかりではない。
笑い話、腹が立った現場でのあの瞬間この瞬間。
それでも、残した作品、私たち一人一人に突きつけた監督の思い
それらを、スクリーンを通して、あるいは作品を共有した人との再会を通して
若松孝二は、昨夜も確かに、あの場にいた。
本日は「キャタピラー」との二本立て。
寺島しのぶさん、大西信満さん、カメラマン辻智彦さんのトークです。
15時20分〜上映スタート。
劇場にて、お待ちしております。
また、本日は函館映画祭主催「若松孝二追悼上映」
赤煉瓦倉庫にて上映中。
トークゲストは若松監督の盟友で北海道出身の
鉄のゲージツ家KUMAさんこと篠原勝之さん。
先ほど、無事、一回目の上映トーク終了しました。
本日、合計4回上映予定です。
若松孝二という人を世界が喪って1年。
若松孝二に託された最後の現場、というような思いを抱え
それぞれの地で一周忌追悼上映が行われています。
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