2013年8月19日月曜日

満席の新・文芸坐、熱気と言葉と

17日(土)、ギラギラと真夏の太陽が照りつける池袋。
「終戦の日によせて 社会派・反戦映画特集」が組まれた新・文芸坐にて
「実録・連合赤軍」と「11.25自決の日」二本立て上映が終日行われました。
15時20分、『実録・連合赤軍』上映後、トークイベント開始。
坂東國男を演じた大西信満さんと『11.25自決の日』で
森田必勝を演じた満島真之介さんが壇上へ。
この2人のタッグは久しぶりです。
2人とも、映画やドラマなど、様々な現場で忙しく活躍している中
久しぶりの若松作品の現場へと、駆けつけてくれたのでした。

「僕は沖縄出身で、同年代の人たちの中では、
 恐らく、戦争について考えていた方だったと思うけれども
 それでも、年々、年を重ねるにつれて、自分の中で腑に落ちて行くものがある。
 今こそ、若松監督と話をしたいと思うけれども、かなわない思い。
 そうであるならば、若松監督の思いを体現したものとして
 自分が語って行こうと思っています」と冒頭に満島さん。
森田必勝として生きた若松組の現場を語るのは久しぶりだといいます。
「若松監督は、森田役にはこだわり続けて、ずっといろんな人と会っていたよね。
 そんな中で、舞台経験しかない真之介を一目見て決めたのは、
 未知数ながら、きっと彼の中にあるまっすぐさ、ひたむきさを感じ取ったのでは」と
『11.25自決の日』で倉持清役を演じながら、
 現場で満島さんを支えていた大西さんが語りました。
「何やっても、お前怒られてたもんな」
「そうですね。
 私服のまま朝食を食べてたら『なんで衣装着てないんだ!たるんでるぞ!』と怒られ
 翌朝、しっかり制服着て食べてたら『なに衣装着てメシ食ってるんだ!
 チャラチャラしやがって!』と(笑)」
それは、若松監督の計算ずくの演出だったと大西さんが語りました。
「人のいい真之介をぶちこわして、殺気立った目を引き出す。
 人間の芯の部分をむき出しにする。連合赤軍の時もそうだった。
 俺だけなぜか吊るし上げ状態。日々総括。
 監督が坂東さんに直接とある場所で会って話を聞いているんですね。
 その思いが強くあるからこそ、より演者に強いエネルギーで向かってくる」
満島さんは、『11.25自決の日』の現場に入る前、若松作品と出会った。
「早稲田松竹で『レンセキ』と『キャタピラー』二本立て観てたんです。
 うわー、生半可な気持ちでは、ここには追いつけない!と思った。
 連赤の現場がうらやましくもあり、あの場にいなくて良かった、とも思った」
人間が人間に対峙する。
「演出家」と「演者」を越えた火花が飛び散る。
そんな若松組の現場の空気が思い出されるトークでした。
会場からは「森田と三島の関係、師弟を越えた、エロティックな部分など
映像から少し読み取れるところもあったが、監督の演出は?」といった質問も。
「その部分については、若松監督も言及していたけれども
 『俺には、その事はどうでもいいんだよ、あってもなくても、関係ないんだよ』と
 描きたい部分は、『何かを変えたい』という思いの部分なんだ、という
 監督の強い決意がありました」と満島さんが答えた。
また、戦中に次男として生まれたというある男性は
「自分の名前は、天皇のために立派に死ぬ、という親の願いを込めて
 付けられました。長男は死んだら困るけど、次男はお国のために、という。
 そういう時代があったのです」と発言してくださいました。
大西さんは「右とか左とかではなく、監督は、
何かに挑んだ若者たちの存在を単なる犯罪とかテロのようなものとして
歴史の暗部に押し込める事への強い憤りがあった。
その存在を描くのが、目撃者としての自分の使命だと思ってたと思う。
肉体は滅んでも、作品は残すのだという強い決意だった」と語り
あっという間の40分のトークは終了しました。
今、下北沢トリウッドにて、若松監督が戦争を描いた2作
『裸の影 恐るべき遺産』『キャタピラー』が上映中です。
戦後68年目の夏、若松監督のスクリーンでの吠え声は
今も私たちの耳に響き続けます。

2013年8月17日土曜日

ポレポレ東中野が満員になった夜

昨夜、ポレポレ東中野にて一夜限りに
『裸の影 恐るべき遺産』上映。
上映後には塚本晋也監督のトークが行われる事もあって
きれいに満席となった場内でした。



新作始動で超多忙の中、駆けつけてくださった塚本監督、
「恐ろしい戦争を正攻法に描きながらも、可愛らしいというか
 ああ、好きなんだな、というような、若松監督らしさが
 どうまじめに撮ってもにじみ出てくるような感じがあって
 いいんだ、にじみ出てきちゃって、これでいいんだって
 勇気をもらえましたね」と作品についての印象を語りました。
ちょっとしたアングルの遊び心、お客さんへのサービス心、
いろいろちりばめつつも、正攻法に初々しく描きながら
やっぱり根底には、戦争の理不尽さへの怒り。

常に怒りが原動力となっていた若松監督らしさは
塚本監督が、若松監督や深作監督、崔監督らとともに中国の映画学校に
文化交流に行ったエピソードの中にも。
中国当局を交えての親睦会の場でも、持論をぶち上げ、
トラブルで『鉄男』が上映できなくなった時には
親分肌を発揮する若松監督なのでした。

塚本監督と若松監督は、作風は全く異なるけれども
「塚本君は玩具の中で遊んでいるみたいなんだよな」と
若松監督が一目置いていた塚本作品の魅力。
「自分の中で、何かムズムズする事があると
 それをメモしておく、というのはありますが、
 そこに、その時代なり社会の状況なりが重ならないと
 なかなか水面下から出てこない、というのがあって。
 それが、ある状況になった時に、ムズムズが映像になっていく」
と自らの作品の源流について塚本監督が語りました。

そして、これまでは自らの頭の中ばかりを突ついて突ついて映像を作ってきたけれど
この人の頭の中を描いてみたい、と塚本監督に思わしめた存在が
Coccoさん、そして生まれたのが「KOTOKO」であった事、
子どもを守らねばならない母親の精神を描きつつ、
折しも起きた震災と原発事故が時代背景となって
見る人に、さらに深い問いを突きつけてくる。
…というような作品を撮り終えた塚本監督が、次に向かうのは?
と、新作について、会場から質問が出ました。
これまでの作品をつくりながらも、内側に温めてた思い
時代状況への危機感も含めて、塚本監督の控えめな言葉の中に
次回作への強い思いが語られました。

若松監督と塚本監督はかつてラジオの対談の中で
若松「俺たちはさ、BOX東中野(ポレポレの前身)に来てくれるような
お客さんを相手に映画を作って行きたいよな」
塚本「映画はぶきっちょに、好きな人は少なくてもいいから
 その人たちだけムチャクチャ好きでいてもらえるようなのをつくりたい」
と語っていたのですが、
その劇場にて、若松監督の初期作品をお客さんとともに観て
若松監督や映画について塚本監督に語って頂く時間を持てた事、
何よりも、終戦記念日の翌日に、「戦争」を描いた作品を通して
再び若松監督に邂逅できた事に、巡り合わせを感じたイベントでした。

作品は、次々と生まれ、そして生まれると、ずっと残っていきます。
「表現に時効はないんだよ」と語り、
「映画は俺の玩具なんだよ」と語った若松監督、
「玩具ったって、こっちは命がけで遊んでんだよ」とも。

本日は、新・文芸坐にて「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の二本立てが続いてます。
15時20分からは、大西信満さんと満島真之介さんがトークに駆けつけます。

2013年8月14日水曜日

金曜はポレポレ、土曜は新・文芸坐にて!


お盆です。
若松監督の新盆です。
「あまちゃん」で音楽を担当されている大友良英さんが
ウェブ媒体でのロングインタビューで
「いま、表現をする事」について語ってました。
http://blogos.com/article/67859/?axis=&p=4
(以下一部抜粋)
>それは現実をごまかすようなことじゃなくて、
>ちゃんと目を開きながら厳しい現実を生き抜いていけるような、
>強い批評的な力も持ちながら、でも決して
>「ご立派なこと」にはならないようななにかじゃなくちゃ…(以下略)
大友さんといえば、ジム・オルークさんとともに
何度も、「実録・連合赤軍」オールナイトイベントに
ライブ出演してくださったのですが、
今や、「あまちゃん」によって、お茶の間にも愛される音楽家です。
たくさんの空洞を抱えながら、表現は続いていくのだと
猛暑のコンクリートジャングルの中で、思うのです。
今週末、「追悼を越えて」ゆくイベント相次ぎます。
「若松孝二と時代の表現者たち vol.3」
8月16日(金)19時スタート 1500円均一
ポレポレ東中野にて(東京都中野区東中野4丁目4−1)
「恐るべき遺産 裸の影」上映と塚本晋也監督によるトーク

監督デビューからわずか1年後の1964年に作成した
若松監督の初期社会派作品。
「原爆の事をやりたかったんだけど、高校生たちがすっぽんぽんになったって
 そんな関係ない事で騒がれたんだよ」と、監督からよく話には聞いていたけれど
長年観る機会のなかった作品が、このたび、デジタル化によって上映可能に。
原爆症に悩む少女の姿から、戦後の日本を描き出します。

理屈ではなく、直感で、テーマに突っ込んで行った若松監督。
方や、こだわりの映像表現でファンを魅了し続ける塚本晋也監督。

作品をつくらずにはいられない自分の事を
若松監督はよく「玩具が欲しくてだだをこねる子どもと同じ」と語り、
そして、「塚本君も、自分の玩具の中で楽しそうに遊んでいるね」と語っていましたが
そんな2人のコラボレーションを、若松監督の新盆に実現できる事が嬉しいのです。
どんなお話が飛び出すでしょう。

そして、翌17日には、池袋の新・文芸坐にて。
8月17日(土)新文芸坐にて
終戦の日によせて 反戦・社会派映画特集 
一般1300円/学生1200円/シニア1000円/ラスト1本800円
http://www.shin-bungeiza.com/program.html#d0815
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」二本立て上映。
15時20分〜 大西信満さん(「実録・連合赤軍」坂東國男役/「11.25」倉持清役)
       満島真之介さん(「11.25自決の日」森田必勝役)
トークイベントを行います。

 
若松組のこのお2人が揃っての登壇は久しぶりです。
あの、暑かった2年前のロケを思い出します。
疾走する若松監督の熱と毒に耐えて耐えて耐え続けて生まれた森田必勝を。

大変濃い2本立てですが、敗戦の日によせて、という特集プログラムの中の1日です。
ぜひ、新・文芸坐にお越し下さい。

2013年8月7日水曜日

歴史と映画と情熱

8月6日、原爆の日。
日比谷図書文化会館の大ホールにて
第二回新藤兼人映画祭が行われた。
新藤兼人監督の「原爆の子」と遺作となった「一枚のハガキ」
そして若松孝二監督の「恐るべき遺産 裸の影」と「キャタピラー」上映。
「キャタピラー」上映後に、主演の大西信満さん、社会学者の宮台真司さん
共同通信社の編集委員の立花珠樹さん、若松プロスタッフとして大友麻子が
トークをさせていただいた。
この企画、2年前に新藤兼人監督の「原爆の子」を観て衝撃を受けたという
御手洗志帆さんが、新藤兼人監督100歳のお祝いの映画祭を準備していた昨年
新藤監督は遺作「一枚のハガキ」を遺して逝去。
お祝いの会は、急遽、追悼映画祭に切り替わったという。
喪失感の中にあった御手洗さんは、「11.25自決の日」の劇場での
「社会問題と闘い続けた新藤さんは、唯一尊敬する監督だった」という
若松監督の言葉と出会う。
その若松監督も昨秋に交通事故で逝去。
しかし、御手洗さんは、今年も第二回映画祭を原爆の日に敢行。
「俺が死んでも作品は残る」が口癖の若松監督。
「まさに、若松さんの思いが貫徹されましたね」と宮台さんがトークで語った。
「若松監督が『キャタピラー』で言いたかった事はただ一つ。
 見たくないものは見たくない、それは誰もが同じ事。
 しかし、それでよいのか、と。恥を知れ、という事でしょう。
 この社会はクソだ、というのが、かつての若松作品でした。
 しかし、奇跡的にガンから生還して以降の若松さんは
 社会はなぜクソになったのか、という事を徹底してこだわっておられた」
共同通信社編集委員の立花珠樹さんは、まさに団塊の世代。
大学時代に、大学新聞に「新宿マッド」の書評を書いた事があったという。
また、若松作品の「シンガポールスリング」のロケーションにも同行。
若松作品の現場の作り方などを見て来た上で
「若松さんは、言葉より行動の人だったと思う。
 僕らに、言葉で作品を語るよりも、俺がやる事を見ていろ、という人だった」
と語った。
「実録・連合赤軍」以降、若松作品をともに作り上げて来た大西信満さんは
「8月6日、平日昼間。興行的に考えればあり得ない状況でも
 この日にこだわって、こうして作品を世の中に訴え続けて行こうという
 まさに、若松監督が強く望んでいた事がカタチになった。
 迷いなく参加を決めました」と述べ、
キャタピラーの撮影現場での監督の演出についてなど語った。
場内からは、「なぜ、芋虫でなくキャタピラーなのか」
「昨今の政治状況、首相や麻生氏らの発言をどう思うか」
「昨年の熊野大学で、若松監督は次回作の事を考えてるといっていた。
 どんな構想があったのか」
「若松監督との関係の中で、特に残っている言葉は」といった質問も。
静かに、しかし作品や言葉に真摯に向き合おうとする
観客もゲストも主催者も一体になったようなイベントの空間は
間違いなく、若い御手洗志帆さんの情熱が作り上げたものだと実感した。
第三回、第四回と、毎年8月6日に、この映画祭は続いて行く事だろう。
そして、作品は永遠にスクリーンの上で新たな邂逅を続けて行く。
8月16日は、ポレポレ東中野にて「恐るべき遺産 裸の影」上映と
塚本晋也監督をお招きしてのトーク。
8月17日は、新文芸坐にて「実録・連合赤軍」「11.25自決の日」上映と
大西信満さん、満島真之介さんのトーク。
8月15日、敗戦の日を前に、終わらない戦後の諸々が全国各地で噴き出している。
「戦死者を悼むのは当然」
「憲法を騒乱の中でなく変えて行こう」
為政者たちの仰天発言が相次ぐ中、日本は暑い暑い68年目の敗戦日を迎える。